不倫スル者ハ社会カラ抹殺セヨ

すでおに

不倫スル者ハ社会カラ抹殺セヨ

 ため息を吐いたら鉄粉が降ってきそうな鉛色の空だった。雷雨のように激しく、あまつさえ鋭利な鉄粉が降れば、傘は露ほども役に立たない。


 ぬかるんだ様に足取りの重い朝の通学路。駅から歩くごとに制服姿が増えていき、やがて女子高生は塊となって校門に吸い込まれていく。校庭の銀杏はすっかり黄に染まっていた。


 不意に背中を叩かれた。振り返ってもすでにそこに姿はない。予感がして手を伸ばすと予感通り、背中に貼り紙がされていた。


『私は不倫しました』


 くしゃくしゃに丸めてポケットに押し込む。耳をくすぐるような笑い声が聴こえたのは現実か錯覚か、区別がつかなかいまま後ろに過敏になりながら俯きがちに歩いた。


 戸が心なし軽く感じた下駄箱は、案の定空っぽだった。昨日の帰り、いつも通り上履きをしまったはずなのに。しかたなく来客用のこげ茶色のスリッパに足を通す。廊下を擦る音が不吉な轍となってあとをついてきた。


 始業前の教室は、ほとんどの生徒が登校済みだったが、着席した子はまだまばらで、落ち着きを欠いていた。足を踏み入れると、虫眼鏡で集めた太陽のようなじりじりした視線に晒された。

 教室の中央にある自分の机には、バーゲンセールの広告のようなけばけばしい文字で『不倫女』『死ね』『カス』『学校ヤメロ』等の罵詈雑言が書き殴られていた。


 止むを得ず座ろうとした椅子がすっと後ずさりした。後ろの席の子が、したり顔で椅子を引いていた。

 下がったまま停止した椅子に腰掛け、机の中に手を入れると、置いたままの教科書の手触りが昨日までとは異なっていた。無残に切り刻まれているのが手のひらから伝わった。


「不倫してたクセに、よく平気な顔で学校これるよねぇ」

 窓際からねっとりとした声が発せられた。朝日が逆光になって表情が読み取れないが、これが合図となって、堰を切ったようにみな口を開いた。


「ホントぬけぬけと」

「頭おかしいんじゃないの?」

「不倫する女だからまともな神経してないんでしょ」

「恥知らずにもほどがあるって」

「ここまでくるとただのバカ」

「おんなじ空気吸いたくないんだけど」


 ピンボールのように無軌道に、硬質な弾が一体となった教室の中を飛び交っている。


「不倫女なんて学校にいらなくない?」

「ホントなんでいんの?」

「不倫女は帰れ!」

 罵声とともに後方から飛んできた黒板消しが後頭部に当たった。乾いた音を残して粉が舞い、髪が白く染まった。


「平気な顔で居座ってるからそういうことになんだよ。さっさと帰れよ!」


 かーえーれ かーえーれ かーえーれ かーえーれ


 手拍子とシュプレヒコールが呪文のように教室中に木霊した。


 かーえーれ かーえーれ かーえーれ かーえーれ


 渦は巻かれるほどに大きくなって行く。


「ちょっと待ってよ」

 ただ一人、口をつぐみ、手のひらを机に置いたままの子が立ち上がった。黒板消しを拾い、衝立のように落書きまみれの机の前に立ち塞がる。

「不倫したのは悪いかもしれないけど、それであんたたちに迷惑かけたの?」


 呪文が止み、つかの間の静寂が教室に降りる。


「は?なにいきなり?」

 手拍子を止め、持て余した手で髪をかきあげた。

「不倫擁護すんの?」


「別に不倫していいって言ってるわけなじゃないから。不倫は良くない。そんなこと分かってる。だけど、自分が被害受けたわけでもないのに、そんなに非難する権利あるのっていってんの」

