【9-6】ハイエナ 4
【第9章 登場人物】
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結局、レイス家が落ち着いたのは、帝国最下層の人間が集う貧民街であった。
蒸気機関――石炭等で水を沸かすことによって得られる蒸気エネルギーを機械的な仕事に変換する原動機関――が生まれて数十年、帝国諸都市の郊外では無数の工場がはびこっている。
数え切れぬほどの煙突や配管から排出される煤煙や汚水が、工場群に隣接するこの貧民街にも流れ込んでいた。
上下水道ともろくに整備されていないことも相まって、街には常に悪臭がたちこめている。
人間の生命維持のためには、水は欠かせない。しかし、この国の大半の者は「水」と聞いて、「無臭」・「澄んだ」・「輝く」液体を想起することが出来なくなって久しい。
工業化の浸透は、汚染物質を地下水脈・河川に浸透させた。その結果、水は「腐臭」・「汚濁」・「くすんだ」液体となった。
人々は、水質が良いものから順に「一番水」・「二番水」・「三番水」と定義した。
一番水で生活してきた兄妹には、貧民街の共同井戸から
この街に
都落ちの失意や、慣れない力仕事のため、これまでも体調を崩しがちであったが、雨風をしのぐ場を確保できた途端、父は動けなくなった。
ゲラルドは、連日高熱を出し、粗末なベッドであえぐ日々が続いた。
この地に蔓延する風土病に父は冒されたのだった。貧民街では、そうした熱病を患った者たちが、往来のあちこちに転がっていた。
高熱は父を容赦なく苦しめ、発汗は渇きを促した。汗に濡れた体を拭き清め、かつ喉を潤すための水が必要だった。セラは父のために市場に向かうも、三番水を買うだけの金もなかった。
仕方なく、少年は広場にある共用井戸から水を汲んでは、あばら家に持ち帰った。
11歳になったばかりのセラにとって、それは重労働であった。しかもこの井戸水は、なけなしの薪を燃やして
寒さが一段と厳しさを増した冬のある日、父はついに昏睡状態に陥った。
室内は静まりかえり、よりいっそう冷え込んでいた。紅毛の兄妹が雪に覆われた裏山を歩きまわっても、粗末な暖炉にくべる薪を確保することができなかった。
父の発するいびきとも
少年は、先日まで住んでいたダンダアク郊外の街に走り、医者を探し求めた。
――お願いです。
――父が危篤なのです。
――助けてください。
しかし、どの医者もこ汚い紅毛の子どもの入室を拒んだ。各都市の医師会には、ブリクリウ派による手配書が、とうに出回っている。
雪はいつの間にか細雨に変わっていた。
セラは5軒目の診療所にたどり着いた。彼の知る限り、この街にいる医者は、ここが最後であった。
扉越しに応対した女性看護師に、父を診てくれと力を振り絞って懇願する。彼女が何度帰るよう促しても、少年はドアをノックし続けた。
何度目かのやり取りののち、根負けしたのだろうか、診療所の扉は内側に向け力強く開けられた。
扉の向こうで看護師が突き飛ばされたように見えたことは気になったが、医者が出てきてくれたことに、紅毛の子どもは、驚きと喜びを抑えることが出来なかった。
ところが次の瞬間、レイスは道路端に除けられていた雪山に、体ごと叩きつけられていた。
少年の顔には、喜びの表情が張り付いたままだった。
雪山は、雨を受けて溶けだしていた。レイスは仰向けのまま動けなかった。
扉が乱暴に閉められてから、自分が医者によって蹴り飛ばされたことを、少年は理解したのだった。みぞおちの激痛とともに。
腹からは
「お願いだよ。助けてくれよ……」
少年のか細い声は、白い息とともに消えていった。
往来を行き交う者はたくさんいたが、薄汚れた紅毛の子どもに声をかけようとする者はいなかった。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
父ゲラルドに解熱剤を処方したい、と思われた方、
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レイス一家の乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢
【予 告】
次回、「舟出 上」お楽しみに。
「あにさま、おなかがすきました……」
「……」
小さな丸木橋の上に、紅毛の幼い兄妹は座りこんでいた。貧民街を流れる小川の水は濁り、冬でも悪臭が絶えない。
「どうして、ととさまは、死ななければならなかったの?」
「……」
「ととさまは、悪いことをしていなかったのに、どうして?」
「……」
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