第6話 ただ前へ進め

「それでね~」

母さんは専業主婦ということもあって、日中暇なせいなのか夕飯のときはずっとおしゃべりだった。マジ専業主婦って日中なにやってんだろうな。

「そうなんだ」

たぶんこの話三回目。そんな話にもしっかりと相槌を打つのは最低限の親孝行だと思っている。

「そういえば、明日は結局お父さんの車に乗せていってもらうの?」

「駅までね」

受験会場への交通手段は基本的に公共交通機関を利用するようにというお達しがあったが、母は車で向かったほうがいいんじゃないかと言い張ってた。ちなみにその場合の運転手は親父。

それでも、車だと万が一渋滞や交通事故に巻き込まれた場合に考慮されないことがあるため、電車で向かうという話になった。

「どう?調子は。受かるの?」

相変わらずの直球ドストレート。繊細なやつならこの一言をきっかけに調子を崩すまである。

「わかんないけど、なんとかなるでしょ」

「わかんないってそんなことないでしょ。手ごたえとかは?」

「本当に分からないんだって。全日ぜんにちの試験は勉強だけじゃないから」

「ふーん。そっか」

おっと興味を失ったようだ。

たしかに親としては「受かるか」「落ちるか」という結果にしか興味ないよな。

「ごちそうさま」

食べ終わった食器を水に浸す。

そのまま洗おうとすると、

「ああ、食器そのままでいいから。勉強してきなさい」

というお言葉を頂戴したので、ありがたく自室に戻らせてもらう。


親父の帰りは大体七時ごろだが、いつからか母さんは親父抜きで俺と夕飯を食べるようになった。

別に親父の帰りを待って一緒に食べることも充分できるが、「成長期の息子に早くご飯を作りたいから」というように俺を建前にして先にご飯を作っている。

稼ぐものは稼いでもらって、いただくものはいただいているのにその態度はどうなのかと本気で神経を疑っている。

もうすぐこの家庭ともおさらばだと思えば気は楽になるが、もし全日ぜんにちに落ちてしまったら…と考えると身の毛がよだつ思いだ。


約1.5倍。それが全日本ぜんにほん群馬高等学校ぐんまこうとうがっこうの二次試験の倍率。

3人に1人落ちる。人によってこの倍率の印象は変わるものだが、まったく安心できる倍率ではないということは確かだ。

といっても推薦をもらった後は面接と特別試験で決まるようなものなので、今できることはせいぜい面接で聞かれそうなポイントのおさらい程度。

母さんが勝手に買ってきた『高校受験で聞かれるポイント50選!』というブロガーがつけたような薄いタイトルの本をぺらぺらめくる。


なぜここまで受験が簡易的になったのかといえば、間違いなく「普段の授業がそのまま成績に反映されているから」である。

もともとウイルス流行前から映像教育を行っている学校はあったが、ウイルス後は本格的に教師がいらなくなり、授業のほとんどを映像で行うようになった。

暇を持て余した教師たちは代わりに机間指導に注力することができるようになり、授業態度や思考力といった、従来の授業ではしっかりと見れていない部分を見るようになった。

おかげさまで、中学一年から中学三年までの三年間はまじめないい子ちゃんを全力でこなすはめになったが。

つまりは学力では掛橋に劣る俺もを比較したら上になる、ということだ。だから、推薦は俺一人だった。


なんとなくぺらぺらとページを進めていたわりには時間がたっていたらしい。玄関の開く音がする。どうやら親父様のご帰還らしい。一応明日のことについて話をつけておきたい。

「おかえり」

「おう、ただいま」

いつもの無機質なやりとり。

「明日、七時前には出発したいんだけど、大丈夫そう?」

「わかった」

「ありがと」

それだけ言うと親父はそそくさと着替えにいく。

この用件だけの会話は「ザ・男の会話」感があって俺にとっては楽でうれしいものである。

ただ、俺がいなくなったあと、あの母親とうまくやっていけるのか少し心配だが。

あっさり離婚とかになったらどうしよう、とか考えてしまう。

どっちについてこうかな…やっぱ親父かなあ。

理由は金。以上。


だけど、決して親父にまったく不満がない、というわけではない。

確かに専業主婦の母さんと俺を養ってきてくれたことには感謝しているが、そのぶん家庭内のことにはとことん無頓着で、夏休みの間、俺を奏に預けるという話をしたときも「いいんじゃないか」といって一発OKがでた。

