第8話 至福のクリームあんみつ

 そもそもわたしは黒蜜が好きだ。あのこってりとした甘み、癖になって仕方がないのだ。

 眼前の器はちょっとごつい感じの陶器のもの。その中には、まず寒天。それにみつ豆。求肥ぎゅうひ。干しあんず。アイスクリームにあんこ。そしてちょこんと赤いさくらんぼ。少し大ぶりのさじが添えられている。

「おまけですよ」

 と入れてもらったのは白玉で、豪華な白玉クリームあんみつに。それにたっぷりと黒蜜をかけてしまう。

 かけ過ぎだとか、他の味が台無しだとか、いわせない。この器の中身全部はわたしのものだから。わたしの自由!



「ご機嫌ですね」

「わかりますか? やっぱり」

「それはもう」

 手嶌さんは満面の笑顔でクリームあんみつを運んできてくれた。わたしもたぶん同じような顔をしていたと思う。

 今日は苦労していた仕事の案件が無事終わったのでちょっと贅沢にカロリー摂取と決めていたのだ。

 それに、寒天だからヘルシーヘルシー!……まあ気休めとはいえ、何となくそう言うヘルシー志向の嬉しさはあるのだ。本当に気休めだけど。わかっているけど。


 あんみつは、元々はわたしの祖母の好物だ。

 小さい頃から祖母と出かけるのはちょっと特別な時間という印象が強くあった。普段食べ慣れないものを食べさせてもらえたり、おもちゃを買ってもらえたり、多少のわがままが許される時間だった。両親との外出とは全然違った。その特別の中の一つがあんみつだったのだ。

 祖母は昔ながらのスタンダードなあんみつを好んだけど、小さいわたしにはみつ豆と寒天の良さはよく分からなくて、なんといっても黒蜜とアイスクリームがいい! と、そういうことになったわけである。

 大人になった今でもその傾向はあって、いつまでも子供っぽいかな? と思うと少し照れくさい。照れくさいけどやっぱりこれを選んでしまう。


 そんな記憶を思い出しながら、最初のひとくちを匙で運ぶ。

 その時ふと気づいた。


「手嶌さんもご機嫌ですね?」

「ええ。僕の方はと言うと、クリームあんみつ、作るのが好きなんです」

「へえー!」

 それは意外な観点だった。

 食べる方ばかり考えている自分がちょっと恥ずかしい。


「それはまたどうして?」

「お客様の笑顔が見られるから、というのはもちろんとして。あんみつは箱庭みたいで、組み立てるのが楽しいんですよね」

 言われてみればなるほどと思う。組み合わせ次第で色んな形に完成する箱庭だ。

「僕の他にも喜ぶものもいるんですけど……とにかく」

 手嶌さんの言葉に以前見た小人の姿が脳裏に浮かんだ。まさかね。

「それで、〝素敵な箱庭〟なんです」

 ふわりと笑うその笑顔の、あまりの柔らかさにドキッとした。やっぱり手嶌さんはなんだか不思議な人だ。


 溶けてしまう前にどうぞ、と彼がお茶を用意してくれながら言うので、何気よりも食い気ということでどんどん食べてしまうことにする。

 バニラアイスの優しさが、黒蜜と合わさって懐かしい味わいに変化する。あんこも一緒に口に入れたら、ちょっとゴージャスな感じになって満足感も一入。干しあんずの素朴な美味しさ。白玉、もっちもち。これはあんこと一緒に食べる。

 そして求肥……大好きなので寄せて取っておく。これは後で食べよう、と一人でほくそ笑んで。

 みつ豆でいったん甘さから離れ、そのまま勢いで匙に乗せた寒天はぽくぽくぷりぷりしていて、食感がとても楽しい。それに絡むのはまたしても黒蜜だ。

 彩りとして楽しいサクランボもぱくりと食べてしまう。


〝素敵な箱庭〟のクリームあんみつは、食べる人がどう手を加えるのかまったくの自由だと思う。甘さ控えめでも、甘々でも、それぞれの箱庭を楽しめばいいのだ――この名前にはそんな意味が込められてる気がしてならない。


「猛然と召し上がりますね」

 はたと気づいて匙を止めると、傍らで手嶌さんが笑っていた。そういう評価をされるお客って、果たしているんだろうか。なんだか気恥ずかしくなって咳払いなど、する。

「溶けちゃう前にって思うとついつい……」

「わかります」

 そう同意してくれたものの、彼が焦ったり急いだり、慌てる様子って全然想像がつかないのだけれど……。


 素敵な箱庭のほとんどはもう食べ尽くしてしまい、最後にアイスクリームが少しと求肥が残っている。名残惜しい気持ちでそれを口に運び、ゆっくり咀嚼そしゃくして飲み下すと、食後のサーヴィスでもう一杯運ばれてきた温かい緑茶を手に取る。


「ふぅ……おいしかった」

 やっぱりまた満面の笑顔になっていたかもしれない。給仕してくれた手嶌さんもそうだったから。

 クリームあんみつを食べて冷えた体の中に、緑茶が流れ込んでいき、また温かみを取り戻してくれる。

 ひと心地着いた気持ちだ。


「もっと落ち着いて食べなさい」


 祖母の声が聞こえた気がする。

 小さい頃からいつも言われていた言葉だ。祖母は厳しい人ではないが、食いしん坊のわたしはよくそういう風な注意を受けた。

 仕方ないよ、おばあちゃん。こればっかりは、ついつい勢いついちゃうんだもの。


 心の中で弁明して、残りの時間はせめてゆっくり過ごそうと背もたれに寄りかかった。

 和風スペースの椅子にはお座布団がしいてあって、ほっこりした気持ちでクリームあんみつの余韻を楽しめるのだ。

 まだまだ、休日の夜は長い。

 頭を悩ませていた案件から解放されて、今夜は本当に自由だ。

 わたしは読みかけの文庫本をバッグから取り出し、読書に勤しむことに決めたのだった。

 温かな緑茶と。それとクリームあんみつの余韻とともに。

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