第16話 家庭訪問
夏休みも最終日。
空太郎は一足先に昨日高崎へ帰っていった。
最終日まで残ると言い張っていたが、始業式の前日に帰すのはさすがに非常識なので、ちゃんと送り届けた。
あれから金川先生とは一度連絡があったきり。
『とくに学校生活で問題は見られないそうですよ』
想定はしていた答えだ。真ちゃん自身が上手く隠しているか、教員が気付けないだけか。はたまた校長から口止めされているのか。
そのどれが真実なのかはわからないが、周りを頼っている余裕がないことは確かだった。
「今日で夏休みも終わるね」
「はい」
空太郎が帰ったあとも真ちゃんは家にきてくれた。そんなにピアノにハマってくれたのか。
「夏休みが終わったらさすがにもうこれないかな」
「いえ!土日だけでもお邪魔じゃなければきたいのですけど…」
どうでしょうか?というような目だ。
「俺としては全然問題ないんだけど、お父さんとかお母さんは大丈夫そう?」
真ちゃんが家にきて初めて聞く家庭の事情。
「それは…」
少し口ごもる。
「だいじょうぶだとおもいます」
「そっか」
やはり家庭のことは口に出したくないようだ。
というか、親も親だ。夏休みのほぼ毎日、日中は家で遊んでいた。一度くらいはどこで遊んでいるのか様子を確かめようとするのが親心というもの。
そして真ちゃんの『だいじょうぶ』にはどんな意味があるのか。
「そしたら来週からもピアノの練習しよっか」
「はい!」
とてもいい笑顔で返事をする。この笑顔がずっと続きますように。そう願わずにはいられなかった。
一週間後の土曜日。半日待っていたが、真ちゃんが家にくることはなかった。
前回とは異なり今回は会う約束をしている。ましてやあれだけ真面目な性格の子だ。なにかあったのではないかと気が気でない。
時刻は日の入り前の午後七時。今回ばかりは様子を見に行こうと決意する。
「クオ、散歩いくよ」
「ウォフ…」
渋々だが、ついてきてくれるようだ。なんだかんだ言って飼い主思いなところがかわいらしい。
真ちゃんがいつも帰る方向をクオと歩く。日も暮れて頼りない街灯と家の明かりが足元を照らしてくれる。
家はところどころに散らばってはいるが、それでも田舎の集落だ。一軒ずつ表札を見て回ることも難しくはない。遠藤という苗字はこの地方ではかなり珍しい。そんな何軒もあるというわけではないので、一軒見つけられればビンゴだろう。
とはいえ改めて自分の状況を客観視すると夜な夜な小学生の女の子の家を探してうろついている不審者じゃないかと思えてきて、とても恥ずかしい気持ちになる。
そろそろ帰ろうか、あとで金川先生に一本だけ連絡を入れとこうかなどと考えていると—
「うるっせえなあ!!!!!」
「うおっ!」
思わず変な声が出てしまった。近くの家から男の声が聞こえる。明らかに異常な声量。とりあえず家の近くに寄って表札を確認する。
『遠藤』
…どうやらここが真ちゃんの家のようだ。中は大丈夫なのだろうか。一旦、近隣の家を見渡して明かりがついている家に様子を伺う。
『
「すみませんあのお家なんですが、普段もあんな感じなんでしょうか?」
抽象的に聞いてみる。
「あんまり関わらんほうがいいですよ」
「え…ちょっとまってくだ」
ものの数秒で扉を閉められてしまう。おそらくこういう文化なのだろう。危うきに近寄らず、ということだろうか。
そうこうしているうちに家の中でもさらに荒々しい声が聞こえてくる。ところどころに細々と聞こえてくるか弱い女の子の声がする。もう少し情報が欲しかったが、さすがにもう待てない。
携帯電話を取り出すと、緊急電話から110番に繋げる。
「事故ですか?事件ですか?」
「事件です。家の中から激しい男性の声と子どもの声がします。かなり激しく怒鳴り散らしていて、手が出ていてもおかしくないような状況なので、至急きていただけますか?」
「わかりました。場所はどちらでしょうか?」
近くの電信柱に記された住所を伝える。
「分かりました。至急向かいます」
