【8-16】遅々として

【第8章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429051123044

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 7月24日の太陽は、まだ午前だというのに、その力を弱めるような気配を見せない。


「大佐、くどいようですが、負傷兵は残し、戦闘可能な者だけでも、いち早く後方の本軍に合流させるべきではないでしょうか」


「……ならん」


 レディ・アトロンは、馬上前方を見据えたまま、セラ=レイスからの何度目かの提案を一蹴した。



 レイスは、懐中時計を一瞥いちべつする。


 昨宵、闇に紛れて陣営を捨ててから、早くも半日以上が過ぎようとしていた。


「いまヴァナヘイム軍に追いつかれたら、一巻いっかんの終わりです」


「ならん。我らを頼った者たちは、1人でも多く本軍に連れ帰る」


 撤退前から何度も繰り返してきたやり取りの結論は、この時も変わらなかった。


 弱者切り捨て論が気に入らないのだろう。いよいよ女上司は、こちらに視線を向けようともしなくなった。



 紅毛の青年将校は溜息をつくと、馬上、後ろを振り返った。


 キイルタ=トラフ以下、部下たちがうつむきながら黙々と駒を進めている。照りつける日光の下、蓄積した疲労も倍増し、言葉を交わす余裕のある者などいない。


 視線をさらに後ろに向けると、右腕を包帯で吊るしている者、ライフルを杖のようにして足を引きずっている者……五体満足な者はほとんどいなかった。


 彼らは、昨朝までの戦いで所属部隊が壊滅した敗残兵である。右翼にて唯一、軍隊としての体裁を保っていたアトロン連隊に、傷ついたその身を寄せたのであった。


 これら兵卒たちの犠牲と、アトロン・レイス両隊による時間稼ぎを利用して、ビレー中将、ミレド少将以下、各隊の上級指揮官たちは、早々に戦場を離脱している。


 レイスも、傷を負った者たちを切り捨てるよう、何度も意見具申したが、上官はたくましくしなやかな体躯の上にある首を、縦に振ろうとはしなかった。



 ――それにしても、こう遅々として進まないのでは、先が思いやられる。


 この連隊は、負傷兵に歩調を合わせているため、進軍速度は一向に上がらないばかりか、頻繁に休憩を取るのだ。


 レイスは、紅い頭を何度も左右に振った。




 レディ・アトロンとしても、持論を曲げないのには、それなりの根拠があった。


 ヴァナヘイム軍左翼は、昨日(7月23日)午前10時になって、ようやく後方に退いた。


 その数は左翼だけでも3万以上に及ぶ。


 それらをいったん後方に退けるまでに数時間、その上で各隊を再編し、補給を行い、出撃態勢を整え終わるまでは、さらに48時間程度を要するはずである。


 つまり、明日の午後までは、ヴァナヘイム軍が追撃を開始することはない。


 補給を終えたヴァ軍は騎兵をベースに急追してくるだろうが、騎馬とはいえ速足はやあしで何キロも走れるものではない。せいぜい並足なみあし・時速6キロあたりが関の山だろう。


 しかも2時間おきに、30分は人馬を休めねばならないはずである。


 また、索敵を目視に頼るこの時代、陽が暮れては、追撃もおぼつかなくなる。


 暗夜に闇雲に進撃しても部隊が道に迷うだけであり、宵の口から未明までは、行動を断念することだろう。



 それら諸条件から、レディ・アトロンが、部下のブライアン=フェドラー中佐らと弾き出した結論としては、次のとおりであった。


 ヴァナヘイム軍が帝国本軍に接触するのは、明後日7月26日の午前9時半過ぎである。


 一方、負傷者を多数抱えるアトロン連隊でも、同日の朝7時には帝国本軍に下に逃げ込めるはずだ。


 すなわち、このまま「30分退いては1時間休憩」という、のんびりとした後退を続けていても、ヴァナヘイム軍の追撃をかわし切ることはできるはずだった。



 しかし、そうした上官の目算に、レイスは賛同しなかった。


 彼女たちの計算は、敵の司令官が、以前までのような「凡庸な将軍だった場合」という公式で成り立っていたからである。


 ――あの新任司令官が、我らを逃がすようなことはあるまい。


 そろそろヴァナヘイム軍は補給を終え、戦列を整え終える頃かもしれない。


 敵の追撃部隊に追いつかれたら、負傷兵を多く抱え、補給もままならないこの部隊では、戦闘にすらならないだろう。


 ――やめよう。


 炎天下、レイスは体だけでなく頭も疲労を知覚した。このような時に思考を巡らせても、悲観的なことが思い浮かぶばかりである。


 ――いくらあの司令官でも、補給時間を大幅に短縮するような魔法は、持ち合わせてはいまい。


 馬上独り言を繰り返し、それに独りうなずく上官に、後続の部下たちはいぶかしむような視線を送ってくるのだった。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


レディ・アトロンは、本当に部下を大切にする将校だな、と思われた方、

レイスの懸念が的中することがないように、と願う方、

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【予 告】

次回、「時間の流れ 上」お楽しみに⌛

目まぐるしく、フェイズはヴァナヘイム軍に戻ります。


「オーズ将軍に伝えよ。『追撃隊を先行させよ』と」

 命じながら、ミーミルは改めて腕時計を確認する。


日没まではあと12時間――帝国軍の敗残兵に追いつくころには、残り4時間ほどになっているだろうか。

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