現代百物語 第26話 落ちる

河野章

第1話 現代百物語 第26話 落ちる

 谷本新也(アラヤ)は少し変わった体質を持っている。

 ありとあらゆるホラーやオカルトな現象を引きつけてしまう体質なのだ。

 そんな彼の日常には怪奇がつきまとう。

 道を歩けば影が語りかけてきて、常連の店では普通とは違う客に遭遇する。

 今日も今日とて、彼は職場から向かいのビルを見つめてた。

 見上げた屋上に女性が立っている。

 柵のこちら側だ。

 あと一歩で空という場所に彼女は凛と立っている。

 長い髪が風になびいて、表情は見えない。

 ツーピースのジャケットスーツのスカートが、翻る。

 何の躊躇もなく、彼女は前へ倒れた。

「……」

 新也は騒がない。

 彼女が現実のものではないと分かっているのだ。

 頭から真っ逆さまに、風のせいか体を途中でくるんと反転させて彼女は落ちていく。

 新也の席からは彼女の落ちた先は見えない。

 ただ、耳を塞ぎたくなるような……重い水袋を叩きつけたようなドンともグシャともつかぬくぐもった音が聞こえた。

 その音を聞いて、新也は仕事を再開する。

 時間にしてほんの数秒だ。

 それは毎日だった。

 時刻は昼休憩の少し前だ。

 その時間だけ、新也は窓の外を見る。ちょっと休憩するふりをして彼女を見る。

 見てしまう。

 綺麗な髪を舞わせて、さあっと落下していく彼女。

 駄目だと分かっていた。毎日見つめては。

 けれど新也は彼女のその、髪の向こうからこちらを見つめている目を感じてしまう。

「ちゃんと見てる?」

 とでも言いたげな瞳。

 見るのを止めなければならない。頭では分かっているが、止められない。

 先輩である藤崎柊輔に、柄にもなく相談してみた。

 藤崎は明確に答えた。

「現実をみろよ。彼女には触れもしないんだぞ」

 ニヤッと笑われて、だんまりで返す。

 分かっていた。

 分かっているから困っているのだ。

 魅入られている。そうも思う。

 新也は現実を見ることにした。

「お昼、行ってきます」

 新也は職場で隣の同僚に声をかけた。

 仕事が比較的暇だった日だった。

 彼女が落下する予定の数分前だった。

 向かいのビルへ、彼女の落下する地点へ新也は出かけた。

「……」

 新也は向かいのビルの前で上を見上げた。

 いた。

 彼女は下から見上げるととても小さく儚く見えた。

 美しい髪がなびいている。

「っ!」

 落ちてくる。

 新也は一歩仰け反った。

 真っ直ぐに、そして風に翻弄されつつ、落ちてくる。

 手足がバラバラに動く。

「っ……」

 声は出なかった。

 彼女は地面に叩きつけられて脳漿を飛び散らせていた。

 首が妙な角度で曲がっている。

 地面へと伏せた顔は見えなかった。

 その他は、大きな傷もなく横たわる彼女。

 美しい髪の下から赤黒い液体がどくどくと流れ出ていた。

 新也は思わず手を伸ばした。

 その足元から、冷たい声が聞こえた。

「だあれ?」

 ぞわりと背筋が凍った。

 ケラケラとあざ笑う声が伏せた顔から聞こえる。

 起き上がろうかとするかのように、もぞもぞと両肩が動き出す。

 悪意と冷笑。

 それ以外の何ものでもなかった。

 人間じゃあない。

 彼女は……。

「ずっと見てたでしょ……?」

 耳元で血反吐を吐くような、粘りつく声がした。

「うわあ!」

 新也はその場に尻もちをついた。

 勿論周囲には何もない。

 もう一度見上げると、ビルの屋上に小さく彼女の姿が見えた。

 

 それから新也は、向かいのビルの屋上を眺めることを止めた。



【end】

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