第8章 終末と道化師

第8章 終末と道化師


 1


 レイとユウは一人の男と向かい合っていた。二人と同じくスーツ姿だが、男のスーツはオーダーメイド品なのか、かなり上等そうな布を使っている。

「君たちは誰だね?」

 男は警戒心のこもった眼でこちらを見た。

「落ち着いてください、大統領」

 ユウが言った。

 彼は大統領だった。アメリカ合衆国という国の大統領らしい。白色の大きな屋敷の中に彼はいる。国旗や徽章に囲まれ、大きなテーブルには紙の書類がたまっていた。

 時代設定は西暦2000年。コンピューターがとても分厚い。

「私たちはあなたを害するものではありません」

「だったらアポイントのひとつでも取ってほしいものだな」

 大統領が非常用のボタンを押す。押すが、サイレンも鳴らず、誰も駆けつけはしない。

「申し訳ありませんが、少しこの〈ヴァカンス〉を書き換えさせていただきました」

「〈ヴァカンス〉? 書き換え? 何の話をしている?」

 混乱するかと思いきや、大統領の理知的な瞳は揺るがなかった。大した人物だとユウは思った。

「今、この部屋は他の世界と隔絶された状態にあります。扉を開けても、窓を開いても、外には行けませんし、助けも来ません。ですが先ほども申し上げましたように、我々はあなたを害するつもりはありません。少し、話を聞いてほしいのです」

 レイが言った。

「君たちの言うことが本当なら、私は従わざるを得ないだろうな」

 大統領はゆっくりと窓に近づき、鍵を開けようとしたがびくともしない。扉にも近づいたが、取っ手が動かなかった。大声で叫んでも誰も来ない。耳を扉に押し当てても、何も聞こえなかった。

「悪い夢でも見ている気分だ」

「残念ながら、さらに悪い報告があります、大統領」

「聞こう」

 大統領は席に座った。二人を着席させるか躊躇ったが、そうしなかった。

「あなたはただのデータです。もっというのなら、この世界そのものが現実世界には存在しないただのデータの結晶にすぎません」

「やはり悪い夢だな」

 頬をはたくが、大統領は目覚めなかった。レイは続けた。

「私はあなたという〈オブジェクト〉をこの世界の代表者と定め、こうして意思疎通を図っています。あなたはこの世界の削除に応じますか?」

「百歩譲って君たちの言う通りだとして、応じると思うかね? 合衆国、ひいては世界を守るのが、私たちの役目だ」

 レイは困ったように笑う。

「でしょうね。あなたはそう設定された〈オブジェクト〉ですから、返答は決まっています。非常に申し上げにくいことですが、あなたたちの意思に関わらず、百日後にこの世界は現実世界の手によって削除されてしまいます。そのことを我々は伝えに来ました」

「意味不明だ」

 大統領は冷静だったが、その言葉には怒りがこもっていた。それに気づいているのか、いないのかレイは笑顔で言い放った。

「もっと簡単に言いましょうか。これは『あなたの世界はおしまいです』という意味です」


 2


「〈オブジェクト〉は削除に同意しませんでした。これから先も同意はしないでしょう」

「そうですか……」

 保健所。目の前の線の細い男は、出版社の編集者だった。

「彼が亡くなったことを、いつ公表されるんですか?」

 ユウが訊ねる。

「明日には」

 亡くなったリア・バースーターは著名な作家だった。数々の賞を受賞した売れっ子作家だったが、つい先日、心臓麻痺で亡くなったらしい。ひそかに彼の書く小説のファンだったユウは少なからず落ち込んだ。

「素晴らしい〈ヴァカンス〉でしたよ」レイが言った。「架空の世界が完璧にできあがっていました。アメリカ合衆国というのは彼の創作に登場する国なのですか?」

 編集者は頷いた。

「リアさんは架空の世界を題材に歴史小説を書いていて、〈ヴァカンス〉にもそれが反映されているんだと思います」

「あの〈ヴァカンス〉には複数の〈オブジェクト〉が確認できました。その数は五千を超えています。すべてにコンタクトを取るのは不可能なので慣例にのっとり、代表者たる〈オブジェクト〉に百日後に削除されることは伝えました」

「法律上は何も問題がないということでしょうか?」

「ええ。〈オブジェクト〉の同意を得られずとも、どのみち百日後に消えてしまう定めは変えられません。それとも、五千体分の〈オブジェクト〉の移植を望まれますか?」

 編集者は首を横に振る。

「リアさんの遺書にははっきりと〈ヴァカンス〉の始末を保健所に任せるよう書かれていました。リアさんは常々『終わらない物語は駄作だ』と言っていましたし、どうあれ、終わりを作りたかったのだと思います」

