第15話 居場所
「おお~久しぶり!シンちゃん!」
空太郎が飼い主を見つけた飼い犬のように近づいていく。
「ねえねえ何してたのー?ピアノあきちゃったのー?」
「ちがうよ…あとちかいよ空太郎くん…」
いつもと変わらない真ちゃん。もちろん長袖なのは変わらないが、顔や足に目立った外傷はない。
やはり考えすぎだったか。
虐待児にとって一番つらいことは『自分の居場所がないこと』。
自分の居場所が家にないから、あたりをうろつくことがある。
だったら俺の家が居場所になればいい。自分の家に居場所がなくともこの地球のどこかには自分が居ていい場所があるんだよ、ということを教えてあげたい。
…と思っていたのだが、よく分からなくなってきてしまった。
「久しぶり、真ちゃん。さっそく弾いていく?」
「はい、おねがいします」
余計なことは聞かない。真ちゃんは空太郎とは違うタイプの勘のよさがある。適当なことを喋れば、俺が気にしていることにも気づいてしまうだろう。
とりあえずいつも通りのことをしよう。
一通り弾きながら教えていると急に空太郎が
「ねえー今日はひさしぶりに川でおよがないー?」
と言い出す。俺と空太郎の二人だったころは川に釣りにいったらたまに泳いで涼んでから帰ることがあった。
真ちゃんとも魚を捕りにいったことはあるが、まだ泳いだことはなかった。
「いや…およぐのはいいかな…」
「およぐのきらいなの?」
「そういうわけじゃないけど…」
「えー?なんでー?」
「…」
「きもちいいよー?」
頑なに嫌がっている真ちゃんも気になるが、さすがにこのまま空太郎を放っておくと何を言い出すかわからない。とりあえずフォローに入る。
「水着もないし今日はやめとこっか」
「水着なくてもおよげるよー?」
「女の子はそういうのいやでしょ」
「ああそっかあ」
「そういうこと」
あと今日は金川先生との約束の日でもある。一応念には念を入れてお会いしておきたいところだ。
「そういえば、今日ちょっとお昼出かけてくるけど二人でお留守番よろしくね」
「なに?おやつ?」
「違います。ちゃんとお仕事です」
「えー?奏が仕事してるとこみたことないー。ホントにはたらいてるのー?」
こいつめ…誰のおかげでクリーム付きプリンを食べれたと思っているのか。
実際の仕事はプログラミング。教師時代に授業で教えなければならなくなったときに必死で頭に叩き込んだのが活きた。外注で何件か依頼を受けてはこなしてというのを月に二件くらいこなしている。また家賃やローンがない分、支出も限られているのでそんな無理もしているわけでもない。
「というわけで、二人とクオでお留守番ね」
「クオ、まだ寝てるけどねえ」
あいつまだ寝てるのか…いい加減死ぬんじゃないかと不安になってくるぐらいぐうたらな犬。そこが可愛いんだけどね。
「それじゃあ真ちゃん、空太郎のことお願いね」
「はい、わかりました」
「俺がお願いされてるんじゃないの?」
「真ちゃんお願いね」
「はい」
「おお…」
なんとも納得していない顔の空太郎だが、空太郎の無邪気さは真ちゃんにとってもプラスになると信じている。心の中で空太郎に真ちゃんのことを任せて車のキーを回す。
しばらく水を啜りながら金川先生を待っていると、外にマツダのCX-30が華麗に駐車をキメていた。いいなあかっちょいい。対してこちらは軽のムーヴ。格差は一目瞭然。あっ隣止めないで。恥ずかしいから。
「初めまして、金川です」
眼鏡をかけたインテリ系の先生だ。なんというか、電話口から聞こえたとおりの真面目で自分を強く信じているような、そんな雰囲気。
「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます」
同じ水上町といってもなかなか広い。今回は金川先生が勤務している中学校の近くに俺が出向く形である。
注文を済ませるとさっそく本題に入る。
「水上南小に知り合いの先生はいらっしゃいませんか?」
真ちゃんの学区は水上南しかありえない。なぜなら他の小学校はいつも真ちゃんと別れるところから少なくとも10km以上歩かなくてはならない。さすがに小学生が歩ける距離ではない。
また、水上町のすべての小学校は中学校と統合されているので、小中の連携は問題ないはずだ。
「水上南…ですか。確かに連絡がとれない相手ではないですが…」
歯切れが悪い、ということは。
「あまり教育に熱心ではない、ということですかね」
「…あまり大きな声では言えないですがその通りです」
やはりか。これは想像できていた。当然校長や保護者、各教師のやる気によってそれぞれの学校の校風は変わってくる。たとえ同じ町内といえども差異が生じるのは当然のことだ。
「ちなみにですが、その児童と沖田さんはどのような関係ですか?」
「夏休みの間甥っ子を預かっているのですが、たまたま外で甥が彼女と友だちになって家に遊びにくるようになった、という感じですね」
嘘ではないと思う。
「そのときにたまたま気になったということです」
「気になるというのは具体的にどのような?」
「細かいところをいえばきりがないんですけど、やっぱり夏場で長袖ということと、僕の家が結構外れた位置にあるので、そこまでふらふらしているのはおかしいかなと」
「なるほど…勉強になりますね」
眼鏡の奥の瞳が大きく開かれる。清宮の言う通り熱心な先生のようだ。この先生になら踏み込んで話しても問題ないだろう。
「僕個人の願いとしては虐待の証拠を確実に掴んで、確実に親子分離にもっていきたいです」
「そこまで考えていますか…」
「はい。虐待という親子関係は間違いなく百害あって一利なしです。幼少期の成長に必ず悪影響を及ぼします」
そして一番の理由は―
「僕は人間は大人になればなるほど、変われなくなる生き物だと思います。児童相談所には保護者の更生プログラムが組まれていますが、僕は信用できない。更生したようにみせることは大人にとって造作もないことですから」
虐待という”
そうなる前に確実に”価値観の檻”から抜け出す必要がある。
やるからには徹底的に、と思っていたんだけどなあ。
「…といっても最近ぱったりとこなくなってしまったので、もしかして虐待されてるのかなと思っていたら、今日また家にきてくれるようになりまして」
本当にびっくりした。何があったのだろう。
「遊びに来てくれる間は間違いなく元気な姿を見せてくれているので、夏休みの間は様子を見ようかと思っています」
「なるほど、それは一安心ですね」
「そうなんですよ。一番は水上南小の先生から直接学校での様子が聞けることがベストなんですけどね」
ちらりと相手を見やる。なんとかお願いしたいですよアピール。
「…わかりました。一応話は聞いてみます。児童の名前はなんでしょう?」
本当にありがたい。
初めてあったときに伝えられた名前を言う。
「
「分かりました。遠藤真紅ちゃんですね。なんとか聞いてみます。なにか情報が分かり次第、また連絡しますね」
「はい、ありがとうございます」
連絡してくれるだけ助かる。ここまで話を聞いてくれる先生を紹介してくれるとは。清宮やるじゃん。
「ところで」
「はい?なんでしょう?」
「
そこまでいい思い出ないんだけどなあ…しかし、お世話になる身なので感謝の気持ちを込めてわかる範囲で答えていく。
今日は連絡を取ってもらえると分かっただけで良しとしよう。
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