彼女はイントレランス
あけぼの交番の名物ハコ長の猫のミュウもベッドで微睡む月曜日の昼下がり。
僕達交番勤務の警官3人は、それぞれ午前中の巡回や対応した諸般の報告書などを作成していたのだが、フイに大場くるみ巡査が書類から顔を上げてこちらを向いた。
「そう言えばさぁ、ゆんゆんに学祭に誘われたから行って来たって話したっけ」
何がそう言えばなのかは分からなかったが、突然そう話し掛けてきた。
「え?由香里さんが大場を誘ったのか?」
加賀君が訝しげな表情で大場君を見た。加賀疾風君は巡査長で大場君の教育を担当してくれている。かく言う僕は、真島健二巡査部長で実施的なあけぼの交番の責任者だ。
「なに?自分が誘われなかったからって私に絡まないでよね」
何故か好戦的な表情で加賀君を見る大場君は、まるで天下を平定したかのように仁王立ちしている。
「俺が誘われるわけ無いだろ。由香里さんの通う大学は、男子禁制の厳格な女子大だ。それで、大丈夫だったのか?」
「大丈夫だったのかって何が?つか、訳分からん。私、れっきとした女子なんだけど」
「そんな事は分かっている。まさか、由香里さんに迷惑を掛けてないだろうな?」
「ゆんゆんに迷惑を掛けたとして、それが加賀っちに何の関係があると言うのかね?」
大場君が加賀君を挑発するかの様な物言いをするたびに、僕はハラハラしてしまうのだが当の本人はどこ吹く風だ。
「ゆ、由香里さんが通う大学というのは、セレブなご家庭の子女の為の学校らしいけど、どんな学校だったの?」
なんとか話しを逸らせたくて、僕が由香里さんの大学に話題を振ると大場君の目がキラリと光った。
「ロココ調のお城みたいな綺麗で超豪華な学校だった。私は高卒だからさ、大学の学祭って屋台とかコンサートとか、そんなお祭りみたいな感じだと思って行ったんだけど、どっちかというとサロンみたいな感じ」
?サロン?大場君の説明は、僕にはちょっと理解出来なかった。
「めっちゃ立派な音楽堂と劇場が並んで建ってたり、大きな池を挟んで図書館と美術館が建ってたりしてさ、めちゃ広いんだけどインターネットのマップで探しても表記されないの。謎の学校だよ」
「そうなのかい?凄いね」
僕がそう言うと、大場君は疑わしげな目で僕を見た。
「なんかさ、本当はゆんゆんの学校なんて興味なさそうだよね」
「えっ」
大場君は時に鋭く核心を突いてくるのでドキリとさせられる。
「大場巡査、無駄口はその位にして、そろそろ仕事に戻ろうか」
加賀君が助け舟を出してくれた。
「真島巡査部長も、大場巡査と遊ぶのは大概にして下さい」
・・・怒られてしまった。加賀君、申し訳ない。
「遊ぶって何さ。加賀っちだってムッチー達のお喋りに付き合ったりするじゃん」
いつにも増して大場君が好戦的だ。
「学校の話しを持ち出した僕が悪かったんだから、大場君も落ち着いて」
「まっしーがそうやって加賀っちに気を使うから、すぐにマウント取られちゃうんだよ」
「ちょっと待て。誰が誰にマウント取るって?」
わ〜っっ加賀君、落ち着いて!二人とも喧嘩は止めてくれ!
「加賀っちはさぁ、ゆんゆんと仲良しなんだから、ちゃんとゾンビの事を説明しておいてくれないと困るんだけど」
あ、なるほど、大場君が加賀君に好戦的なのはゾンビ絡みの何かがあったからなのか。
「ゆんゆんもだけど、ゆんゆんのお友達も浮世離れしてるからさ、ミイラとゾンビの違いさえ理解してないんだもん。私は膝から崩れ落ちそうになったんだからね!」
ミイラって実際のミイラじゃなくて、映画や小説に出てくる包帯でぐるぐる巻になっているミイラの事かな?
