第16話 夏日のクリームソーダ

 しゅわしゅわ……。ぷちぷち……。

 泡が音を立てている。はじける炭酸の泡沫うたかたはかつ消えかつ結びつ……なんだっけこのフレーズ。

 わたしはぼんやりとグラスを眺めている。わざとらしいくらい緑色の炭酸水に、氷はたっぷり。その上には形の良いバニラのアイスクリームと、ちょこんと赤いサクランボが乗っている。

 クリームソーダだ。


「はあ……」

 長いパフェスプーンで、ちょんちょんとサクランボをつついてやる。

 サクランボが少し、揺れる。

「深いですね、ため息」

 クリームソーダを運んできたばかりの星原さんが、わたしの様子を見てそう声をかけてくれた。

「そうですね、大したことじゃないんですけど……」


 理由は単純なのだった。本当に大したことじゃない。

 会社で仕事のミスをした。わたしも人間で、しかもそこまで優秀な方ではないから当然ミスはする。

 小さなミスだったが、上司には当たり前だけれど怒られて。

 問題はその後で。


『君、こんなこともできないの?』


 その言葉が胸に残した引っかき傷が、今でもきえていないのだった。

 こんな小さなことも出来ない、小さなわたし……。

 いつまでも成長してないような気持ち。

 またこんなこと考えてる進歩のないわたし。

 いつもながら、同じところで気持ちはぐるぐると堂々巡りになってしまい、憂鬱になってしまうのだった。


 それで気持ちが爽快になりそうなものを頼むことにしたのだ。

「おまたせしました。〝夢の泡沫〟クリームソーダです」

 それが星原さんが持ってきてくれたクリームソーダである。


 クリームソーダは結構クラシックというか古風な飲み物だとわたしは思っている。

 今どきの人たちの中では、パフェなんかに取って代わられているような。微妙な位置にあるものだと。


 そんなクリームソーダのことがわたしは結構好きである。これは、あんみつと同じく祖母の影響だ。

 小さい頃外出先の休憩の時に、甘味処ではあんみつ。カフェ……その頃は喫茶店といってたかも……ではクリームソーダを祖母は頼んでいた。時々、コーヒーフロート、でもこれは子供のわたしの舌には馴染まなかったので、わたしは自然とクリームソーダを好んで食べるようになっていた。


 幼いわたしは、クリームソーダを上手に食べるのが苦手だった。

 クリームソーダの食べ方に上手も何もあるのかと言われそうだけど、そこはそれ、うまく食べないとグラスから泡が一気呵成いっきかせいにあふれだしてくるのだ。

 よくテーブルの上をソーダ浸しにしては、子供なりに無念な気持ちになっていたものである。

 大げさだけど、失敗を何度もやって、クリームソーダの食べ方を学んで行ったと言ってもいい。段々と上手に食べられるようになった。


「ちょっと仕事のことで落ち込んでて……」

「ああ……そうなんですね」

 星原さんは答えとともに目を細めた。その笑顔はなんとも言えず温かく優しい。

「でも多分、クリームソーダで元気が出るはずです!」

「ふふ、そうだといいね。ささ、溶けないうちに」

「はい!」


 まずは氷を避けてグラスにストローを差し入れ、少しグラスの中のソーダの量を減らす。こうすると当たり前だけど泡立ってもあふれにくくなるのだ。

 口の中には、ぱちぱちという強い炭酸の刺激。やや炭酸が強いくらいの方が、この後のアイスを楽しむのにはいいかもしれない。そしてわざとらしいメロン味、これもまた楽しい。


 ソーダが減ったあとで、パフェ用の長いさじを手に取る。さっくりと、少し柔らかくなったアイスに匙をいれて口に運ぶ。炭酸を和らげる優しい甘さ、口の中がまろやかになる。

 そこからまたソーダを飲む。次にアイス。その繰り返しだ。


 アイスクリームが氷の所まで減ったら、お楽しみが待っている。氷とメロンソーダにくっついて、ちょっと質感のかわった部分のアイスが、わたしは大好きだ。

 丁寧にパフェスプーンでこそげとって食べる。


 アイスがなくなったあとは、ゆっくりソーダを飲み干し、最後にとっておいたサクランボ。

 しんなりとしたシロップ漬けの赤いサクランボで、わたしのクリームソーダは終わりを迎える。


「……ふう」

 すっかり食べ終わってしまった後。

 わたしの中の不安も不満も、そういう負の感情が全部あぶくになってはじけてしまった気がした。

 不思議な程に、心の中に残っていなかった。


「あ、いい顔になってる」

 星原さんが笑う。

「ほんとですか?」

 わたしも笑った。


 そう言えば、今日の外はカンカン照りの夏日だった。もう春の寿命もほんのわずかで、そのうち梅雨がやってくるのだろう。

 こんな日にこそ、クリームソーダっていうのは、気持ちのいい飲み物だ。

 夢のあぶくは弾けるときに、わたしの暑さと不安をすっかり一緒に片付けてしまった。


 後のわたしは、休日の長い時間をまれぼし菓子店でのんびり楽しむだけである。

 一歩一歩、進んでいけばいいのだと、考えながら。

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