Chap.5-4

「え、皇帝ペンギンはいないんだ……」

 ペンギン舎にたどり着いてすぐ、チャビは残念そうな声を漏らした。

 氷山をイメージさせる人工の岩場を水辺が取り囲んでいる。そこで泳いだり、岩場で身を寄せ合うようにして立つペンギン達は、皆同じように白い胸元とお腹、背中は真っ黒な羽で覆われていた。チャビの言う通り、ここにはケープペンギンという種類しかいないようだ。

「おみやげもの屋さんには、イワトビペンギンや他の種類のぬいぐるみも売っているのに」

 頭部に生えた黄色の飾り羽が特徴のイワトビペンギン、耳の周辺から喉や胸周りが黄色い皇帝ペンギンなど、何か特徴のある方がヌイグルミやグッズにはいいのかもしれないが。実際に園内にいない動物を、おみやげ物屋さんで売っていると確かに混乱してしまう。来る前に見た園内マップのアイコンもイワトビペンギンを連想させるものだったはずだ。

「名前もペンギン舎だし、これじゃいろんな種類がいるって勘違いしちゃうよな」

「あ、他の種類のペンギンも好きだから大丈夫だよ。ケープペンギンは人懐っこいところがカワイイんだあ」

 チャビがニッコリとした。今日一日一緒に居てわかったことがある。チャビは時々、人に気を使わせないように笑って見せることがあるって。

「でも、皇帝ペンギンが一番好きなんだろ?」

「うん。ペンギンの中でも一番大きくて、本当に王様って感じがするんだ。王様ってちょっと寂しそうだよね」

「王様はいつもみんなに囲まれているから、寂しくなさそうだけどな」

「でも、王様を騙そうとする人でいっぱいだし、時々、沢山の人を助けるために少ない方の人たちを見捨てなきゃいけないこともあって。見捨てた人たちに、恨まれてもしょうがなくて。そういう時、ゲームの中の王様はいつもひとりぼっちだったから」

 僕もしばらくチャビと一緒にケープペンギン達を眺めた。チャビが人懐っこいと言ったケープペンギンは、見物している僕らのことなどまるで目に入っていないように、思いおもいの場所で好き勝手なことをしていた。毛づくろいをしている者もいれば、うずくまってうたた寝をしている者もいる。一匹のペンギンがスイーと水面を横切り、コンクリートの岩場にピョンと飛び上がった。そのまま胸元に日差しを受けるようにして、首を持ち上げ、空に目を向けた。眩しそうにその目を細めているように見える。

「ペンギンってよく空を見上げるね」

 ひとり言のようにつぶやいた。今日出かける前に、チャビの言っていたことを思い出す。

『ペンギンは鳥なのに、飛べないところがカワイイでしょ』

 飛ぶことの出来ない空をペンギンは何を思い見上げるのか。

 チャビに聞いてみようと周囲を見回す。ケープペンギンの説明が書かれた看板を前に佇んでいた。いや、小さな目を見開いて硬直している。

 何事かと駆け寄った。

「どうした?」

 何も答えないチャビの肩越しに、僕も看板を覗き込んだ。

 ケープペンギン。フンボルトペンギン属、別名アフリカペンギン。体長はおよそ七十センチメートル。ペンギンは南極にいるとのイメージが強いが、このケープペンギンは南アフリカ沿岸部を繁殖地とすることで有名である。そんな説明文書の最後に、ピンクの付箋が貼られていた。真新しい付箋でこの数時間以内に貼られたものだろう。チャビの顔が青ざめている。

『チャビくん今日はひとりじゃなかったんだね』

 メモ用紙にそう書かれていた。園内の売店で買ったと思われるペンギンのイラストが描かれたファンシーな付箋だった。最後に『カンタ』と名前が記されていた。

 ゾワと鳥肌が立った。

 チャビがSNSで『会いにいく』と言われたフォロワーなのか。こんなイタズラ好きじゃない。こそこそ覗き、自分は姿を見せないなんてフェアじゃない。

「チャビ、このカンタってのがさっき言ってたヤツ?」

「うん」

 チャビの声が震えている。

「ペンギンが楽しみとか、発言した?」

「うん、した……」

 その発言を見て、僕らは先回りをされたのだ。

 辺りを警戒する。ペンギン舎の周囲にそれらしき人影はない。が、まだ近くにいるかもしれない。

「そいつが近くにいるか、わかる?」

「ボク、カンタくんの顔、わかんないの」

「なんで……バイトのお客さんなんだろ?」

「うん、でもSNSでそう言われただけで、本当のことはわからない」

「でも会ったことがあるなら、顔を見れば思い出すんじゃないか?」

「お客さん、ひとりひとりの顔は覚えてないよ。お客さんだったとしても、カンタくんの顔はわからない。SNSのアイコン、カンタくんは顔写真じゃないし」

 本当にそうだろうか。ストーカーをするほどチャビに興味があるなら、素性を隠して何度も客として会っている可能性が高い。チャビに顔が知られているから、僕らの前に姿を出せないのではないか? とにかく、僕はチャビのしているアルバイトに気持ちの晴れない想像を巡らせていた。

