第9話 フルーツサンドの夜

「どぞ……〝皿の上の絵〟フルーツサンドです」

 綺麗に切られたフルーツサンドの断面は、芸術的だと思う。手に取る前に、絵のような素敵さにほっと息をついてみとれてしまう。

 ついでといってはなんだけど、今夜はもうひとつ珍しいものに目が釘付けになっていた。


 なんとホールの接客に木森さんがいるのである。


「星原が今日は休みで……」

 わたしの疑問と驚きが顔に出ていたのだろうか、木森さんはそう答えてくれた。あるいは、他の常連さんにも軒並み同じ反応をされたのかもしれない。


 ぎくしゃくと給仕してくれる木森さん。

 たまたま今夜は込み合っている。忙しい中でもくるくる器用に立回る手嶌さんの手も、さすがに全く余裕を作り出すことができない。それで、なのだろう。おそらくは普段から店には出ない約束になっていると思われる木森さんが出てきてくれたのは。なんだか悪いような嬉しいような……。


 木森さんはお茶をいれるのも早いとは言えないし、商品の解説も得意ではないようだ。さもありなんである。流暢りゅうちょうに喋ってる木森さんの想像はつかない。

 しかしテイクアウトのお菓子の包装はさすがに早いし、盛り付けだっていつもやってるからお手の物だ。ただ普段ホール担当の2人と比べるとホールにおいて総合的には劣るということになるのだろう。


「木森ちゃん、こっち後でいいよ」

「こっちも」

「あ、わたしもゆっくりで大丈夫です」

 常連さんが声をかける流れにわたしも乗ってみた。彼は済まなそうにぺこりと会釈する。

 彼の気持ちに何となく想像がついてしまい、目が離せなくなる。いったんフルーツサンドに伸びた手も引っ込んでしまう。


 優しい声をかけてもらうと、本当に本当にありがたい反面、自分がとても情けなくなってしまう。

 わたしも入社して間もない新人の頃に経験したのを思い出した。

 何も悪くはない。慣れてないのだから、まだ出来なくて当たり前。ここから慣れて出来るようになって行けばいいだけで、必要以上に自分を責めても非合理だ。

 そうはわかっていても、山積みの仕事を前に、自分だけ全く終わらないと、段々気持ちが折れてくる。

 誰かのふとした優しさを受けると、涙がこぼれてしまいそうになる。

 ……木森さんがそこまで思っているかは別として、今忙しく焦りながら頑張っている彼のことを見ていると、そんなことを思い出さずにはいられないのだった。


「……お待たせしました……お茶、あ」

「ありがとうございます。ん?」

「フルーツサンド。乾いちゃうから……早く食べたほうが」

「あっ。ありがとうございます。すみません」

 はらはらと木森さんを見つめていたら、せっかくのフルーツサンドを干からびさせるところだった。木森さんも見られているのはわかっていたようで、苦笑混じりに、

「心配、ありがとう……」

 と言ってくれた。二人で顔を見合わせて照れ笑いをした。


 うん。お茶も来たしここは木森さんお手製の芸術、フルーツサンドを早々にお腹におさめるべきだな。

 そう決心して私はフルーツサンドを一切れ手に取った。


 使われているのはキウイ、バナナ、イチゴ。フルーツの色合いの美しさがまず目を引く。そしてたっぷりとした生クリームを遠慮なしに塗られた食パン、その柔らかさ。手で持った時にわずかに感じられる乾燥の気配を、振り切るようにして早々に、かぶりつく。

 ぱくり!と噛み付けば、じゅわっと溢れてくるフルーツの甘みと酸味。そしてどこまでもまろやかで爽やかな生クリームの食感と味。

 キウイといちごは甘さとすっぱさのバランスがよく、バナナはどこまでも甘い。それでいてみずみずしいのがフルーツサンドの魅力だ。

 耳を落とした食パンにこれらのものを挟むと考えた人は天才だと思う。こんなにシンプルなのに、こんなに柔らかくて甘くて爽やかで、美味しい。

 一切れをあっという間に平らげて、紅茶で一息を入れる。


 もう一切れも無心に食べる。食べるのが下手で、サンドの脇や後ろからクリームがはみ出るのはわたしだけだろうか……とまれ、注意深くこぼさないように食べるのもまた楽しみの一つだ。

 あんなに生クリームが入っているのに、あっさりと食べきれてしまい、食後の感覚も爽やか。フルーツサンドの素敵なところだと思う。


 フルーツサンドを食べ終わる頃には、穏やかな夜が戻ってきていた。

 お店の混雑は落ち着いて、お皿なども片付けられ、テイクアウトのお客さんももう皆はけたようだ。

 木森さんの方を見ると、安堵したような、ありがたいような微笑をわたしに見せてくれた。


 お客さんが落ち着いたのでホールを手嶌さんに任せてバックヤードに戻る前に、彼はわたしの席の前に来て、

「アンタが出てきた菓子に手をつけないなんて、余っ程心配させてるのかってすげぇ焦った」

「……わたしいつもそんなにがっついてます?」

「割と。」

 お恥ずかしい。

「出来たて食べて欲しかったから、焦ったよ」

 食べてくれてよかった、と笑いながら木森さんはバックヤードに戻って行った。

 確かに、作った人は出来たてを一番いい状態で食べて欲しいよね……。お互いにお互いのことを見てはらはらしていたのかと少しおかしく思いながら、わたしは空っぽになったお皿をながめながら紅茶をすする。


 初心を思い出す、ちょっと忙しくも優しい夜だった。

〝皿の上の絵〟フルーツサンド。食べ終わったあとの白い皿もまた、ひとつの絵のよう。

 空っぽのお皿といっぱいのお腹。

 わたしも卵の殻をつけたヒヨコのようだった頃から見ると、少しは進歩しているのかもしれない。

 紅茶を片手に、フルーツサンドの夜は更けていく。

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