 怯むことなく訴えた。


「ただ不倫してただけじゃないし。インスタで匂わせまくってたし」

「今さら鍵かけても遅いから。全部バレてるから」


「匂わせたとして、それが何なの?あんたたちに何の関係があるの?」

 教室の隅まで届く、よく通る声だった。


「インスタ見た?不倫なのにあんなにはしゃいで、それを公開してたんだから袋だたきにされてもしょうがないんじゃないの?自業自得でしょ」


「インスタにあげたことで、自分がなんか被害受けたの?何にも受けてないでしょ。叩く権利なんてないんじゃないの?」 


「そんなこと言ったら、自分には擁護する権利あるの?」


「だから擁護してるわけじゃないって言ってるでしょ。一人の人間が目の前で袋叩きにされてるから手を差し伸べただけ。それすらも許さないの?不倫の擁護になるの?」

 中央にいるせいで、全方位から集中砲火に遭ったが、その度に声のする方を向いて意見した。


「不倫していいの?」


「だから不倫していいっていってるわけじゃないって言ってるでしょ」


「不倫は悪いことなの。悪いことしたんだから叩かれて当然なの」

「そんなこともわかんねーのかよ」

 どこから持ち出したのか、黄色いテニスボールが投げつけられた。テニスボールは背中で跳ねて教室の隅に転がった。


「悪いことって別に犯罪犯したわけじゃないでしょ」

 振り返って、ボールを投げた子に向かう。


「不倫なんて犯罪みたいないみたいなもんでしょ」


「犯罪ではないから」


「もしあんたが不倫されたたらどう思うの?奥さんがどんな気持ちかわかる?」

 

「逆にどんな気持ちだと思うの?」


「不倫されて嫌じゃない人がいると思ってんの?頭おかしいんじゃないの?!」

「なんかさぁ、正義ヅラしてるけど、言ってることはただの不倫擁護じゃん」

「もしかして、あんたも不倫してんじゃないの?」


「は?してるわけないでしょ」

 語気を荒げた。


「そっか。自分も不倫してるから擁護してんだ。二人は不倫友達ってことね」


「何言ってんの?バカじゃないの?」


「バカは自分だから」

「二人で仲良く不倫してろよ」


 フーリーン フーリーン フーリーン フーリーン


 かごめかごめのように二人を取り囲んだ。


 フーリーン フーリーン フーリーン フーリーン


 有無を言わさぬ弾圧に、戦意を喪失したようにため息混じりに席に戻った。


 邪魔者が片付き、非難の矛先は元へ戻る。


「っていうかマジでコイツ、不倫しといて教室居座る気?」

「勉強に集中できなくなるんだけど。成績落ちたら責任取ってくれんの?」

「学校って神聖な場なの。勉強の場なの。あんたみたいな汚れた人間がいていい場所じゃないんだよ」

 そういって背後から歩み寄り、ペットボトルのコーラを頭の上からかけた。褐色の液体は弾けながら髪の毛を流れ落ち、制服を染めていった。抵抗する術もなく、その場でうなだれるしかなかった。


「せっかくだから記念写真撮ってあげようよ」

 一人がスマートフォンを向けると、周りも足並みを揃え、生徒たちは一斉にシャッターを切った。


「不倫女の顔ネットにあげちゃう?」

「不倫してるのはこの女でーす」

「自分でインスタにあげてたんだから全然問題ないでしょ」


 俯く顔を覗き込むように下からレンズを向けた。

 たまらず立ち上がり、逃げ出そうとしたが濡れた床にスリッパが滑って転倒した。笑い声とシャッター音が教室にあふれる。

 濡れた体で立ち上がり、靴下のまま教室を駆け出した。


「ザマア」

「2度と学校来んな!顔も見たくないから!」

「不倫するからこういう目に遭うんだよ!」

 誰もいない開いたままのドアに吐き捨てられた。


 不倫女のいなくなった教室を拍手と歓声が包んだ。

「正義は勝つ!」

「不倫は絶対許されない!」


「それじゃあ一緒に」


 その号令で各々カバンからペットボトルを手に取った。


「めでたく不倫女を葬りました!せーの!カンパーイ!!」

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不倫スル者ハ社会カラ抹殺セヨ すでおに @sudeoni

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