第4話:野営地の宿

 時間は少し巻き戻る。


 剣士の男は酒場の前に荷車を止め、食料と塩、香辛料、そして酒樽を下ろした。酒場の手伝いの丁稚が一つ一つ丁寧に中身を改めていた。


「問題ありません。あとは主計に書き判サインと報酬を頂いてください。」

「わかった。」


 剣士は荷車に向き直り、ずいぶん広くなったそこに座る狼の耳と尻尾を揺らす少女を見る。


「荷物を見ててくれ。」

わしも呑みたい。」

「酒を飲んでくるわけじゃない。ミルクで我慢しろって帰されたいか? 」

「呑みたい! 」


 しばらく見つめ合っていたが、根負けしたのは剣士の方だった。


「一瓶もらってくる。宿で飲もう。荷物を見ていろ。」

「いい酒を頼むぞ。」

「いい子にしてたらな。」


  喜色満面の少女にため息を付きながら、剣士は酒場の扉を潜った。強い酒精の香りと香辛料をたっぷり使った料理の香りが彼の鼻を擽る。冒険者たちの会話を横目に奥のカウンターへと向かい、そこで硬貨を数えている眠そうな眼の女性に納品書を渡した。


「主計だろう。ファンってわけじゃないんだが、これに書き判サインが欲しい。」

「あぁ、頼んでいたの、届けてくれたんですね。」

「中身は丁稚が確認していた。」

「あぁ、あの子ね。」


 主計は納品書を受け取りサインをすると金貨袋をカウンターに置いた。それを受け取った剣士は、入れ替えるように荷物をカウンターに置いた。


「それと、戦利品トロフィーだ。酒瓶と交換して欲しい。」

「へぇ、ちょっと爺さん、鑑定してもらえる?」


 主計の呼びかけで店の奥から出てきたのは犬にもよく似た、立派なひげを蓄えた、毛むくじゃらの小柄な亜人デミの老人だった。


「ドワーフか。」

「そう。念の為ね。」


 それは鈷人ドワーフと呼ばれる亜人、別名コボルトとも言う種族だった。こと物品の鑑定において、彼ら以上に信頼できる種族はないと言われている。男も彼になら任せられると思っていた。


「またか、ワシャ鑑定士じゃないと言ったろうが!」

「爺さん以上の審美眼がある人を知らないんでね。」

「俺からも頼むよ、ドワーフのお墨付きじゃ俺も文句は言えなくなる。」

「ほほ、そう言われりゃ、悪い気はせんな。」


 ドワーフの老爺は懐から眼鏡を取り出すと包みを開いた。


「ほほ、立派な牙じゃ。大妖鬼トロール、それも霧の大妖鬼ミスト・トロールじゃな。今日見るのは二度目じゃ。」


 老爺は眉に隠れそうな小さな眼を見開いてその大きな牙を舐め回すように見ていた。


子鬼ゴブリンの分前?」

「失礼だな、死体漁りは趣味じゃないんだがね。」


 主計は悪びれることもなくそう言った。彼女は倒れていたトロールの死骸から牙だけを戦利品と偽って持ってきたのではないかと訝しんでいるようだった。無理もない、一日に二度同じ魔物の戦利品が持ち帰られたのだ。しかし老爺はそれを即座に否定した。


「や、同じ下顎の牙だが、これは二周りはでかい。別物だな。」

「へぇ、お兄さん、酒瓶と交換したいんだって。」

「ワシなら、一番の蒸留酒を樽でくれてやる。」


 大きな狼がいるとは言え、流石に蒸留酒を樽では飲めない。瓶が2つばかりあればいい。剣士がその旨を伝えると老爺は主計の話も聞かずに勝手に酒瓶の棚を漁り、見事な装飾のガラス瓶を取り出した。それと同じく、薄い金属でできたグラスも。その見事な仕事ぶりは恐らくドワーフによるものだろう。


「ぶどう酒を蒸留したもんじゃ。ワシらドワーフ焼いた葡萄酒ブランダウェインと呼んでおる。」

「ブランデーか。」

「なんじゃ、知っとるのか。」

「昔、ドワーフあんたらの国で飲んだことがある。」

「並の酒じゃないぞ、ワシが造った。」

「期待しよう。」


 ブランデーの瓶とグラスを受け取った剣士は、一言礼を言って酒場を後にした。その背中を見送った主計は腑に落ちない表情だった。


「どうしてあんな高価なものを。『取るに足らない』でしょう。」

「ただの人間ヒューマンにはそう見えるんじゃろ。ワシも気付くのがやっとじゃった。」


 老爺は喧嘩が始まった酒場でもみくちゃになってる男たちをすり抜けて出ていった男の背中を見て、ボソリと呟いた。


「軽口が減りましたな。」


 酒場を出た剣士を少女は期待した目で見ていた。彼はそれに答えるようにブランデーの瓶を振る。


「懐かしい匂いじゃな。」

「あぁ、とても懐かしい。」

「覚えとるか?」

「どうだろうな。」


 一行は荷車を引いて、すぐ真向かいの宿へ向かい、荷車を預けて部屋を取る。宿の主らしい大柄な男は傷のついた顔を精一杯愛想よく見せた。


「二人かい?」

「あぁ、部屋は1つでいい。」

「そうかい、ベッドはどうする?」

「そんな言い方じゃあ女の子は口説けない。」


 得意げな顔で少女を見る剣士のスネを、彼女は強く蹴った。だがろくな痛痒にもなっていないようで不満そうににらみつけるしか無かった。


「そのとおりだ、悪かったな。食事は?」

「今日はなんだ? 」

腸詰めソーセージと芋の炒め物だ」

「チーズを添えて部屋まで持ってきてくれるか?」

「腸詰め多めでの!」


 男はそう言ってカウンターに金貨を置いた。店主はその重さを手だけで確認する。手慣れたものだ。金貨が偽物でないことなどすぐに分かる。


「喜んで。《静かに》しておきますよ。」

「気が利くな。」

「えぇ、とびきりのつまみを持っていきますよ。」


 店主に言われた部屋は野営地に作られた簡素な宿屋ではあるものの、かなりしっかりした作りだった。大きめのベッドが2つと荷物入れの木箱、部屋の中央にはテーブルと椅子がおかれていた。野営地の規模からしてかなり広い部屋と言って差し支えないだろう。


「柔らかいベッドは久しぶりじゃの。」

「あぁ。金貨を掴ませたかいがあった。」

「それは、柔らかいベッドか?それとも二人だけの空間にか?」

「どっちだと思う? 」

「それを女子おなごに言わせるでないわ。阿呆。」


 グラスにブランデーを注ぐ。はグラス越しに手で温めて香りを楽しめと言っていたことを思い出していた。水で割ったり、氷を入れるのは野暮だとも。溶けたチーズを絡ませた腸詰めと芋の炒めものを付け合わせにして、高い酒を楽しむ。


「やはり、強い酒じゃな。」

「割るか? 」

「野暮じゃろ。」

「女は割るのもいい。そうだったろう。」

「そう、そうじゃったの。」


 グラスを一度空にしてた男は、もう一度グラスを満たす。


「『些細』だが、楽しい夜だ。」

「それは良かったの。」


 少女は蝋燭だけが部屋に明かりを灯す暗がりの中、彼の頬に一筋の涙が伝うのをしっかりと見た。少女は彼に歩み寄ると、母親のように抱きしめた。


「今日は、を抱いても良いぞ。」

「寂しいのは、お互い様だ。」


 漏れ出したのは剣士が先だが、決壊したのは少女が先だった。少女は彼に縋り付くように、扇情的に口付けをした。

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