【2-8】庭師将軍 下

【第2章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700428630905536

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 帝国暦383年4月22日、ヤンネ=ドーマル率いるヴァナヘイム軍は、ヴィムル河に足を踏み入れた。


 勝利の余勢を駆ってヴァーラス方面に向かおうにも、河向こうに逃げた帝国軍マグノマン旅団に背後をかれるのは面白くない。


 何より、同郷のランディ准将を救うべく出兵してきたのである。その仇を討たねば、ドーマルとしての面子が立たないのだ。


 遅い雪解けの水が流れ込んでいるのだろう、河の水温は低く、水量は多かった。


 対岸には、先に退いていった帝国軍のものと思しき多くの小舟やいかだが残されていた。それらを組み込んでも、全軍が渡り終えるのにヴァナヘイム軍は2日近くを要することになった。



 河を越えてしばらく西へ進むと、地図に記載のとおり、小規模な村落があるという。


 この村は、帝国軍の補給基地の1つとされていたが、渡河前に派遣した斥候によれば、その守備隊はすべて撤収しているはずだった。


 ところが、その手前まで進んでみると、帝国軍の一部が村内に残っているという。


 すかさず、ヴァ軍は偵察騎を複数出し、状況の把握に努めた。こうした対応からも、総司令官ヤンネ=ドーマルは、慎重過ぎるきらいはあるものの、新聞が酷評するほど無能な指揮官ではなかった。


 偵騎たちも状況をほぼ正確にとらえ、司令部に報告している。

「帝国軍補給基地守備隊は、我が軍の接近を知ると、すぐさま逃げ出した模様です」


 わずか50の兵で2万の敵を相手にできるわけがない。兵糧も弾薬もすべて打ち捨て、我先へと落ちのびていったらしい。


「その後、この補給基地に逃げ込んだ帝国軍は、ひと月にわたり、我が軍と攻防を繰り返した部隊の一部と思われます」

 それらは、村に残された軍需物資を運び出そうとしているようだ。


 ――我らが迫っているというのに、悠長なことだ。

 斥候兵からの一連の報告を聞き終えると、ドーマルは首をひねった。肉付きのよいあごが揺れる。


 帝国マグノマン旅団は序盤こそ攻勢に出ることもあったが、その後は敗走に次ぐ敗走を重ね、弾薬も兵糧も尽きたのだろう。村落に残された軍需物資に未練がましく執着しているのも、理解できなくはない。



 4月24日午前8時、ひなびた村落を前にして、ヴァナヘイム軍は軍議を開いた。


 列席した幕僚や将軍たちは、この1カ月の勝利の余勢をかり、一挙に攻めかかるべきだと、異口同音に発言した。帝国の敗残兵を追い払い、兵糧弾薬を押さえてしまうべきである。


 それらは、総司令官の意向と合致したものであった。ドーマルは肥満気味な腹の上で腕を組み、ゆったりとうなずいていた。


 ところが、ひととおり将軍たちの発言が終わると、末席にいた黒鳶色くろとびいろの髪の青年将校が1人立ち上がった。


 アルベルト=ミーミル大佐である。


 彼とその麾下の活躍が、この1カ月のヴァナヘイム軍の勝利の源泉になっていた。


 そのため、ミーミルは佐官ながら、将官対象の軍議へ参加を認められていた。もっとも、この戦場に集結した将官が少ないという事情もあったが。


 しかし、この若者の提案は、総司令官の意に反するものであった。


「敵の動きが奇妙です。ここはいったん様子を見られるべきかと」


 一度放棄された軍需物資を、運び出そうとしている点に、一貫性を感じられないのだと彼は言う。


 ミーミルは背丈こそ中背だが、軍服ごしからも、その身体が引き締まっていることが分かる。鍛えられた腕を挙げて自軍のウィークポイントを指摘する。


「水量多く、我らは渡渉ポイントを把握できておりません。既に舟筏しゅうばつを用いて渡河を終えてしまった我が軍は、万が一の事態に陥った場合、水を背にし、退くことが難しくなります」


「……『万が一の事態』とは、どういう意味かね」

 不愉快さがにじみ出るのを敢えてそのままに、ドーマルはミーミルの言葉を遮った。


 将官、幕僚たちは、一斉に後方の総司令官席へ視線を向ける。


「それは、我が軍が苦戦を強いられるような事態に陥った場合のことです」

 総司令官の問いに、ミーミルは臆することなく応じた。


 そればかりか、ダークブラウンの髪の大佐は、ひと月ほど続いた攻防戦についても、懸念を示した。帝国軍の脆さに不自然さを感じます、と。


 しかし、若き大佐による、それらの諌止かんしは、総司令官の怒声によって報われた。


「このひと月、我が軍が重ねてきた勝利にまで、貴官は水を差すつもりかッ」


 ――この男も、ワシを見下しているのだろう。

 ドーマルは内心嘆息した。


 将官以上を対象とした軍議に佐官の参加を許したことは、若造を調子づかせるだけであったようだ。


 我が軍は2万、対する帝国軍はくたばり損ないの微々たる数。何を恐れることがあろうか。


 最下位の部下を散々ののしる総司令官に、周囲の将官たちも同調する。


「目の前のヤツらが、何かをたくらんどるとしたら、ヴァーラス方面の帝国本軍との間で無電が頻繁に飛び交うはずだ」

 オリアン少将は、その鉤鼻かぎばなを木でくくったようにして、賢しらげに締めくくった。


 事実、この数日、帝国のものと思しき無電を傍受したが、わずか数回程度で、しかもごく短文であった。


 そうした事情から、傍受した無電は、大がかりな作戦発動――増援を呼び寄せるなど――の一環ではないと、ヴァナヘイム軍では判断されていた。


 帝国軍の暗号は解読に至っていないものの、これらの交信は、村落に残された物資の運搬先を確認している程度のものだろう。



 4月24日午前10時、ヴァナヘイム軍総司令官ヤンネ=ドーマルは、軍議の終了を告げた。それとともに前方に残る帝国残兵の駆逐と、村落の占領を命じた。


 ヴァ軍は、最前線にドーマル大将直属の部隊を配置するという、用兵学上信じられない布陣で前進した。


 朽ちかけた村に残る敗残兵を一蹴するなど、造作もないことである。むしろ、民衆に勝利を知らしめるとともに、命令に従わない将軍たちに己の武威を示すには、最上のパフォーマンスであると言えた。


 この1カ月、陣頭に立つドーマルの姿とヴァナヘイム軍勝利の報道は、領民たちの不平をやわらげた。この半月ほどは、王都の総司令官官舎に対する投石は鳴りをひそめている。


 同時に、イエリン城塞の一部将校から、前線に参加したいとの意向を示す書状も届き始めていた。


 一方、総司令官を強く諌めたアルベルト=ミーミル大佐は、全軍の士気を落とす臆病者とされ、その部隊は最後尾に置かれることとなった。






【作者からのお願い】


「航跡」続編――ブレギア国編の執筆を始めました。

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


宜しくお願い致します。



次回、「紅い曲線」お楽しみに。

作戦発動まで2時間弱……マグノマン隊が村落を退去するには短すぎ、同隊の村落での存在を隠し抜くには長すぎる。



この先も「航跡」は続いていきます。


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