【10-13】 セムラ

【第10章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429411600845

【世界地図】航跡の舞台

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16816927860607993226

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「あの人はいつもそうなの。いくら注意しても生返事で――」

 フレイヤの大きな瞳は黒く濁り、栗色の巻き毛は逆立ちはじめていた。

 

 首飾りを取り戻したことで、夫の失態に対する怒りがぶり返したらしい。


 ラッパ状の袖口そでぐちから見え隠れするのは、猛将の目元に一生モノの傷をつけたであろう形よく鋭い爪だ。夏の陽光を浴びてギラリと光る。


「「「「「……!!」」」」」

 身の危険を察したミーミルたちは、椅子ごと一斉に後退する。階段将校の2人は、勢い余って後ろにひっくり返りそうになっていた。



 その時である。瘴気しょうきを発する女主人の前に、例の女性使用人によって一皿の菓子が差し出された。


 くり抜かれたパン生地のなかに、ホイップされた生クリームがふんだんに盛り込まれた菓子――セムラである。クリームの下にはアーモンドペーストが隠されているはずだ。


 セムラを認識するや、オーズ夫人の瞳は濁りを残しつつも、たちまち柔和になる。


 そして、食べていいの?と尋ねるようなフレイヤの視線に、使用人はそっとうなずく。


「いっただっきまーーーすッ」

 童女顔の奥方は、この菓子に目がないらしい。


「――――――ッ」

 口に入れた途端、その美味しさに彼女はもだえている。


 セムラにフォークを突き立て口に運ぶ度に、フレイヤの両目の濁りは霧散していく。


 この上なく美味しそうにむぐむぐと口を動かしている間に、凶暴そうな両手も袖の内側に引っ込んでいた。


 まるで憑依ひょういした悪魔が、エーシル女神の癒しにより、浄化されていくようだった。



 フレイヤの豹変ひょうへんぶりに圧倒され、ミーミルたちは、菓子セムラに手をつけられないでいる。


 それにしても、この菓子の投入は、まったく絶妙なタイミングだった。あとわずかに遅れていたら、5名の殉職者が生まれていたかもしれない。



「ムルング産の春摘はるつみです」

 セムラにやや遅れて、先ほどよりも淡い琥珀色の紅茶が、客人と主人双方に供された。


 香りもいくぶんか控えめである。ティーカップに描かれた花も、茶葉に合わせた春らしく明るいものに変わっていものた。


「うん、美味しいわ」

 フレイヤは澄ました顔で、ソーサーの上にカップを戻している。


 夫への怒りのぶり返しに続いて、好物の菓子への身悶えと、少々(?)振る舞いであったことを自覚したようだ。


 しかし、彼女の口元には、生クリームが付いたままである。



 さて、生命の危機はお菓子によって回避されたものの、新たにお茶を振る舞われてしまった以上、客人たちは、もうしばらくここに逗留とうりゅうしなければならない。


 首飾りを返却し次第、即時撤収――ミーミル一行の当初の作戦方針は、もはや原形をとどめていないと言えよう。


 目的を果たした以上、撤退あるのみ――変更を余儀なくされた上での新方針も、この春摘み紅茶の登場により、再び撤回を余儀なくされた。


 「閣下の方策はすべて読まれていたのか」と言わんばかりに、フルングニル参謀長は、使用人の横顔をうかがっている。肩フリルの先にある、彼女のには、さしたる変化も見られなかったが。



 ――もう少し、奥方様のお話に付き合って欲しいということのようだ。

 ミーミルも諦めたように、紅茶をすする。


 イフリキア大陸・ムルング国産の茶葉は、扱いが難しいとされるが、はたしてその味は――。



 苦みも灰汁あくもない完璧なまでのれ具合に、彼はかぶとを脱いだ。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


フレイヤの愛らしさを堪能された方、

セムラを食べてみたいと思われた方(季節限定だったと思いますが、全国のIKEAさんで召し上がれると思います)、

ぜひこちらからフォロー🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758


ミーミルたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢




【予 告】

次回、「寂しさと照れくささ」お楽しみに。


初めの頃は――そうね、5月くらいのことだったかしら、と前置きしてから、夫人は、猛将の口真似をする。


わしを差し置いて、総司令官に収まるなど、あの若造め、首をじ切ってやりたいわッ」


夫人の愛らしい顔と、述べている内容が、どうにも調和が取れていない。

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