【9-37】 気魄

【第9章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429200791009

【世界地図】航跡の舞台※第9章 修正

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817139556452952442

====================



 ――いまだッ!

 落石の仕掛けのトリガーたる綱――それを切り落とそうと、セラが斧を勢いよく振り上げたときだった。




「あにさま、だめですッ!!」

 少女が、駆け寄った勢いそのままに、少年の二の腕にすがりついた。


 少年の軍帽が外れ、2つの紅髪が交錯こうさくする。


「エ、エイネ!?な、何でこんなところに」



 眼下では、さそりの馬車が、いよいよ切通しを通過しようとしている。


 降雨が勢いを増すなか「邪魔をするな」と、兄は妹を引き剥がそうとする。



「父上も、キイルタの親父さんも、アトロン将軍も……あの医者も、当てにならないのであれば!!」


 セラは犬歯をむき出しにして、身をよじった。


「大人が当てにならないのであれば、帝国法が頼りにならないのであれば、この僕が、あの狐諸悪の根源鉄槌てっついを下してやるッ!!」



 しかし、彼は振り上げた斧を動かすことができない。

 ――エイネの細い腕のどこに、これほどの力が。



「このような……場所で」  

 妹は濡れそぼった髪を左右に振り、兄をこちらに引き寄せる。


「このような相手からも見えぬ場所で、不意打ちのような卑怯な策で、ブリクリウ公を殺められたとしても、あにさまは、ととさまを超えることはできませぬッ!!」


「……ッ!!」

 妹の裂帛れっぱく気魄きはくは、冷雨をつんざき、兄の鼓膜を震わせ、胸に迫った。


 の先は、どのように考えているのかとエイネは問う。その口からは、白い息が流れていく。



 帝国総参謀長の嫡子襲撃事件とならば、徹底的に調査されることだろう。

 

 「自然による地盤の崩落」などという説明が、理解を得られるはずもない。


 任を解いた人夫の1人でも、この仕掛けについて口を割ればそれまでだ。


 よしんば言い逃れ出来たとしても、街道警備の不備をもってレイス家は取り潰しを免れぬ。


「ゴウラ様やその御領地の皆様は、どうなるのです。それにこのスリゴの民、役場の者たちは」

 下手をすれば、レイス家に関わる主だった者はおろか、その一族郎党まで連座となりかねない。



「もう、レイス家は、あにさまと あたしだけの物ではないのです」


 あにさまともあろう方が、どうしてそんなことにも気が付かないのですか――ここで、エイネは激しく咳き込みはじめる。


 少女は、薄い上着を1枚羽織っただけで、その下は寝間着のままであった。薄桃色の生地は胸元のリボンともども水気を含み、白い襟は泥に汚れていた。


 しかし、少女は大きく息を吸い込み、沸き起こる咳を抑え込むと、責めることをやめない。


「なにより、残されたキイルタは、どうなってしまうのです」


 蒼みがかった黒髪の少女が、セラの脳裏に浮かぶ。

「ど、どうしてここで、あいつが出てくる」


 兄の言葉に、妹はわずかに頭を振る。


 だがその時、発作のような咳がこみ上げ、兄の腕を掴んでいた手がずり落ちる。

 

「お願い、もう少し、あと少しだけ……」

 エイネは途切れそうな声で、己の胸に問いかけている。そっと片手を当てて。



 雨に打たれながら、エイネは呼吸が鎮まるの待っていた。


 崖上の事情などあずかり知らぬ蠍の馬車が、切通しをゆるゆると進んでいった。


 セラによる崖下への未練がましい視線は、遮られた。エイネによる苦悶を押し殺した、精いっぱいの微笑によって。


「……」

 雨露とともに、斧はセラの手を滑り落ちた。





 尾根の上に、兄は胡坐あぐらをかき、妹は膝を抱えて座っていた。


 セラは軍帽の水を払うと、雨除けの足しにと妹の頭に載せる。


 兄の配慮を嬉しそうに受け入れつつ、エイネは申し出た。


 あにさまは、テロリズムを掲げた零細領主で終わってはならない。もっと大きな存在を目指してほしい、と。


 その語気からは、先ほどまでのような切迫感は消え、願い出るようなものすらにじんでいた。


 セラは、無用となった巨石の仕掛けから、曇天へと視線を上げる。

「大きな存在、ね」


 そうです。ずっとずっと大きく――大海アロードよりも、ずっと。

 この国の根幹を変えていくような存在に。


「そいつはまた、大きく出たなぁ」

 セラは小さく息を吐いた。己を嘲笑するかのように。


 だが、兄の自嘲に妹が同調することはなかった。


 ご苦労を重ねてこられた あにさまだからこそ、出来ること、やるべきことが分かるはずです、と訴える。


「苦労をしたのは、お前も同じじゃないか……」


 セラは茶化すのをやめた。


「……まずは、このスリゴをもっと豊かにしないとだな」


 その前に、士官学校を卒業なさらないと。


「そうだった。随分と休んじまったからな……あと3年と少し、留守番を頼めるか」










 妹からの返答はなかった。



「エイネ……?」







 セラが視線を落とすと、水滴の撥ねる地面に、エイネは横様よこざまに倒れていた。







【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


エイネの気魄に気圧された方、

これ以上無理をしないでと、エイネの身を心配してくださる方、

ぜひこちらからフォロー🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758


セラとエイネが乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「帰館」お楽しみに。


キイルタは、再び大股で玄関に取って返した。そして、そこで座り込んだままの少年の首元を締め上げる。

「あなたは、いったい何をなさっていたのですか!?」


「狐を退治しようと思ったんだ――」

セラの黒ずんだ視線は、こちらを見ようとはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る