「終わり、ですか……」

 今頃、あの〈ヴァカンス〉はどうなっているのだろうかとユウは考えた。パニックになっているのか、それとも大統領は悪い夢でも見ていたと片付けるのか……。だがどちらにしろ、あの世界はあと百日で、終末を迎えてしまう。


 3


 大統領の名前はマーキン・フリーゼと言った。父親も政治家だったが、祖父はただの漁師だった。

──世界の終わり、か。

 ふざけたことだと思う。馬鹿げているとも。だが、あれは夢などではない。

コンコンと扉がノックされる。するとホワイトハウスで働く、ミッチェルが入ってきた。

「大統領、今朝のブリーフィングでのことですが──」

 ミッチェルはマーキンが信頼をおいている男だった。彼にだったらこの夢のような話をしてもいいかもしれない。

「世界の終わり、ですか?」

 話を聞き終えたミッチェルは訝し気な顔をした。

「お疲れなのでは?」

そう思うのも無理はないことだった。自分でも信じられない。だが、彼らと話した数分間、時計は止まり、マーキンは意識を失うことなく存在し続けている。彼らは確かに、ここにいたのだ。

「とりあえずセキュリティレベルを上げておきましょう」

 ミッチェルはあくまでもマーキンの〈夢〉を否定しなかった。

「あとはもちろん、休暇もです」

「休暇など」

「四時間ほどならどうにか空けられます。奥様のもとに行くべきでは?」

 ミッチェルはにこりと笑った。マーキンは良いアイディアだと思った。

「そうするよ」


 マーキンの妻・エミリーは大病を患い病院生活を余儀なくされていた。十五階建ての最上階は生活感あふれる家のような作りになっていて、大きなベッドにいつもエミリーは腰かけて刺繍をしている。

「あら、あなた」

 驚いたエミリーは刺繍をする手を止めた。

「どうして? 公務は?」

「ミッチェルが気を利かせてくれたんだ。あまり時間は取れないがな」

「そう」

 嬉しそうにエミリーが微笑む。えくぼは初めて会った大学生の頃から変わっていない。

 マーキンはベッドに座り、〈夢〉のことを話そうかと思った。だが、余命一年の妻の前で、この世界はあと百日で終わるかもしれないと告げるのは憚られた。

「実はおかしな夢を見たんだ」

「あら、どんな夢?」

「詳しくは覚えていない。悪夢だったのは確かだ」

 嘘をついた。あの〈夢〉のことなら今でもありありと覚えている。

 私は〈オブジェクト〉、この世界は〈ヴァカンス〉。そしてすべてはただのデータの結晶に過ぎない。

「嘘をついている顔ね」

 くすりとエミリーが笑う。彼女は何でもお見通しだ。

「君には敵わないな。ああ、夢のことを本当は覚えている。ただ話す気にならないだけだ」

「いいわ、大統領。秘密だらけの方が素敵よ」

 そういうエミリーの横顔にカーテンから漏れた陽光が当たり、金色の髪がきらきらと光る。

 これもデータを作った〈誰か〉の仕業なのだろうか。

 そんなことをマーキンは考えた。

 この美しい一瞬も、偶然ではなく、すべて作られたものなのだろうか。

 そんな真実、とてもではないがマーキンは耐えられなかった。

 もしもエミリーがいなかったら、子供のように泣き出していたかもしれないとマーキンは思った。


 4


「世界の終わりってどんな気分なんだろうな」

 唐突にユウが言った。保健所の食堂に二人はいる。ユウはBLTサンドイッチを、レイは紅茶だけだった。いつもそうだ。レイは昼食を抜く主義らしい。

「さあ。でも考えたことはありませんか。ここがもし誰かの〈ヴァカンス〉の中だとしたらって」

「胡蝶の夢みたいな話だな」

 〈胡蝶の夢〉は大昔に〈リアル〉で流行った怪談話だ。

「終末を前に人々は何を思うのか、私も興味はありますね」

「レイが言うと、なんか洒落にならないんだよなあ」

「そうですか?」

 その瞬間だった。街中で停電が起こったのだ。自家発電施設が復旧し、数秒で保健所も元の状態に戻った。

「〈リアル〉で何かあったのかな?」

「ニュースを見てみましょうか」

 腕時計型の端末を起動し、ニュースサイトを覗く。すると各メディアが驚くべきことを報じていた。


『世界の終わりのはじまり?』

 〈リアル〉がクラッキングに合い、〈リアル〉内部のAIが一斉に喋りだした。

 「この世界は偽物だ」

 あなたはこの不可解な出来事を信じられるだろうか?

