第2章 丘の上の娘


第2章 丘の上の娘


 1


その丘には、蝶が木々にとまっているような形の花が無数に咲いていた。経験の浅いユウには断定しかできないが、この〈ヴァカンス〉の持ち主は相当なロマンチストだったのではないだろうか。こんなにも幻想的な空間、常人がデザインするとは思えない。

〈ヴァカンス〉とはその人の頭脳の再現だ。〈ヴァカンス〉という名前とは裏腹に、何もかも自分の思うとおりになるとは限らない。必要なのは細部まで再現できる想像力と生まれ持った才能だ。サイ・コートーのようにまだ子供で細かい再現が難しいとしても、才能があれば豊かな〈ヴァカンス〉は創ることができる。

「シンプルな〈ヴァカンス〉ですね」

 もう何度目かの丘を乗り越えながら、スーツ姿のレイが簡単に感想を述べる。

「レイの評価では何点くらい?」

 自分よりもたくさんの〈ヴァカンス〉を見ているだろうレイの意見が聞いてみたかった。

「七十点くらいですかね。及第点といったところです」

「意外だな。俺はなかなかすごいと思ったんだけど」

「君はまだ知らないだけですよ。この世界には想像だにできないほど精密で巧緻な〈ヴァカンス〉を創り上げる人もいるのです。──おっと、〈オブジェクト〉が見えてきましたよ」

 丘を越えると、またなだらかな丘がある。その中央には白いグランドピアノとその前に座る女性がいた。栗色の髪をポニーテールに結び、花と同じような白いワンピースを着ている。ワンピースには丁寧な刺繍がされていて、髪の毛一本一本も滑らかで美しい。とても大切にされている〈オブジェクト〉なのだと見てわかる。

「こんにちは」

 ユウが声をかける。ピアノの方を向いていた女性が振り返った。

「こんにちは。どなた?」

 二十歳くらいの美しい顔立ちの人だった。ただの〈オブジェクト〉だとわかっているのに、ついどきりとしてしまう。

「狩人です」

 人間のカタチをした〈オブジェクト〉に自分たちの役職を告げるのは、苦しいことだ。なぜならそれはすなわち、彼らの愛する持ち主の死を意味しているからだ。黒いスーツを見れば、知能の高い〈オブジェクト〉は泣き出すか、悲しげな眼をする。けれど、目の前の〈オブジェクト〉は違った。

「そう。そろそろ来る頃かと思った」

「どういう意味です? 事前に誰かがこの〈ヴァカンス〉に侵入し、あなたに持ち主──セニアさんの死を教えられたのですか?」

 丁寧にレイが訊ねた。人形のような〈オブジェクト〉は唇を吊り上げて笑う。奇妙な間をとって笑うところはレイと似ていたが、その笑い方はレイよりも品がないように感じられた。

「いいえ。違うわ。でもその前に自己紹介しない? 知っているとは思うけど、私の名前はロル。あなたたちは?」

「ユウです」

「レイ・トルーソーと申します」

 ロルは満足げに笑い、手をぱんと叩いて立ち上がる。

「いいわ。ユウとレイ。これからいうことは大切だから、ちゃんと覚えておいて」両の手を合わせ、彼女は不敵に微笑んだ。「私がセニアを殺したの」


 2


「君がセニアさんを……?」

 到底受け入れられないというようにユウは顔をこわばらせた。逆にレイはこんなときでも、のんびりとしている。

「なるほど。ですが、セニアさんは事故死ということで警察は結論づけているようですよ」

「そう。でも結論はついていない。不明な点があるからだわ」

 ぎくりとユウは内心で思う。ロルの言うことは当たっていた。できれば〈オブジェクト〉には穏当に何も知らないまま電子の彼岸へおくってやりたかったが、どうやらそうもいかないようだ。

