【9-9】舟出 下

【第9章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429200791009

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「あにさまが戦場に向かわれること、エイネは気づいておりました」


 セラは13歳になると、その年の夏から急激に背が伸びはじめた。


 彼は高身長をいかして年齢を偽ると、志願兵部隊に加わることが許されたのだった。


 ここから南へ2日ほど下ったところに、野盗の類が糾合し、そこそこの勢力となっていた。


 賊たちは、街道を通る商隊や付近の村落を襲い始めたため、この土地の領主・ゴウラ家が討伐に乗り出したのである。


 だが、田舎領主ゆえ自前の兵では足りず、義勇兵を募集したのだった。



 義勇兵部隊への参加初日、早朝――セラは置き手紙を残し、そっと部屋を抜けだすつもりだったが、そのは序盤から崩れ去った。


 寝ているはずの妹は、朝食を用意し、兄の起床を待っていた。


「戦場に行かれるのですね」

 エイネは居住まいを正して、食卓の椅子に腰を下ろしている。


「……いつまでも皿洗いしてたって、仕方ないだろう」

 妹の静かな瞳を正視できず、兄はばつが悪そうに応えた。


 エイネはあおい目元をわずかにほころばすと、りんとして立ち上がった。そして、セラに古いカバンを差し出した。


 生前、父が使用していた、仕立てのよいトランクケースであった。


「着替えと水筒……それに、あにさまの好きなビスケットを入れておきました」



 静かな朝食であった。


 食卓には、スクランブルエッグが置かれていた。それは、牛乳にの卵とバターを駆使した逸品である。どれも勤め先の牧場からまかないとしていただいたものだ。


 しかし、紅髪の兄妹は、いつまでもその皿にフォークをつけようとはしなかった。


「じゃあ、行ってくる」

 玄関という名称が付いた、古びた木製の扉の前で、靴紐くつひもを整えたセラが立ちあがる。


 兄の背中に額を当てて、エイネはつぶやいた。

「あにさま、お気をつけて……」


 その声は、はっきりと兄の耳に届いた。妹はせいいっぱい声を絞り出していた。



 帝国とはいえ東岸領のしかも田舎街では、識字率は高くない。


 ひととおりの読み書きと算術をこなせることから、セラは義勇軍下士官として従軍が認められた。


 そして、そつなく戦功を立てた。


 偉ぶるどころか、いたって低い物腰――ややもすれば自らをいやしめているような態度――と、持ち前の才覚――この上官に付いていけば生き伸びられると思わせるカリスマ性――により、少年下士官ながらも兵卒たちはついてきてくれた。


 否、むしろ、セラは少年らしからぬ存在であった。


 低い物腰は、下級社会を生き抜いていくなかで身に付いた後天的な性質に、カリスマ性は、戦場の呼吸を読む先天的な才能に、それぞれ根差していた。



 義勇兵解散後、貧民街の貸し部屋に帰った兄を、小さな妹は玄関に仁王立ちして迎えた。


 ただいま、とセラが声をかけるよりも、エイネが眉間にしわ寄せ、両の目を細める方が先だった。


 そばかすの上にあるあおい瞳は、兄の足先から紅い毛先まで、いつになく真剣に確認していく。


 そればかりか、を当てた上着を、戸惑う兄から脱がせていくではないか。


 しかし、ボタンを外す妹の指は、かすかに震えていた。



 エイネによるの意味を解したセラは、笑いをこらえながら口を開いた。

「大丈夫。どこにも弾は当たっていないよ」


 兄の優しい言葉で、妹の瞳に混在した不安と気丈さは、同時にしずくと化してしまう。


「おかえりなさい、あにさま……」

 ぽろぽろとこぼす大粒の涙で、妹の出迎えの言葉は、かすんでしまった。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


兄妹2人が少しずつ成長していることに気が付かれた方、

エイネ、ずっと気を張っていたんだね、と思われた方、

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セラ・エイネ兄妹の乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「麒麟児 上」お楽しみに。


翌368年、帝国東岸領全体を揺るがす、貴族どうしによる騒動が勃発した。


発端は、帝都における第八皇子フォラ=カーヴァルと、陸軍参謀部次長ネムグラン=オーラムの対立の余波が東岸領に飛び火したものである。


一つ判断を誤れば、一族滅亡に直結する重苦しく難しい抗争であった。


そうした争いに、セラの所属する田舎領主も、否が応でも巻き込まれたのである。そして、この紅毛の若すぎる参謀の活躍により、ゴウラ家は難を逃れることとなる。

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