第13話 自分主義
「もしもし、
「こちらこそ、お久しぶりです先輩。それと今は早川ではなくて
「そうだった」
「はあ…ところで先輩今なにやってるんですか?」
「自分探し…かな?」
「そういうとこ、ほんと変わってませんねえ」
早川は大学の後輩であり、元教師仲間でもあった。
他人の妻に連絡するのは少し気が引けたが、事態が事態であった。
「悪い、急ぎの用なんだ。確か、早川は
沼田市は俺の住む
「だから清宮ですって…はい。二年前の異動で
二年なら可能性はある。
「教員の知り合いで、水上の知り合いはいない?」
「はあ…そりゃ何人かはいますけど」
「連絡先教えてもらえないかな?」
「いやいや先輩今、一般人じゃないですか。というか、そんなの先輩の知り合いで探せばいいじゃないですか」
「俺の初任地は前橋だったし、利根地区の知り合いは一人もいないんだよ」
何人か部活の関係でお世話になったことのある先生はいたが、どの先生も定年退職されていたり、そもそも仕事を辞めていたりする。
現職かつ同じ県で数少ない気の許せる仲間の早川に聞くのが一番手っ取り早い。
「別にいいっちゃいいんですけど。まず、先輩なにしてるんですか?」
「自分をさが」
「はいはい。急ぎなんでしょ。ちゃんとしてもらっていいですか?」
「はい…」
しっかりした後輩だ。でも、教員歴ではもう俺のほうが後輩になるのか。寂しさもあるが、教員から逃げた俺からすれば、本当に立派な後輩だ。
「ある児童の学校での様子が知りたいんだ」
無論、昨日から家にこなくなった
「えっと…男の子?女の子?」
「女の子」
「こういう場合は通報であってましたっけ?」
「いや違う。違くはないけど、話を聞くのが先」
いきなり児童の様子が知りたいと言われたら不審者だと思って当然だろう。それがたとえ元先輩だとしても。
「虐待されているかもしれない」
初めてあったときからずっと違和感はあった。夏なのに長袖。焦点の合わない目線。なにより、夏休みの真昼間に友だちと遊ぶならともかく、一人で人里から外れた俺の家の近くをうろついていたということ。
ピアノの音が聞こえたからとは言っていたが、当然音が聞こえるのは俺の家のすぐそばを通らなければならないし、あんなに外れた道を一人で通るのはどう考えてもおかしい。
「なるほど…でも、それなら利根地区の児童相談所が一番確実なんじゃないですか?」
確かにそれで間違いないだろう。虐待、及びその疑いがあると一般人が感じた場合は、近くの児童相談所に勧告することができる。そのとき勧告した人間の匿名性は守られるし、仮に虐待という事実がなかったとしても何の法に問われることはない。
「でも、それじゃあダメなんだよ。仮に勧告を受け入れてくれて訪問に行ったとしても、そのとき虐待の痕が認められなければ、児相は虐待をなかったことにしかねない」
もちろん、各児童相談所によってやる気の違いはみられるが、親と子という非常に繊細的な事案だ。どうしても慎重になってしまう姿勢にもある程度の理解はある。
「つまり学校での様子と照らし合わせて確実に虐待の証拠をつかむ、ってことですかね?」
「そういうこと」
理解の早い後輩で本当に助かる。
「でも、学校側としては虐待の疑いがあれば真っ先に児童相談所へ通告していると思いますよ?」
「みんな早川みたいにいい教員だったら、そうなってるね」
「…」
「別に責めているわけじゃないよ。俺も教員から逃げたわけだし。今更言えた義理じゃないけどさ」
それでも教員ごとに意識が違うのは間違いない。特に全日本高校制度ができた後の義務教育段階である小中学校では顕著。
「でも、仮に先輩が学校と連携をとれたとしても、やる気のない学校が動きますかね」
「そのために個人で連絡をとろうとしてるんだな」
日本人には「だれか助けて!」という言葉で動かすことはできない。確実に動かすには個人の目をみて「あなたが必要なんです」とお願いする他ないのだ。個人のお願いとなれば断りづらい、日本人の気質を利用させてもらう。
「なるべく、若くてやる気のあるタイプがうれしいんだけど」
「そんな都合のいい先生がいるわけないですよ…と言いたいところですけど、水上ならいい先生一人知ってます。その方に事情を話してみますよ」
「さすが早川。顔の広さじゃ右に出る者なしだね」
「私は小顔ですよ。ぶっ飛ばしますよ」
「そういう意味じゃないって…実験ばっかりやってるから日本語不自由になっちゃったんだねかわいそうに…」
「はあ?毎日数式とにらめっこしてたコミュ障と一緒にしないでもらえます?」
言葉遣いはでたらめだが、早川は理科の指導ではかなり分かりやすく面白いと評判だった。
「なあ、早川は
「きましたよ。断りましたけど」
きっぱりという。
「
「でも附属なら中学校でしょ?十分やれたんじゃない?」
「いえ、私の主義に反するので」
「主義?」
そういえばあまり根の深い話をこいつとしたことはなかった。
「やっぱり、教育の本質って公立にあると思うんです。どんなに優秀でも、どんなにダメダメでもいろんな人がたくさんごちゃまぜになった学校でしかわからないことってあると思うんですよ」
驚いた。普段理科の実験ばかりしている実験バカだったからこんな真面目なことをいわれると面喰ってしまう。
「驚いた…早川って意外と考えてるんだね」
「だから清宮ですって…意外とはなんですか意外とは」
「いや、本当にいい先生だなって思ったよ」
「なんですか急に」
こんな素敵な先生もまだ残っているんだな。
「連絡したのが早川でよかった」
「それはどーも」
「いいお母さんになりそうだ」
「…はあ?」
「ごめん、冗談」
「ふざけないでください、このニートめ」
それはいってはいけないよ早川くん…一応働いているっちゃ働いてるのに…
最後に一つ、質問。
「もし、仮に子どもが
「そんなの認めるに決まってるじゃないですか。バカなんですか?」
バカとまで言いますか。話の続きを聞く。
「さっきの主義は私の主義なんです。子どもには子どもの主義があって当然なんです。だから自分の価値観を押し付けるなんてことできません」
「…そっか」
思わず涙が出そうになる。こんな素敵な人がいたのなら、もっとたくさん相談すればよかった。自分だけで抱え込まずにたくさん話せばよかった。そんなことをつい思ってしまう。
「もっと早川には連絡しとくべきだったなあ」
「なんですか?後悔してるんですか?私、もう人の妻なのでダメですよ?」
「そっか。惜しいことしたな」
「言うのが遅いんですよ。そんなんだから…」
なにやらもごもごしている。
「なに?」
「そんなんだから婚期逃すんですよ!この行き遅れ!」
「おいこら…まだ可能性あるだろ…」
実際にはそんな可能性、もう一ミリも残っていないが。なにより自分自身がその可能性を信じれなくなってしまった。
「先方からの連絡がきたら、頼むね」
「わかりました」
「それじゃあ、またね清宮」
「はい、先輩」
「あ、そういえばなんですけど」
通話を切ろうとした瞬間に清宮が声をかけてくる。
「その女の子とはどうやって知り合ったんですか?」
当たり前の疑問だろう。俺も正直に答える。
「ピアノ弾いてたら家にくるようになった」
「やっぱり通報が先ですかね」
「警察は勘弁して」
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