「けど、けどさ」ユウが口を出す。「〈オブジェクト〉が殺人を犯すなんて聞いたことがない」

 〈オブジェクト〉はスタンドアローンで、他のネットワークには一切繋がってはいない。ネットワークに侵入して、故意にアクシデントを引き起こすことなど不可能だ。

「それでも私はやってのけた」堂々たる面持ちでロルは続ける。「狩人さん。もしも私が殺したっていう証明がなされたら、私は喜んで消えるわ」

 レイが小首をかしげる。

「つまり、我々にセニアさんの死についてもっとよく調べろと?」

「それが削除に同意する条件よ」

 それだけ言うと彼女はピアノの方に戻り、演奏を始めた。美しい調べだった。音楽に造詣のないユウでもこの旋律に思わず心が動いた。レイも感動しているようで、小さく拍手を送っていた。

「素晴らしい音楽ですねえ」

「ありがとう」

「あなたのような〈オブジェクト〉も依頼があれば削除しなければならないのが我々の仕事の辛いところです。いっそ私の〈ヴァカンス〉に移植しませんか?」

 ロルは軽やかな手つきで演奏を続ける。

「断るわ。私、この〈ヴァカンス〉が好きだから。他の誰かのところに行くなんてお断りよ」

「それは残念です」

 言いながらも、たいして残念そうではない。

「レイの〈ヴァカンス〉って、どんなところなの?」

「そういうあなたこそ、どうなのです?」

「俺? 別に普通だよ」

「大概の人間は自分の〈ヴァカンス〉を凡庸だと主張するものです。いったいどんな特殊性癖を隠し持っているのかわかったものではありません」

「隠してねぇよ!」

 あっさりとかわされてしまった。

 この男・レイには謎が多い。その美貌だけでもミステリアスなのに、人格は子供っぽかったり謎の推理力を発揮したりと忙しない。彼の〈ヴァカンス〉がどんなものなのかが気になるというのは、人間が持つ一般的な好奇心というものだろう。


 3


 目を覚ました二人は地下の別室で待機していたセニアの同居人であるネルのもとへと戻った。紺色のニットを着ているネルはセニアと同じ二十代後半の男性だ。椅子に座り、背を丸めている。もしかしたら、待っている間、泣いていたのかもしれない。

「どうでしたか?」

「残念ですが、〈オブジェクト〉は削除に同意しませんでした」

「そうですか……。あの、セニアの〈オブジェクト〉はどのようなものだったんですか?」

 思い出すようにユウが口元に指をやる。

「えっと……綺麗な女性でした。あとピアノがとても得意でした」

 ネルが一瞬、失望したような顔をしたのを二人は見逃さなかった。ネルは素の表情を取り繕うように微笑を浮かべる。嘘を吐くとき、人は笑みを浮かべるものだ。

「そうですか。じゃあ、恋人だったのかもしれませんね」

 急に話を変えたような気がしたが、ユウは同意する。

「恋人を〈オブジェクト〉で再現する人もいますからね。たとえロルが恋人だとしても、それは普通のことですよ」

 普通といいながらも、その言葉が言い訳っぽくならないように気をつけた。

たしかにユウの言う通り、理想の恋人を〈オブジェクト〉で再現する人もいる。けれどそういうナイーブなことは大っぴらにはしないものだ。どこかの地域では〈オブジェクト〉と結婚するために裁判を起こした人もいるらしい。結局、その訴えは受け入れられなかったようだが、持ち主にとって〈オブジェクト〉はときに恋愛対象にもなりうるのだ。

「指、どうされたのですか?」

 ふとレイがネルの指をさした。指の付け根には絆創膏が張られていた。

「料理で火傷を。あいつがいつも飯を作ってくれてたんで、困ってます」

 取り繕うようなネルの笑顔がこちらの胸を突いた。

「しばらく時間をおきましょう」

 レイは最後まで、ロルが放った台詞をネルには伝えなかった。伝える必要がない些末事と判断したのかもしれないが、レイのことだ、何か企みがあるのだろうと横に座っているユウは思った。