別に決して構って欲しいわけではないけど、さすがに興味なすぎだろ。一人っ子の息子だぞ?もはや愛人との子なのかな?と疑っちゃうレベル。

そんな無頓着っぷりを発揮するものだから、母さんも嫌気がさしているのだろう。めっきり会話が減った原因も少しは親父にあると思っている。



家族のことを考えているとどうしても気分が落ちてしまう。明日試験なんだけどな…落ちたらもう三年この家にいることになるんだけどな…

ヤバい。気分落ちてきた。こういうときはあのバカどもの声が聴きたくなる。この時間、圭仁はおそらくサッカーの自主練をしている時間。もう一人のバカは同じく合格前の人間ではあるが、絶対勉強してない。だから気をつかうことなく電話をかける。

色とりどりの絵画アイコンをタップすると、香ちゃんはワンコールででてくれた。

「なに?」

わお、不機嫌。

「めっちゃすぐ出るじゃん。もしかして待ってた?」

「は?ゲーム中だったんですけど?フルコン中だったんですけど?」

「うわあ…」

なるほど。それは許されないやつだ。

「わり、じゃあ切るから」

「は?」

「だって、ゲームやってたんだろ?申し訳ないし、続けなよ」

「いや、お前が電話切っても私のフルコンは返ってこないからな?」

間違いない。

「面接でさ、『あなたの長所は何ですか?』って聞かれたら香ちゃんなんて答える?」

「美人、絵がうまい、そして美人」

「はい合格」

「うるせえよ」

マジでこれで合格してきそうだから怖い。

「で、なに?不安で寂しくなっちゃったのかい空太郎くん」

「さすがよく分かってんじゃん。試験前になにか激励ちょうだいよ」

「うっわ、かまちょかよ…」

確かにちょっとかまってちゃんだったかもしれない。そう思うと自分の行いが急に恥ずかしくなってくる。

それでも言葉を返してくれるのはさすが幼馴染。

「仮にこの試験で落ちて、将来的に空太郎がプー太郎になったら、そのときはアシスタントとして雇ってやるよ」

「…かっこよすぎでしょ香ちゃん」

「まあな。私は日本で一番になるからな」

この強気発言はぜひ見習いたいものだ。

「日本一(仮)の香ちゃんはさ、もし絵で食べていけなかったらどうする?」

ちょっと意地の悪い質問。

「(仮)言うな。…それでもバイトでもなんでもしながらやっぱり絵を描き続けるかな。私にとって別に就職なんかどうでもよくって、ただ自分の表現したい絵を描きたいだけなんだよ。それさえできれば十分かな」

「女だったら惚れてるところだわ」

「去勢したろか、こら」

こいつはいつも落ち込んでいる気持ちを吹き飛ばしてくれる。

絵画で食っていくということは個人事業主になるということ。つまり、レール制度の対象外。正直厳しい道のりだと思う。

今からそんなことに不安を覚えるのもどうかと思うが、安定志向が強い日本国民の中ではかなりイレギュラーな存在といっても過言ではないだろう。

こういうやつが安心して絵が描ける環境が社会人になってもあればよいと、心の底から思う。

「いやあ満足満足。やっぱ持つべきは幼馴染だわ」

「で?結局なにがしたかったの?」

「いや、声聞きたかっただけ」

「…は?」

「うん?」

「キモい」

「いやいや愛でしょ」

「はいはい、わかったから。明日試験なんだからもう寝なよ」

「まだ、九時にもなってねえよ…おやすみ」

「はい、おやすみ」

なかなか強引に切られる。それでも元気が湧いてくる。ありがたい。



熱めの湯船に浸りながら沸々と考えを巡らせる。

香ちゃんは自分の進む道を自分で選んで、走り始めている。

圭仁も目先のことに集中しているように見えるが、しっかりと将来を見据えている節がある。

そしたら俺は。

俺の進む道は、もしかすると遠回りかもしれない。

それでも、全日ぜんにちしかない。

着実に、確実に前へと進むには。

ただ前へ進め。

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