 我々、ニューズレターは真相を探るべく──


「この世界は実は〈ヴァカンス〉なんですよ」

 食堂の配膳用のアンドロイドが笑顔のままそんなことを空に向かって話し始める。

「あなた方は、百日後に削除されます。あなた方は、百日後に削除されます。あなた方は、百日後に削除されます。あなた方は、百日後に削除されます」

 バグだと思ったのだろう、他の職員がアンドロイドを再起動させる。しかしアンドロイドが取る行動は同じだった。

「終末ですね」

 紅茶を飲むレイは淡々とそう述べた。


 5


「お久しぶりです。ここ、ホワイトハウスって言うのですね」

 マーキンの前に、再びダークスーツの二人組が現れた。マーキンはいつものように執務室にいて、一人だった。

「また〈夢〉か」

「我々のことは夢ということにしたのですか?」

「そうとしか思えないからな。今は忙しいんだ」

「どう忙しいのですか?」

 しつこく聞いてくる金髪の男に、マーキンはついに根負けした。どうせ〈夢〉なのだから話しても構わないと思った。

「彗星が地球に近づいている」

 金髪の男が黒髪の男の方を見る。黒髪の男が説明をするように喋った。

「リアの小説では、世界は彗星と衝突して破滅するんだ」

 リアの小説? なんのことだろうか。

 だが金髪の男はその言葉で納得したようだった。

「なるほど。こちらでも世界が終わるという〈デマ〉が流行り始めているのですね」

 金髪の男の言う通りだった。

 世界中の人々が彗星の衝突を恐れ、核シェルターの売れ行きが上がっている。食料品がスーパーから姿を消し、人々は孤立し始めていた。犯罪率も上がっているのに、迷信を信じた警察署は閉じ始めている。このことについて、マーキンはもちろんNASAに問い合わせた。NASAから出た言葉は『否定も肯定もできない』というものだった。というのも、世界中にある観測機器が不調を起こし、計測不能になっているのだという。

 おかしい。

 こんなことは絶対にありえない。

 だが……。

「君たちは死神なのか?」

 黒髪の男は憐れむような視線でこちらを見る。

「ユウ・ソンファと言います。人間ですよ。あなたと同じ。ただ別の世界、現実世界からここに来ました」

「私はレイ・トルーソー。ユウの上司です」

「マーキン・フリーゼだ……」

 握手はしなかった。必要だとも思わなかった。

「君たちが言うには、世界は二分されているそうだな。我々のいる〈ヴァカンス〉と君たちが言う現実世界とに」

 レイが人差し指を天井に向かって上げる。

「正確には〈ヴァカンス〉は複数存在しています」

「そうなのか?」

 ユウの方を見る。彼は頷いた。

「こんなに精緻なものはなかなかないと思いますけど」

「ですが、実は最近、現実世界でも〈デマ〉が流行り始めてしまって大変なのです」

「現実世界も終わると?」

「はい。鵜呑みにした職員も数名休んでいるようで、困ってしまいますね」

 けろりとした顔でレイは笑う。

「胡蝶の夢だ。証明する方法なんてない」

 ユウが言った。胡蝶の夢。たしか、アジアのショートストーリーだったような気がする。

「生きていくしかないんだ」

 ユウの言葉は、もっともらしくマーキンに響いた。

「残りは九十六日ですね」レイが言った。「どうするおつもりですか?」

 マーキンは重々しく口を開いた。

「終末を宣言する……」


 6


 マーキンはメディアをホワイトハウスへと呼び、一人マイクの前へと立った。皆が固唾を飲んでこの生放送を見守っているのが肌でわかる。

「我々に残された時間がどれだけあるのか。それは誰にもわからない」

 マーキンは語りだす。

「明日、車に轢かれて死んでしまうかもしれない。明後日、癌が見つかり余命いくばくもないと知らされるかもしれない。同じように我々は今、空のことばかりを心配している」

「それは彗星の落下が〈デマ〉だということでしょうか!?」

 鋭く女性記者の声が飛ぶ。

「既にNASAが説明した通り、機器の故障により我々にはそれを知る術はない。私にもそれはわからない。ただひとつ言えることは──教訓じみた言葉だけれど──今日を人生最後の日だと思って過ごさなければならない、ということです。……今日、ここに、世界の終末を宣言します」

 記者たちがざわつき始める。

「安全面については心配しないでください。警察官や公務員は引き続き公務にあたります。そして国民、ひいては世界中の皆様、どうか自棄を起こさず、今日という日を大切な人共に過ごしてください。私からは以上です」