 4


 ネルをロビーまで見送ってから、レイが言った。

「セニアさんの事故現場まで行ってみましょう」

 ピクニックに誘うかのような気軽さで彼が言うので、ユウは呆れてしまう。

「警察がもう調べてるんだろ? 俺たちが行っても証拠は押収されてるだろ」

「では動かせないものを見に行きましょう。たとえばその現場から見える風景も、もしかしたら解決するための情報に繋がるかもしれません」

 レイは完全にこの件を楽しんでいた。〈オブジェクト〉による殺人なんて本気で信じているわけではないだろうけれど。いや、レイのことだから信じているのかもしれない。

「もしロルの言うことが本当だとしたら目覚めが悪いしな。本当なわけないけど」

「君は現実主義者ですね」

「レイが夢見すぎなんだよ」

 地下駐車場からモービルに乗り換えてセニアが亡くなった事故現場へと向かう。どこにでもありそうな白い街の一角にモービルが止まった。

「ここ?」

「ここみたいですね」

 モービルから降りると、自動でモービルは待機用の場所へ動いた。目の前にはカフェ。背後には美容院と花壇がある。二車線の道路には数分に一度、モービルが通り過ぎていく。けっして人気が多い場所というわけではなさそうだ。

「モービルとぶつかったんだよな」

「モービルの中にいた人もいますし、カメラもそれを捉えていたでしょうね」

「なら普通に事故死なんじゃ……」

 モービルに人間が轢かれる事件は、痛ましいが一年に一、二件ほどは起きている。完全自動運転のため責任はすべてモービルを製造している会社が追う。今回も数億円単位の賠償金を遺族に支払ったことだろう。もっともその程度の金額、世界中で儲けている某企業は痛くもかゆくもないだろうけれど。

