トレードオフ
@araki
第1話
『満足度No.1。当店はお客様に最適なプランを提供いたします』
寂れた路地裏、そこに貼られた真新しい張り紙に導かれるままに私は階段を降りる。常ならば相手にしない文句も、今の私には天井から垂らされた一本の糸に思えてならないのだ。
「ようこそお越しくださいました」
扉を開ければ、柔和な笑みを貼り付けた店員が私を出迎える。彼はすぐに傍のソファーを手で示し、頷いた私はそこへ腰をかけた。
「早速お話をお聞かせいただけますか」
「金を貸してくれ」
店員は私の率直な物言いに一瞬面食らった様子を見せる。けれど彼はすぐに居住まいを正した。
「事情をお聞かせ願えますか」
「別に構わないだろう。貸してくれれば必ず返す。それは保証する」
「申し訳ありませんが当店はお互いに納得できる契約を旨としています。不透明な理由での貸付は原則お断りしているのです」
私は小さく舌打ちをする。とんとん拍子で金を貸してくれると思っていたのだが、どうやら意外と面倒な店だったらしい。
時間が惜しい。私は素直に答えた。
「私には子供がいてね。その子のための臓器がいるんだ」
「ご病気ですか?」
私は首を横に振る。
「事故だよ。車との接触事故。一命は取り留めたが、身体のあちこちが駄目になってしまった。すぐに代わりの臓器が必要なんだよ」
「左様ですか。ですが、その話ですとかなりの額が必要になるとお見受けします」
「ああ、上限いっぱいまで借りさせてもらうことになるだろう」
「返済はどのようになさるおつもりですか」
尋ねられ、私は己を指さした。
「私の臓器を売り払う。その金を返済にあてるつもりだ」
「子供の臓器と大人のそれでは額に差があると思われますが」
「多く売れば問題ないだろう。それに心臓などは大人でも高い値がつくはずだ」
「なるほど。ご自身の命でお子様の命を購うおつもりなのですね」
私は肩をすくめる。しがない会社員の己にはそんな方法しか思いつけなかった。
店員は口元に手を当てて何事か考え込む。やがて顔を上げた彼は言った。
「あなたはご自身のお子様に別れを告げる覚悟ができている。そう考えてもよろしいでしょうか?」
「ああ。でなければこんな返済手段は口にしない」
「承知しました。それでは、一つ提案がございます」
「何かな」
「よろしければ命ではなく――」
「忠、待てって!」
「あはは、捕まらないよ!」
エントランスから元気のありあまった子供が駆けてくる。後を追ってくる父らしき男に夢中でこちらの存在に気づいていない。
彼はそのまま私とぶつかった。
「いって……あっ、ごめんなさい!」
「いいよ。怪我はないかい?」
「えっ? ああ、はい」
「よかった」
私はしゃがみ込むと、子供の頭を撫でる。私の急な行動にびっくりした顔を見せるも、彼はされるがままでいてくれた。
やがて、後ろの男がやってくる。状況を見て察したらしい彼はすぐに頭を下げた。
「すみません、うちの子が――」
「気にしないで。久しぶりの外で嬉しかったのでしょうから」
「そう言っていただけると……」
男は恐縮そうな顔を見せると、子供の手をとって離れていく。
その時、子供の方がこちらへ振り返った。
「ばいばい、おじさん」
彼が手を振ってくる。私は小さく手を振り返した。
やがてその姿が見えなくなった後、私は彼に言葉を残した。
「……達者でな、忠」
トレードオフ @araki
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