さて、警察がくるまでまだ時間はある。やれることをやろう。
ここまでひどい状態だったのにも関わらず、ただ様子だけをみて何もしなかった自分がなによりも恥ずかしい。このけじめは自分自身でつけるべきだ。
「クオ、ここで大人しくしててね」
上手くいけば、明日には会いにこれるだろう。それまできっと近くの老人が世話をしてくれるはず。リードを近くの楔に繋げる。
くるりと踵を返して、今度は遠藤とかかれた表札がぶら下がった玄関のチャイムを鳴らす。
ピンポーン…。無視か。
「すみません!ちょっとうるさいんですけど!!!」
玄関をドンドン叩きながら苦情を入れる。すると中から誰か近づいてくる音がする。がらりと戸が開けられると中からいかにもという見た目の男性が出てくる。
「あ?うるさいって家のこと?てか、あんた誰?近くに住んでんの?」
身長も頭一つ分くらい大きい。体格もがっしりしていて、間違いなく俺が敵う相手ではない。それでもビビるな。踏み込め。
「さっきから怒鳴り声がうるさいんですよね。散歩してる途中だったんですけど、あまりにもうるさくって気になっちゃいました」
わざと癪に障るような言い方をする。
「それと中で小さい子の声しませんでした?何やってるんですかね?」
声の主の姿をまだ一度も見ていない。せめてどんな状態なのか気になって仕方ない。
「いや家庭の事情だから。なに偉そうにしゃしゃってくれてんの?お前」
「いや、何が家庭の事情だよ。虐待やってんだろうが。このクズ野郎」
警察がくるまでの時間がない。早くけりをつけたい。急に喧嘩腰になれば相手も冷静ではいられないはずだ。
「なにお前?誰に向かって物いってんだよ?あ?」
胸ぐらを掴まれる。軽く足が浮いてつま先立ちのような形になる。
するとその先に小さな少女の姿がふらふらと近づいてくる。間違いない、真ちゃんだ。
「ねえやめて!お父さん、その人関係ないでしょ?」
「てめえはすっこんでろよ」
近寄る真ちゃんにけりを入れる。小さなうめき声をあげてその場でうずくまる小さな体。普段長袖で隠されていた腕にはあざがみえる。
これで間違いない。安心して真ちゃんをこのクズ野郎から引き離すことができる。
顔を正面に向け、男の顔面をまっすぐ見つめる。この手の人間はどいつもこいつも似たような悪人面だ。ろくに罰も受けずに野放しにされてきた正真正銘のクソ野郎だ。
一人の人間の人生をめちゃくちゃにしておいて何も罰が無いわけがないということを分からせてやろう。
正面の悪人面に唾を吐き捨てる。
「ほら、かかってこいよクズ」
そこから先の記憶はない。ただ鋼のように固い何かが頬を打ちつけたことと、遠くからサイレンの音が近づいてきていたことは覚えている。
白い天井が眼前に広がっている。
顔面がじんじんと痛む。やりたい放題やってくれたなあ。
あの後、どうなったのだろうか。ナースコールを押して看護師さんを呼ぶ。
「あ、起きましたね」
おばちゃんの一歩手前くらいの看護師さんが駆けつけてくれる。
「あの後どうなりましたか?」
「ああ。女の子は無事でしたよ」
「そうですか」
それさえ聞ければいい。
「あと、警察の方が一度事情聴取にくるって言ってましたね」
「そうですか…」
正直面倒くさいが、相手も喧嘩を売られた押しかけられたというような言い訳はしたいはずだろう。とはいってもここから先は流れに沿っていればうまくいく。
問題は真ちゃんが児童養護施設に引き取られた後。里親問題だが—
「すいません。一度電話かけたい相手がいるので、外でますね」
「いやいや絶対安静ですから。あごの骨、ヒビ入ってますよ?」
まじか。
「あ、じゃあここで電話しちゃっても大丈夫ですか?」
「それなら大丈夫ですよ」
許可をいただいたので、近くのラックにおいてあった携帯の電話帳から『早川』の文字を探す。この表記も直さなきゃだな。
「もしもし、清宮?この前いってた飲みの話なんだけどさ—」
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