「疑問点はあります」レイが人差し指をすっと上に向ける。「なぜモービルが暴走したのかです」

 モービルには自動制御機能がついていて、人を検知した瞬間、ブレーキがかかる。道路にはブレーキ痕はあるが、おそらく間に合わなかったのだろう。

「暴走? これ見ろよ。ブレーキをかけた跡がある」

「ええ。ですがロルがセニアさんを殺した以上は、モービルに何らかの仕込みをしていたのでしょう」

「つまりモービルのシステムにクラッキングしたってことだろ。それは無理だって」

「ううーん。ですが、他にロルがセニアさんを殺害した方法がわかりません」

「殺したなんてハッタリだったんだって」

「そうでしょうか……。そうだ。デイ博士のもとへ行ってみましょう。彼に本当に〈オブジェクト〉がクラッキングできないのか聞いてみます」

 レイは案外、諦めが悪い。

「わかったよ」

 結果から言えば、デイ博士のもとへ向かったのは時間の無駄だった。

「残念だが、ユウの言う通りだ」

 デイ博士は澄み渡る男性の声で言った。

「ほら、やっぱり」

「〈オブジェクト〉のような脆弱な存在は〈リアル〉と接続した瞬間に他のAIの餌食になって消えてしまうだろう」

 〈リアル〉に接続できなければ、モービルをクラッキングするなど到底、不可能だ。

「たしかにレイの考えは面白い。だが何度、調べてもこの〈オブジェクト〉にそこまでの力はないし、〈リアル〉に行った形跡もない」

 レイが腕を組む。

「密室殺人みたいになってきましたね」

「犯人が閉じ込められてる密室殺人なんて聞いたことねえよ」

 ユウの言葉は聞こえていないというように、レイはそっぽを向く。都合が悪くなると自分の世界に逃げるのも彼の悪い癖だ。

「ですが、残念ですね」

 デイ博士がぽつりと呟いた。

「なにが?」

「亡くなったセニアさんは有名なバンドのメンバーです」

「デイ博士も音楽、聴くんだ」

 脳だけの存在になっても音楽を聴くというのがいまいち理解できない。もっとも聴力などは他の機械が担っているのだろうけれど。

「暇つぶしに。デルフォ・セゾンって聞いたことありませんか」

「ああ、ある! 何曲か持ってるよ。そっか。セニアさん、デルフォ・セゾンのメンバーだったのか」

「デルフォ・セゾンのベース兼作曲家がセニアさんだったはずです」

「へえ。知らなかった」

「今、ウィンドウを出しましょう」

 ガラス台の上に立体映像が浮かび上がる。デルフォ・セゾンは五人組のバンドだ。よく言えば大衆向けの、悪く言えば尖ったところのないバンドとして、よく知られている。さすがにベーシストの名前までは記憶していなかったが、言われてみれば見たことがあるようにも感じる。

 データの中の彼は、はにかむように笑って、こちらに手を振った。


 5


 翌日、保健所に行くと先に到着していたレイが困った風に頭に手を当てていた。

「おはよう。どうしたんだ?」

「おはようございます、ユウ。それが……少々、厄介なお客様が来ているのですよ」

 行きましょうと力なく言って、二人はいつもの職場である白い部屋に入った。目がくらむような白。なぜここまでこの地域が白に拘るのか、ユウにはよくわからなかった。

 中には二人の人物が座っていた。ひとりは昨日会ったセニアの同居人、ネル。もう一人はどこかで見たことがあった。

「あ、オダさん?」

 オダと呼ばれたサングラスを頭につけた派手な男はにんまりと笑った。

「嬉しいな。知ってくれてるんだ」

オダはデルフォ・セゾンのボーカルだ。そのサングラスも芸能人ならではの変装用なのだろう。

「実はお願いがあってきたんだ」

 着席したレイが社交用の胡乱な笑みを浮かべる。

「どのようなものでしょうか?」

「ロルを俺の〈ヴァカンス〉に移植したい」

「……」

 〈ヴァカンス〉の移植はとてもめずらしいが、行われないわけではない。大抵の〈オブジェクト〉は持ち主の死と共に永遠の存在であることを拒むが、中には新しいパートナーと共に第二、第三の〈オブジェクト〉としての道を歩むものもいる。

「セニアさまの遺言書によると、あらゆる財産はネルさまに一任されるのでしたよね?」

 確認するようにレイがネルを見る。

 セニアは二十歳のころに何を思ったのか遺書をしたためていた。その頃から家族とは折り合いが悪く、財産をすべて親友に任せてしまうつもりだったらしい。

 ネルは答えた。

「俺は構いません」

「そうですか。そうでしたら、あとは〈オブジェクト〉が移植に同意すれば問題はありません」

 言いながらもユウは、彼女が移植に同意するとは思えなかった。レイをちらりと見るが、彼の顔にはいつも通りの微笑みが浮かんでいるだけだ。ときどきユウはレイがアンドロイドかなにかなのではないかと疑いたくなる。

「聞いてみましょう」

 レイがそう言って席を立つ。慌ててユウもその後を追いかけた。


 6


 白い花の咲いている丘の上に、いつもロルはいるようだ。

「あら、こんにちは狩人さん」

「こんにちは、ロルさん」

「私を殺人罪で起訴できそう?」

 軽やかな声で彼女は笑う。そんなことは到底、できないとわかっているのだろう。

「残念ながら、今はまだ。けれど調べてはいます。調べれば、調べるほど、あなたには不可能だという結論に至ってしまうのですがね」

 困ったように言いながらも、レイは玩具を見つけた子供のように楽し気だ。

「ところで、そもそもロルはどうして削除を断るんだ?」

 持ち主の死後、知能の高い〈オブジェクト〉は共に消えることを選択することが多い。稀に親族が〈オブジェクト〉を自分の〈ヴァカンス〉に移植してほしいと頼みにくる場合もあるが、大半の〈オブジェクト〉はそれを断る。〈オブジェクト〉にとって持ち主は唯一絶対であり、この世界を訪れるたった一人の親友・恋人・家族なのだ。