「大統領!」先ほどの記者が席を立つ。「あなたは大統領という職を続けるおつもりですか!?」

「当然です。私も公僕の身。最後まで務めます。歴代最後の合衆国大統領として……」


 それから六十五日が経った。概ね自暴自棄になった犯罪者たちは投獄され、世界はやや穏やかになった。

 戦争は終わり、戦場に花が咲く。

 拍子抜けするほど簡単に、世界は平和になった。終末までの猶予は二十日ばかり。なんとも皮肉な話だった。

「あなた」

 病院が機能しなくなり、エミリーは家に戻っていた。投薬治療だけを続けているため、体調が悪い日が増えた。だが、医者や看護師にも家族はいる。誰も責められない。

「どうしたんだ」

 ソファに座り刺繍をしているエミリーが微笑む。顔色が良い。今日は体調が回復したようだ。

「私、あなたとこうしてゆっくりするのが夢だったの。思わぬ形で叶ってしまったわね」

「……そうだな」

 大統領としての職は次第に減っていた。ホワイトハウスで働く人々が、一人、また一人と消えていっているからだ。届く書類の量が減れば、仕事も減ってしまう。世界は平和なのだから、当然仕事も少ないはずだった。

「君にいつか話した〈夢〉のことを聞いて欲しいんだ」

「ええ。知りたいわ」

「私の前にダークスーツの男が二人現れて、こう言ったんだ。『この世界はただのデータで、あと百日後に削除される』とね」

「SF小説の読みすぎじゃない?」

 エミリーは笑うが、マーキンは苦笑した。

「ああ。私もそう思った。だが、彼らの言葉に嘘はないし、あれは〈夢〉なんかじゃなかった。私たちは〈誰か〉の作ったデータなんだ」

 落ち込むマーキンを見て、エミリーはようやく彼の言葉を信じ始めた。だが、その笑みが崩れることはなかった。

「もし本当にそうだとしたら、素敵なことね」

「どうしてだ? 君も私も偽物なんだぞ」

「私とあなたが偽物でも、愛というデータはある。なんだかロマンチックじゃない?」

 愛を語るエミリーは絵画の中の少女のように眩しかった。

「……そうだな」

 マーキンはエミリーの額にキスをした。

 カーテンの隙間から、陽光が差し込んだ。エミリーの髪を濡らし、天使のように髪が輝く。

 終末が訪れる、そのときまで、彼女のそばにいたいと思った。


 7


百日後。

 〈ヴァカンス〉の入った箱の前にユウとレイはいた。レイの手にはバーコードリーダーのような光を放つ小さな機器があった。この青白い光を〈ヴァカンス〉に照射すると、たったの一秒でデータが削除される。

 ユウが端末で最終確認をして、頷いた。

「では手順に基づいて、こちらの〈ヴァカンス〉を削除します」

 レイが機器の光をリアの〈ヴァカンス〉に当てる。データは削除された。あの世界は終わったのだ。

「たくさんの思い出がこうして消えていくのですね」

 大した感慨もなさそうにレイが言う。

「儚い仕事だな」

「愛はデータ化されると思いますか?」

「なんだよ、唐突に?」

「思い出を思い出のままデータ化することはできるのでしょうか」

 二人は部屋から出て、廊下を歩く。辺りには誰もいない。すっかり世界の終わりを信じ込んだ職員たちは仕事場に来るのをやめてしまった。今ではどこにも人々の姿は見えない。家の中に閉じこもっているのだろう。

「リアルになら〈感情〉がパッキングして売ってあるだろ」

「あれは一時の麻薬のようなもので、思いではありませんよ」

「ユウ」レイがふと立ち止まった。「もしもこの世界が私のものだとしたら、あなたはどうしますか?」

「は?」

 言っている意味が、一瞬わからなかった。

「私があなたという存在を〈オブジェクト〉として創り上げ、この〈ヴァカンス〉にときどき遊びに来ていたとしたら?」

「まさか」

美しい人は、静かに笑う。

「もし本当に、そうだとしたら?」

 どうして自分は仕事を続けているのだろう。世界の終わりにもかかわらず、レイと一緒にいるのだろう。

それが自分はレイの創った〈オブジェクト〉だと言うのなら、たしかに説明がついた。

「……俺は仕事をするだけだよ」

「あなたらしい」

 くすくすと、レイが笑う。

 相変わらず、世界は回り続け、人々は〈迷信〉を信じて踊り続けている。

 この世界は、本当に彼のものなのだろうか。

 そうだとしても、彼は教えてはくれないだろう。

「さあ、仕事を続けましょう」

 美しい人は、微笑んだ。


〈了〉

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思い出の狩人 北原小五 @AONeKO_09

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