【9-7】舟出 上

【第9章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429200791009

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「あにさま、おなかがすきました……」


「……」


 小さな丸木橋の上に、幼い紅毛の兄妹は座りこんでいた。貧民街を流れる小川の水は濁り、冬でも悪臭が絶えない。


 妹は膝を抱えたまま、もやのかかった汚水の流れの先を見つめていた。その横で、兄は泥まみれのまま、胡坐あぐらをかいている。


 兄妹の浮腫むくみきったあおい瞳は、涙が枯れ果てていた。 


 高熱に悩まされ続けた父は、ベッドの上で冷たくなっていた。



「どうして、ととさまは、死ななければならなかったの?」


「……」


「ととさまは、悪いことをしていなかったのに、どうして?」


「……」


 ――父は弱かった。

 残酷な現実に、少年は触れた。


 それは、キイルタのお父さんが教えてくれたわけではない。


 学校における教師・生徒たちからの悪口・嫌がらせ……。


 パン屋を摘まみ出されたとき、医者に蹴倒されたとき、彼らが自分を見る目つき……。


 それらが重なり合い、みこむようにして思い知らされた現実だった。



 父は、レイス家の矜持きょうじを貫いた。


 セラは、それを誇りに思いたかった。思わなければ、こんなどぶ川のほとりに、どうしてたたずんでいられようか。



 しかし、妹からの質問に、少年はいつまでも答えられなかった。


 矜持も大いに結構。


 だが、「名門レイス家」などという肩書のおかげで、パンすら食べられなくなったのではなかろうか――。


 日が暮れても、幼い兄妹は丸木橋の上に座りこんだままだった。




 帝国暦369年1月、レイス家は11歳のセラが当主となった。


 当主とはいえ、臣下は幼い妹1人、治める土地は貧民街の借家一間である。


 ゲラルド=レイスの粗末な葬儀は、新当主セラとその妹エイネ、それに、トラフ家の父娘ロナン・キイルタ――わずか4人で執り行われた。


 ゲラルドの遺骸は、街はずれの寂れたルイド教会墓地に葬られた。


 ここは、レイス家が帰依してきたシャムロック教派に属する教会ではなかった。




 太陽神を崇めるルイドの教えは、帝国創立前から、オーク教派によって興された。


 現在でも原始のルイド教信仰教派として、帝国最多の信徒を持ち、帝都・ターラには最高学府を構えている。


 しかし、その長い歴史に裏付けられた独立独歩の気概は強く、権力機構にびることはなかった。


 帝史以前より、有力な豪族信徒・高位の貴族信徒から寄進を受けてきた領土は広大であり、宗教勢力ながら、時には独自の軍を動かすなど、その気概は実力を伴った。


 さかのぼること7代前、ルイド僧軍に手を焼いていた時の皇帝・エレモンは、オーク教派から、不平分子シャムロック教派を分派させることに成功した。


 それから110年、シャムロックは、時の権力者と結びつき、オークをけん制してきた。



 ここ十数年のシャムロック教派は、ネムグランの台頭とともにオーラム家の支持を表明している。


 おかげで今日こんにち、同教派は分派元のオーク教派を凌ぐほど、隆盛を極めていた。


 そのオーラム家とつながりの深いブリクリウ派閥に、レイス家はにらまれたのである。


 当然のことながら、シャムロック教派では、末端の教会すべてが父・ゲラルドの埋葬を拒んだ。


 やむなく、セラは同じくオーク教派の教会に頼るしかなかった。


 同じ太陽神を崇めてはいるが、信仰を曲げさせられた屈辱は、千言万語を費やしても表現しえないものがあった。




 葬儀のあと、レイス家の新当主は、妹の小さな手を引いたまま所信を述べた。


 必ず家名を再興させる、と。


 矜持という表層のものではなく、権能という深層のものを携えて。



 それは、構成員2名――家長とその妹だけ――の没落貴族による、みすぼらしい舟出ふなでであった。


 だが、喪服を着た幼馴染の少女・キイルタは、まじめな顔でうなずいていた。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


少年当主の門出を是非こちらからフォロー🔖や⭐️評価で応援してくださいますよう、お願いいたします。

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セラ・エイネ兄妹の乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「舟出 中」お楽しみに。


家名を残すために、糧を得るために、幼い当主は身を粉にして働いた。

朝は新聞と牛乳の配達をかけもちし、昼は工場での雑用に奔走し、夜は酒場で皿を洗い続ける。


「あにさま、きもちわるい」

新聞の勧誘に一日中精を出した折には、帰宅後、妹に敬遠されたものだった。

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