「私は音楽を創らなきゃいけないの」

 真剣な面持ちで彼女は鍵盤を指先で撫でた。

「曲? ああ、セニアさんも音楽をやってたから」

「セニアが音楽? まさか。彼、ピアノも弾けないのよ」

「そんなバカな。だってセニアさんは……」

 デルフォ・セゾンのベーシスト兼作曲家だ。音楽に詳しくないはずがない。

 動揺するユウはちらりとレイの方を見る。

「たしかにおかしいですね。通常〈オブジェクト〉は創造主の能力を上回ったりはしないものです」

 創造主がピアノを弾けないのなら、〈オブジェクト〉もピアノの弾き方を知らないのが普通だ。けれどロルはピアノの弾き方を知っているという。人には個々に潜在能力と呼ばれるものがあるため、完全に不可能、というわけではないが、めずらしいケースであることは確かだ。


 7


 翌日、ユウとレイはデイ博士の研究所にいた。今日の午前の予定が空いていたので、推理がてら行こうとレイに誘われたのだ。行くなら一人で行けばいいのにとは思いつつも、ユウも真相が気にならないわけでもないので一緒にモービルに乗り〈ヴァカンス〉の研究所に向かったのだ。

 液体の中に沈殿している脳、デイ博士。今日は男女どちらとも言い切れない子供の声音で答えた。

「〈オブジェクト〉が持ち主のクリエイティビティを上回った?」

 デイ博士は子供の甲高い声でからからと笑った。

「本当にそんなことがあれば今頃、私は学会でそれを発表しているね」

「まったくありえない話ではない、という意味でしょうか?」

 デイ博士はまだ笑っている。

「レイ、君は物事を上手くとる天才だね。確かにその通りだ。まったくありえない、とは言い切れない。持ち主、この場合はセニアがDNAレベルで神業的ピアノの演奏を行えるのなら〈オブジェクト〉も人並み外れたピアノの演奏ができるかもしれない。けど大抵の人間は就学時に受けるDNA検査で自分の得意なことはわかるはずだ」

 この地域に住む多くの人はエレメンタリースクールに上がる前に、遺伝子検査を受ける。ユウはそこで公務員になる確率が九十パーセントを超えていたことを思い出した。当時は公務員が何なのかすら、よくわかっていなかったが、今ならばあの検査が恐るべき精度を誇っていたことがわかる。

「つまりセニアが自分の音楽の才能に気がついていないわけがないってことか」

「けれど才能があるからと言って、その道に進むとは限らないでしょう?」とレイ。

 それも、たしかにそうだ。

「まあ、これに関しては情報が少なすぎますし、いったん考えるのはやめにしましょうか」

「君たちが相変わらず暇なのはよくわかったけれど、何のためにここに来たんだい?」

「ロルが他の〈ヴァカンス〉に行った形跡がないか調べてほしいのです」

 どうしてそのようなことをレイが訊ねたのかはユウにはよくわからなかった。〈オブジェクト〉は基本的に他者の〈ヴァカンス〉には移動しない。シロクマが北国を好み、極彩色の鳥が南国を選ぶように、彼らは自分の〈ヴァカンス〉から遠ざかることを不思議と嫌がる傾向にあるのだ。

