第5話 家という名の檻
「ただいま」
「おかえり、空太郎」
帰宅すると、夕飯のいい匂いが漂ってくる。
まだ、五時前だというのに、すごい張り切りようだ。
「母さん、もう夕飯できるの?」
「うん。もう少ししたらできるよ」
いや、張り切りすぎだろ。カツとか出てくるのかな。
「ちなみにメニューは?」
「そりゃあ、カツでしょ」
でてきちゃったよ。
「わお、うれしい」
まあカツ美味しいし、別にいいけど。
それでもやっぱり、親父待たないんだな。
「部屋で明日の準備してるから、できたら呼んで」
そう言い残して自室にこもる。
家は典型的な普通の家。親父はサラリーマンで母さんは専業主婦。そして一人っ子の俺はのびのび育つ。
と、すべてが上手くいくというわけでもなく。
親父は俺にはほとんど興味がないが、俺の実績だけはみてる。
結果さえ出していれば、一切文句を言わないところは正直助かっている。
逆に母さんは息子には束縛をしてくるタイプ。
ただ問題はその後で「寮に入る」と伝えたときは戦争だった。
「冗談でしょ?」「ここからでも通えるでしょ?」と何度も言われたし、そんな金ないとまで言われた。いや、
昔はあんなにほったらかしだったのに、人は変わるもんだなと思いつつもいい加減うんざりしてきたので、「俺を家に置いときたいのって、親父と二人きりになりたくないからでしょ?」と隠したい本音をさらけ出してやったらひっぱたかれた。
本当に面倒くさい。そんなんだったら結婚しなければいいのに。
そう思った時期もあったが、このズレのおかげで
母さんの弟。つまりは叔父。
一般的な呼び方なら『おじさん』と呼ぶものだが、馴れ馴れしく”そう”と呼んでいるのは俺が初めて奏と会ったときに「そー!」という、よびやすさにハマったからだ。
母さんからは「ちゃんとおじさんってよびなさい」と言われたが、奏自身が「名前のほうがうれしいから大丈夫だよ」と言ってくれた。
それ以来、ずっと名前で呼んでいる。
初めて会ったのは小学一年の夏休み。
それ以前にも会ってはいるらしいが、ちゃんと認識したのはこのときが初めてだ。
一人っ子特有のわがままを拗らせていた俺に危機感を覚えた両親が、元教師だった奏に夏休みの間、俺を預けていたのがきっかけ。
夏休み中、ずっと俺の相手をするのも面倒だし、ついでにちょっと賢くなってらっしゃい作戦である。
当時は「なんでこんなとこにいなきゃいけないんだ!」とかなり喚いたらしいが、今となってはあれが人生の転換期。
両親ができる最高の教育で最大の英断だったと思う。
奏の家は同じ群馬県ではあったが、かなり北寄りの
車中から見える風景に緑が増え始め、窓から感じる風に程よい冷たさを感じていたところで奏の家についた。
初めて見る奏の家はまさに「日本の家」という感じで、平屋の一戸建てだった。
一人で住むにはあまりに大きい家だったが、遊ぶには都合がよかったので、そのあたりは特に何も考えなかった。
初めて嗅ぐ畳の匂いや指で突くと子気味よい音と感触で破れる障子は新鮮だったが、古臭い雰囲気は正直あまり好きではなかった。ちなみに障子に関しては後からちゃんと怒られた。
奏の第一印象は「弱そう」。親父の文鎮のような雰囲気と比べると、あまりにほわほわしているし、母のライオンのような気の強さと比べれば、なんでもいうことを聞いてくれそうな雰囲気だった。
あと、変なかっこう。後でそれが弓道の道着だとわかるのだが、初めてみたときは「コスプレ」というやつだと勝手に思っていた。
母と何やらしゃべっていたが、「じゃ、いい子にしてるのよ」という母の言葉を最後に見知らぬおじさんと二人きりになった。
実際奏はかなり若く見えて、おじさんというよりかはお兄さんだったが。
その「お兄さん」な見た目も相まって、名前で呼び続けることに抵抗がなかった。
