【8-16】遅々として
【第8章 登場人物】
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7月24日の太陽は、まだ午前だというのに、その力を弱めるような気配を見せない。
「大佐、くどいようですが、負傷兵は残し、戦闘可能な者だけでも、いち早く後方の本軍に合流させるべきではないでしょうか」
「……ならん」
レディ・アトロンは、馬上前方を見据えたまま、セラ=レイスからの何度目かの提案を一蹴した。
レイスは、懐中時計を
昨宵、闇に紛れて陣営を捨ててから、早くも半日以上が過ぎようとしていた。
「いまヴァナヘイム軍に追いつかれたら、
「ならん。我らを頼った者たちは、1人でも多く本軍に連れ帰る」
撤退前から何度も繰り返してきたやり取りの結論は、この時も変わらなかった。
弱者切り捨て論が気に入らないのだろう。いよいよ女上司は、こちらに視線を向けようともしなくなった。
紅毛の青年将校は溜息をつくと、馬上、後ろを振り返った。
キイルタ=トラフ以下、部下たちがうつむきながら黙々と駒を進めている。照りつける日光の下、蓄積した疲労も倍増し、言葉を交わす余裕のある者などいない。
視線をさらに後ろに向けると、右腕を包帯で吊るしている者、ライフルを杖のようにして足を引きずっている者……五体満足な者はほとんどいなかった。
彼らは、昨朝までの戦いで所属部隊が壊滅した敗残兵である。右翼にて唯一、軍隊としての体裁を保っていたアトロン連隊に、傷ついたその身を寄せたのであった。
これら兵卒たちの犠牲と、アトロン・レイス両隊による時間稼ぎを利用して、ビレー中将、ミレド少将以下、各隊の上級指揮官たちは、早々に戦場を離脱している。
レイスも、傷を負った者たちを切り捨てるよう、何度も意見具申したが、上官は
――それにしても、こう遅々として進まないのでは、先が思いやられる。
この連隊は、負傷兵に歩調を合わせているため、進軍速度は一向に上がらないばかりか、頻繁に休憩を取るのだ。
レイスは、紅い頭を何度も左右に振った。
レディ・アトロンとしても、持論を曲げないのには、それなりの根拠があった。
ヴァナヘイム軍左翼は、昨日(7月23日)午前10時になって、ようやく後方に退いた。
その数は左翼だけでも3万以上に及ぶ。
それらをいったん後方に退けるまでに数時間、その上で各隊を再編し、補給を行い、出撃態勢を整え終わるまでは、さらに48時間程度を要するはずである。
つまり、明日の午後までは、ヴァナヘイム軍が追撃を開始することはない。
補給を終えたヴァ軍は騎兵をベースに急追してくるだろうが、騎馬とはいえ
しかも2時間おきに、30分は人馬を休めねばならないはずである。
また、索敵を目視に頼るこの時代、陽が暮れては、追撃もおぼつかなくなる。
暗夜に闇雲に進撃しても部隊が道に迷うだけであり、宵の口から未明までは、行動を断念することだろう。
それら諸条件から、レディ・アトロンが、部下のブライアン=フェドラー中佐らと弾き出した結論としては、次のとおりであった。
ヴァナヘイム軍が帝国本軍に接触するのは、明後日7月26日の午前9時半過ぎである。
一方、負傷者を多数抱えるアトロン連隊でも、同日の朝7時には帝国本軍に下に逃げ込めるはずだ。
すなわち、このまま「30分退いては1時間休憩」という、のんびりとした後退を続けていても、ヴァナヘイム軍の追撃をかわし切ることはできるはずだった。
しかし、そうした上官の目算に、レイスは賛同しなかった。
彼女たちの計算は、敵の司令官が、以前までのような「凡庸な将軍だった場合」という公式で成り立っていたからである。
――あの新任司令官が、我らを逃がすようなことはあるまい。
そろそろヴァナヘイム軍は補給を終え、戦列を整え終える頃かもしれない。
敵の追撃部隊に追いつかれたら、負傷兵を多く抱え、補給もままならないこの部隊では、戦闘にすらならないだろう。
――やめよう。
炎天下、レイスは体だけでなく頭も疲労を知覚した。このような時に思考を巡らせても、悲観的なことが思い浮かぶばかりである。
――いくらあの司令官でも、補給時間を大幅に短縮するような魔法は、持ち合わせてはいまい。
馬上独り言を繰り返し、それに独り
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
レディ・アトロンは、本当に部下を大切にする将校だな、と思われた方、
レイスの懸念が的中することがないように、と願う方、
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【予 告】
次回、「時間の流れ 上」お楽しみに⌛
目まぐるしく、フェイズはヴァナヘイム軍に戻ります。
「オーズ将軍に伝えよ。『追撃隊を先行させよ』と」
命じながら、ミーミルは改めて腕時計を確認する。
日没まではあと12時間――帝国軍の敗残兵に追いつくころには、残り4時間ほどになっているだろうか。
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