「行ってるみたいだね」

「どこにですか?」

「オダ、というユーザーだ」

「オダさん?」

「驚いた。デルフォ・セゾンのボーカルだ。二か月前に、セニアの同伴でオダの〈ヴァカンス〉に接続している」

「なるほど。ではオダさんに前科は?」

「前科?」

 ユウが怪訝な声を上げる。どうしてそんなことを聞くのか。

「これもあります。〈リアル〉内部で行われたカーレースゲームをクラッキングして優勝賞金を不当に得ていたことで一度逮捕されています」

「なるほど」「わかった!」

 レイが言う声に、ユウの声が重なった。レイは少し驚いた顔をした。

「わかった、とはこの事件のことですか?」

 ユウはレイより早く真相にたどり着いたことが嬉しく、得意げに鼻を鳴らした。

「まあまあ、落ち着いて聞けよ。ロルは〈ヴァカンス〉を出てない。出ずにセニアさんを殺したんだ」

「どうやって?」

「オダさんを使ったんだよ。オダさんには〈リアル〉を騙しクラッキングする能力がある。きっとモービル一台くらい動かすこともできたはずだ。オダさんはロルに言葉巧みに誘導されて、セニアさんを殺すことにしたんだよ」

「言葉巧みにと言ってもねえ」とデイ博士。

「簡単さ」ドラマの中の探偵がするように、ユウは人差し指を上にさす。「『セニアを殺さないと、デルフォ・セゾンの曲を創るのをやめる』と言ったんだ」

 レイが少し目を丸くする。

「つまりデルフォ・セゾンの曲を創っていたのは、セニアさんではなくロルということでしょうか?」

「たぶんね」

 ユウは得意げに腕を組む。しかしレイは釈然としない様子だった。


 8


 翌朝、モービルで出勤する際、ユウは車内の音楽をニュースに変えた。すると驚くべき報道がなされていることに気がついた。

『デルフォ・セゾンのボーカル、オダ氏が殺人の疑いで逮捕されました』

 やはりオダが犯人だったのだ。ユウは彼が逮捕されたことにほっと息をついた。しかし報道は彼のことばかりで、いっこうに主導者である〈オブジェクト〉のロルのことに触れない。

 どういうことだ?

 そもそも〈オブジェクト〉を逮捕することなどは不可能だが、少しくらい報じられてもいいはずだ。それともまだ公表できない理由でもあるのだろうか。

 そうこう考えているうちにモービルが保健所に到着する。地下からエレベーターで上の階にあがり、上司たちに挨拶をする。その中にレイの姿もあった。

「レイ、ニュースを聞いたか?」

「ええ。オダさんが逮捕されたようですね」

「やっぱりあいつが犯人だったんだ。でもロルは捕まらない。捕まえられない……」

「まあまあ。そう憤る必要もないと思いますよ」

 そういうレイの顔は穏やかだ。

「なんでだよ?」

「私には私の考えがあるということです。さあ、セニアさんの〈ヴァカンス〉に行きましょう」

 レイの言っていることがわからないまま、ユウは彼と共にセニアの〈ヴァカンス〉へ向かった。

 白い丘の上に彼女はいた。ピアノは弾いていないかわりに、花畑に死体のように横たわっている。

「こんにちは」

 レイがにこりと笑いかけると、ロルは薄く微笑んだ。

「来たのね」

「オダさんが逮捕されましたよ」

「そう」

「あなたの目論見も、見破れました」

 目論見という言葉に引っかかったのか、ロルはむくりと上半身を起き上がらせる。

「じゃあ、聞かせてもらおうかしら」

 その高圧的な態度にユウは口を尖らせた。

「あんたがオダさんを操ってセニアさんを殺したんだろ」

「それは違うと思います」

「なんで?」

 ユウがむすっとした顔でレイを見る。

「ロルさんは、オダさんが犯人だと初めからわかっていたのではないでしょうか。しかし自分の証言を警察が信じるはずがない。だから狩人の我々に『自分が殺した』と言って、再捜査をするように誘導した。あなたの思惑通り、我々は再捜査を始めた。その途中、ロルさんをオダさん自分の〈オブジェクト〉としてほしがった。あれはロルさんに音楽的センスがあり、デルフォ・セゾンの活動を続けるためにもあなたの才能が必要だったからだと思います。けれど──あなたにはそのセンスはなかった」