小学一年の記憶なんてほとんど残っていないけれど、初日に連れて行ってもらった渓流釣りはよく覚えている。
いきなり知らない兄ちゃんと二人きりにされた挙句、なんにも遊ぶものがなくてげんなりしていた俺に、奏がいきなり「夕飯採りにいくよ」と言って連れ出した。
「は?ごはん、かってにでてこないの?」「かえばいいじゃん」と思い込んでいた俺にはなかなかの衝撃で、よくわからない事態に困惑したが、手に持った長いもので何をするのかちょっと気になったので、大人しくトテトテついていった。
道中、背の高い草木が生い茂る道を歩かされると、肌を撫でるぞわぞわした感覚が無性に気持ち悪かった。じめじめしていて、足場も悪く、虫もブンブン飛んでいていい加減にしろと思っていたが、耳から感じる何かが確実に近づいている音には興味があった。
緑の隙間から青が覗き始めると、目的地の川に到着した。
初めて間近で見る川は壮大で、大きな生き物のように感じられて。
ただ、間違いなく家にいるだけでは得られないであろう、感動が確かにあった。
奏が何も言わずに先に竿を垂らすと、俺も真似るように木の棒を振りかぶる。
でも、奏のように狙ったところには投げられなくて、針が服に引っかかったときはふざけんなと思った。
それまで特にしゃべることのなかった奏だが、そのときはちゃんと助けてくれた。
「もう一回みてて」
そういうと、針を水面に投げる。
「はい、やってごらん」
どうすればまっすぐ仕掛けが飛ぶのかちゃんと教えてくれないし、みても全然わからなかったが、奏がやっていたのをなんとなく真似てみると今度は近くの丸石に仕掛けがぶつかった。
おお、前にとんだ。
もう一回振りかぶる。
すると今度はちゃんと川へ仕掛けを投げ入れることができた。
おお、すげえ。
隣をみると奏は優しく笑っていた。
そこからはとにかく仕掛けを投げれることが楽しくなってしまって、本来の目的を忘れてしまったが。
結局、奏が釣ってくれたヤマメを二人で美味しく塩焼きにしていただいた。
それまで魚料理はあんまり好きではなかったが、わざわざ川まで歩いた苦労と、自力で食べ物を採った(と感じられる)達成感も相まって今まで食べてきた魚の中でも、とびっきり美味しく感じた。
見るものすべてが新鮮で、本当に毎日が楽しかった。
それまでの普通というものが崩れ去っていき、非日常が日常になっていった。
学校では教えてもらえない、知らないことがたくさんあった。
結局、俺は夏休みが近づくと、奏の家に行くことを願うようになり、小学一年から四年までの間、夏休みはほぼ全て奏の家で時を過ごすことになる。
さて、話を戻そう。
奏に預けることがなぜ最高の教育なのか?
家というのは『価値観の檻』だ。
裕福も貧困も循環する。
金持ちの子どもは金持ちになり、貧乏の子どもは貧乏になる。
それはなぜか?
多くの人間は”親の価値観から抜け出す方法がないから”だ。
子どもは人生の大部分を家で過ごす。
部屋の片づけ、勉強に対する意識、モノの見方や考え方、エトセトラ…
どんな小さなことでも、少しずつ、そして確実に染みついていく価値観。
それが”ふつう”という概念に代わり、固定概念と化す。
例えて言うならば恋愛。「価値観が合う相手」というのはまさに「家庭環境の近さ」なのではないだろうか。
では、俺はどうなのか。
この家の価値観に飲まれて、『普通』になったのか。
いや。
俺はそうはならなかった。
俺は間違いなく奏のおかげで変われた。
多角的に事象を捉える視野を与えてくれた。
深く考える思考力を鍛えてくれた。
自分で考える大切さを教えてくれた。
もう、俺はすでに価値観の檻から抜け出していた。
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