「どちらも死んだ人が蘇るわけだから、一緒じゃ無いのかい?」
僕がそう言うと、大場君が僕をキッと睨みつけた。
「違うから!全然違うから!ゾン対本部長のまっしーがそれじゃ先が思いやられるじゃん!だいたい、まっしーはいつになったらゾン対の有識者会議を召集するのさ!真剣味が足りないよ!」
そんなに怒らなくても・・。こんな騒ぎの中でも熟睡出来るミュウが羨ましい・・・。
「ミイラもゾンビもどっちも人を襲うんじゃないの?」
思い掛けない声に、僕と大場君、そして加賀君までもが交番の入り口を振り返った。
扉を開けて立っていたのは村上勝子さんと西崎富子さんだった。
「昔はよく夏場になると、ミイラとかドラキュラとかの映画を放送していたものだけど」
「ゴーゴンが怖かったのを覚えてるわ」
「ゴーゴンは怖かったわよね!そうそう!あれ、覚えてない?宇宙から来たアメーバが人を襲うやつ!」
「たしか作り直したのもあったけど、最初の映画の方が怖かったわ!」
「ミイラなんて、あのボロボロな包帯が解けそうでハラハラしたわ」
昔のホラー映画の話で盛り上がる富子さんと勝子さんを見る大場君の目がキラリと光った。
お、大場君!勝子さん達に説教とか絶対に止めてくれ!
「クリストファー・リーはホラー映画界の神だよね」
え?
「あら、くるみちゃん、クリストファー・リーを知ってるの?」
「知ってるに決まってるじゃん!いかにも貴族的なドラキュラにぴったりハマってたもん」
「そうなのよ!気品があるから尚更怖かったのよ」
思いがけず昔の映画の話しで盛り上がる大場君と勝子さんと富子さんを、僕は少々呆気にとられて見ていた。
由香里さんのミイラとゾンビの話はダメで、勝子さん達のドラキュラやミイラが良いという境目がよく分からない。
大体、大場君は19歳という若さで、勝子さんや富子さん達と話が合う事自体不思議でならない。
以前、大場君の口から『柿の木坂の家』という古い歌謡曲のタイトルを聞いた時は、流石の富子さん達もキョトンとしていた位だ。
なんでも、九州に住んでいる叔母さんが、昔レコード店に勤めていたらしい。
一頻りガールズトークに花を咲かせた後、スーパーに寄って帰るという勝子さん達を見送って交番内に戻って来るなり、大場君が腕組みをして僕と加賀君を睥睨するかの様に立ち止まった。
「で、2人はゾンビとミイラの違いを、ちゃんと理解しているんだよね?」
勝子さん達にはニコニコ笑顔だったのに、先輩である僕達にはまさかの鬼の形相なのは何故なんだろうか。
「大場君、勤務中だから、ね?そろそろ巡回に行く時間じゃないかな?」
僕がそう言うと、大場君はなんとも表現し難い目つきで僕を見た後、時計をチラリと見て腕組みを解いて敬礼した。
「ラジャ。大場巡査、巡回に向かいます」
ゾンビモードから仕事モードに切り替わってくれた様で助かった。
「待て、俺も同行するから」
そう言うと、加賀君が席を立ち大場君を伴って交番を出た。
「私が運転して良い?」
「止めろ。俺を殺す気か」
という会話の後、小型警ら車で巡回に向かって行った。丁度、小学校の下校時間が近いので学校近辺を重点的に回ってくれるだろう。
2人が居なくなった交番内の、なんと静かな事か。別に騒々しいのが苦手という訳ではないが、大場君からの精神的圧に僕はどうにも弱い気がする。
実際のところ、大場君は実に献身的に地域住民の為に勤めてくれていると思う。だが、ゾンビ関連の話を始めると、地域住民に対する様な寛容さは息を潜め、実に攻撃的で容赦が無い。
極々普通の40代男性である僕の様な人間には、常識より自分の意見が最優先という若い世代の猪突猛進的言動は、どう対処すべきか判断出来ずに無駄にオロオロしてしまう。
あの冷静沈着な加賀君でさえ、大場君のペースに巻き込まれて時として感情的になる事があるのだから、僕に大場君を制御する事など所詮無理な話なのではないだろうかと思えてくる。
そんな事を考えていると、フイに視線を感じて僕は書類用のロッカーに目を向けた。
ロッカー上にはハコ長のミュウの為に置いた猫用ベッドがあるのだが、いつからそうしていたのか、ミュウがまるで賢者の様な目で僕を見下ろしていた。
「ハコ長、僕は自分の力不足に大いに落胆している処です」
ため息混じりにそう呟いた僕を、ミュウはただ黙って見下ろしている。
いや、大場君が時に不寛容になるのは、僕の努力不足なのだろう。署長から大場君をよろしく頼むと言われた以上、僕には大場君を警察官として正しく導く責任がある。
何故だかそう諭された気がしてならない、そんなハコ長ミュウの眼差しだった。
あけぼの交番ゾンビ対策本部(予定) 柄本 萌 @maru3sky
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