「え……?」

 思わずユウが聞き返す。

「だってお前も聴いただろ。ロルの音楽はすごい」

「ええ、ですが、やはりセニアさんには及ばない」

 そう指摘されたロルは疲れたように肩をすくめて、それから頷いた。

「どうしてわかったの?」

「私たちは普段、機械に通された音楽を聴きます。つまり音楽を収録する際、何らかの加工がなされている。大抵の怠惰なアーティストは人に安心感、もしくは興奮させる微量なリズムをパッケージしています。まるで料理に大麻を混ぜるような行為ですが、残念ながら一般的な方法としてプロの間では認知されています。けれどデルフォ・セゾンの音楽は違いました。あれは混ざり気のない人が創った生の音です。データである〈オブジェクト〉にはたどり着けない境地かと」

「聴くだけでわかるなんて、いい耳をお持ちなのね」

「恐縮です」

 ユウが間に入る。

「じゃ、じゃあ、オダさんはどうしてセニアさんを殺したんだ?」

「正確な理由はわかりませんが、おそらく音楽をやめたいと言い出したのではないでしょうか。それを聞いてオダさんは激高し、セニアさんを殺害してしまう。だが、作曲家のセニアさんなしではデルフォ・セゾンは成り立たない。だから、ロルさんを自分の〈ヴァカンス〉に移植しようとした。そんなところでしょうか」

「どうしてやめたがってるってわかるんだよ?」

「人は人生の分岐点で何かを得たり、失ったりするものです。今回は仕事を失う代わりに、大切なものを得るはずだったんだと思います。……どうでしょう、ロルさん。私の推測は誤っていますか?」

 ロルは左右に首を振った。

「いいえ。あなたになら全部、任せられそうね。あなたのいいようにしてちょうだい」

「わかりました。ではまたあとで来ます」

「消去しなくていいのか?」

「言ったでしょう」レイは微笑んだ。「こんな素晴らしい〈音楽家〉を消すなんて私はしたくありません」


 9


 地下の白い部屋にはセニアの同居人ネルが来ていた。ネルは椅子に座って、ユウとレイが来るのを待っていたようだ。

「あの、お話とは何でしょうか?」

 レイがネルを保健所に呼んだようだ。

「セニアさんの〈ヴァカンス〉についてお話したいことがあります」

「ロル、ですか? あれはもう消してくださって結構ですよ」

「指の付け根」レイは包帯が巻かれたネルの指をさした。「料理でそんなところを火傷なさるなんて、めずらしいですね」

「…………」

「本当はやけどの跡を隠しているわけではありませんよね」

 観念したように、ネルはくるくると包帯を解いた。包帯の下にはシルバーの指輪がつけられていた。

「プライベートなことを暴いて楽しいですか?」

 諦めをはらんだ声でネルが言う。レイは真摯な顔で答えた。

「ご気分を害されたのなら申し訳ありません。けれど必要なことだったのです。私の部下が、ロルをセニアさんの恋人ではないかと言いましたが、あれは誤りでした。ロルは、おそらく、セニアさんにとっての娘です」

 ネルがはっとした顔をする。

「なぜ私がそう思うのか、理由を提示しましょうか。〈オブジェクト〉を少女にしなかったのは、小児性愛者と思われたくなかったから。成人女性を創っておけば、周囲からは恋人を〈オブジェクト〉にしていると勝手に思われるでしょうからね。ロルの発言はところどころ挑発的で、やや幼稚でした。そして何より、セニアさんは彼女にピアノを教えていたはずです。だからこそ彼女はただのデータにもかかわらず、あそこまで豊かな音楽表現ができる。そもそも一言も彼女は自分がセニアさんの恋人だとは言っていません」

「セニアさんの娘が、ロル……?」

「お二人の、とも言い換えられますね」

 途端にネルの顔色が変わった。

「ずっと裏切られたのかと思ってた……」

 レイは優しく微笑みかける。

「ロルはあなたの〈ヴァカンス〉への移植を望んでいます。どうなさいますか?」

 ネルは涙を流しながら、何度も頷いた。


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