 チャビの腕をつかむ。半ば引っ張るようにして、僕らはペンギン舎を離れた。


 ◇


 JR上野駅、山手線のホーム下にたどり着くとちょうど電車が来たばかりのようで、降車した人々が階段を下りてきた。一刻も早く上野から立ち去りたくて、チャビの手を掴んだまま、その人並みに逆らい階段を駆け上がった。緑のラインの入った車体に滑り込む。

「飛び込み乗車はおやめください」

 と駅員さんから声がかかる。

 背後で音を立てて、扉が閉まった。

 車内はスーツ姿のサラリーマンで意外と混雑をしていて、僕はチャビを守るような姿勢で、扉付近の手すりに立った。

 山手線は環状線なので、内回りと外回りがある。どちらかも確認せずに飛び乗ってしまったが、上野から僕らの住む新宿はちょうど真反対に位置するのでどちらでもそう時間は変わらない。

 チャビは、ただ俯き続けていた。カンタの恐怖もあるのだろうが、今は僕の視線から逃れようとしているように見えた。しばらく僕らは無言だった。車窓の景色が流れて行く。

「チャビのしているアルバイトってさ、どういう仕事なんだ?」

 思い切って聞いた僕の質問に、

「えっと、接客業だよ」

 ボソボソと言いにくそうにする。電車が西日暮里に到着し、人がぱらぱらと乗り降りして行った。僕らは山手線内回りに乗ったようだ。

「シフトを入れておいて、仕事が入ったら行くって言ってたよね?」

「うん」

「それって、お客さんがチャビを指名するってことなんじゃないかい?」

「……」

 チャビは何も答えない。

 出張ホストというものがあるらしい。以前、リリコさんやユウキとの会話の中で出てきた。ノンケでいうところのいわゆるデリヘルや、コールガールのことだ。

 もし、チャビが自分の身体を売るようなことをしているのだとしたら。客のひとりがチャビを気に入り、特別な感情を抱いてしまうこともあるだろう。だがチャビにとっては客のひとりでしかない。ひとりひとりの客の顔をいちいち覚えていない。邪険にされたと思った者がストーカーになったとしても不思議ではない。

 チャビは小さくその身体を丸めるようにしていた。手が震えている。僕はその手を強く握りしめた。チャビの体が微かに反応する。

 こんなことを言っていいのかわからない。チャビにはチャビの生き方がある。別に身体を売ることをとやかく言うつもりもない。ただのお節介かもしれなかった。それでも僕は言わずにいられなかった。

「他のバイト、探してみようよ」

 俯いていたチャビが僕の顔を見上げた。説教じみたことを言ってどうするんだという気持ちもある。今日一日でチャビのことをたくさん知ったが、まだチャビのことをちゃんと理解したとは言えない。無責任なことを言っている。そういう自覚があった。だけどここで言わなかったら、この先、どんなにチャビのことを知ったとしても、僕はどんどん何も言えなくなってしまうような気がした。チャビが僕を見つめている。

「そのアルバイトを続けていたら、きっとそいつは、チャビを諦めないよ。嫌がらせもきっと、もっとエスカレートしていく。チャビのことが心配なんだ」

 自分の初恋の人を思った。相手は大学の同級生で親友だった。叶わない恋だとわかっていても、毎日顔を見ていたら諦めることはできなかった。行き場のなくなった感情は、冷静な判断力を無くす。僕がそうだったみたいに……。

 どのくらいそうしていたのか。だいぶ経ってから、チャビは小さく肯いた。そして、ためらうように僕の手を握り返した。チャビの背負う緑色のデイバッグ。ペンギンのロゴマークが背中で潰れてしまわないように、そっとチャビを引き寄せた。

 電車の発車メロディが聞こえる。耳なじみのある音に自然と駅名の書かれた看板をホームに探した。山手線は駅によってご当地メロディというものがある。

 高田馬場だった。

『空をこえて、ラララ星のかなた――』

 発車のメロディに合わせて、そんな歌詞を思い出した。列車のドアが閉まる。チャビの視線を追うと、その目は雑居ビルの合間に見える薄曇りの空を見ていた。

 上野動物園で皇帝ペンギンを見ることは出来なかったけれど、いつかチャビとその誇り高いペンギンを見に行きたいと思った。


第5話完

第6話へ続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虹を見にいこう 第5話『皇帝ペンギンの見る空』 なか @nakaba995

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