【2-9】紅い曲線

【第2章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700428630905536

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「全部火薬だっただと!?」


 帝国軍・イブラ=マグノマン准将は慌ただしく動きながら、村落に残された一群の木箱や、馬車に積み込んだそれらの一部を次々と開けた。


 力任せに動かしていた准将の両手は、黒ずむと同時にみるみる力が抜けていき、しまいには恐る恐るといった具合に、木製の蓋を閉めてしまった。


 1度目に村落の入口周辺から運び去った木箱には、確かに軍需物資がふんだんに詰まっていた。味を占めた彼らは、わざわざ引き返してきて、村落の奥から2度目の搬出に着手したのだった。


 ところが、そこには弾薬も砲弾も医薬品も食糧も入っていなかった。あるのは、麻袋や紙袋に目いっぱい詰められた黒粉ばかりであった。



 マグノマン以下直属の将兵は、火薬の海のなかに飛び込んでしまっていた。


 彼らは、帝国東征軍の主導する桁外れな規模の作戦――その震源地で戯れていたのである。


 無言のままこちらを見つめている途方もない数の木箱が、いまとなっては不気味に思えてくる。


 一部の下士官は、自分たちがいかに危険な場所にいるかをいち早く理解していたが、滑稽なことに、将兵のほとんどは、状況を飲みこむまでに時間がかかった。


 特に指揮官と幕僚たちの思考停止の状態は続いていた。


 あろうことか、彼らは荷台に積んだ木箱を、のろのろと降ろしはじめたのである。荷車と駄馬だけでも持ち帰ろうとする、指揮官の吝嗇りんしょくぶりは、隊内に浸透していたようだ。



 しかし、事態は彼らにのんびりと片づけをしている暇を与えなかった。


「ヴァナヘイム軍、急速に接近中!」


 マグノマン隊が、この先の街との間を悠長に往復し、火薬まみれの村落でしている間に、ヴァ軍は、村落への距離を一挙に詰めてきたのである。


 ヴァ軍は、先陣が最も分厚いといういびつな布陣であった。これでは、マグノマン隊はうかつに逃げ出すことができない。


 たちまち、寄せ手は射撃を開始する。やむなく、受け手も反撃を開始するが、いつ火薬に引火するか分かったものではない。


「ーーーーーーーッ!!!」


 敵の銃弾が跳弾するたびに、味方の小銃が発砲するたびに、マグノマンは胃腸や股間が収縮し、叫び出したい気分に襲われた。



***



「ヴァナヘイム軍、間もなくAポイントに差しかかりまぁす」


 帝国軍総司令部では、女参謀・ニアム=レクレナ少尉が長柄をもって図上、青駒をさらに動かしていく。


 彼女は不器用なのだろう、柄の先は他の駒をずらしてしまっている。


 セラ=レイスは、かたわらのキイルタ=トラフに尋ねた。

「マグノマンの部隊は」


「まだ地点Aにとどまっている模様です」

 トラフの灰色の瞳は、図上、村落にはないはずの赤い凸型駒をにらみつけている。


 先刻、ズフタフ=アトロン総司令官は、「作戦の遂行」よりも「味方の待避」を優先すると断言した。


【2-6】欲面

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700427257943064



 その後、前線の斥候兵から、「マグノマン隊がA地点からの撤退を終えた」との電信が入った。


 帝国軍総司令部では、村落Aは現時点でということになっている。それゆえ、参謀部は作戦の継続が許されていた。


 しかし、秘密裏に現地に置いている参謀アレン=カムハル少尉から電信はない。


 おおかた、村落に残されたに執着した挙句、マグノマンは故意にでたらめな状況を打電したのだろう。欲に駆られた同隊は、そのまま村落に留まっているはずだ。


 一方で、レイスが予測したとおり、ヴィムル河を渡河したあとのヴァナヘイム軍の動きは速かった。


 おそらく、マグノマン隊はの正体を知り動揺。そうこうしているうちに、撤退の機会を逸するだろう。


 それらの実情が明るみになったとき、総司令官の意向により、作戦は中断を余儀なくされる。完勝直前の局面で勝負を投げねばならないことを、若い参謀たちは全員理解していた。


 それは、彼等の1カ月以上にわたる不眠不休の取り組み――度重なる軍議に伴う資料作り、本国への無理無謀な調整、上層部への堅忍不抜な根回し、大砲徴収のための各隊との駆け引き――が、すべて無駄になることを意味した。


 部下たちの奮闘を無に帰さぬようにする――この対局を最後まで指しきる――ためには、村落から友軍を退去させるか、村落の友軍の存在を隠し通すしかない。


 紅毛の青年将校は、再び懐中時計を取りだした。かすかな金属音とともに蓋が開く。


 時針が13時を示す脇で、分針が10分あたりを刻んでいる。


 あと2時間弱……マグノマン隊が村落を退去するには短すぎ、マグノマン隊の村落での存在を隠し抜くには長すぎる。

 

 レイスは、眉間の皺をさらに深くした。




 重苦しい雰囲気漂う総司令部へ、伝令兵が再び入室した。一礼すると参謀主従の様子に忖度そんたくすることなく、大声で報告する。

「A地点にて交戦が開始されましたッ」


 先任参謀セラ=レイス以下のたくらみが、あっさりと頓挫とんざした瞬間だった。失望と観念を示すかのように、彼の頭部がガックリとあかい曲線を描く。


「交戦だとッ?」

「一体、どの部隊が!?」

「マグノマン隊は撤退したのではなかったか」

 後方の重役席では、副司令官エイモン=クルンドフ中将らが、たちまちざわめき出した。


 ヴァナヘイム軍を追いかけていた別の斥候兵が、村落Aにたどり着いたのであろう。無人であるはずの村に友軍が残っていたうえに、ヴァ軍と銃火を交わしだしたことで、慌てて打電してきたに違いない。


 全員が図上に集中する。


 「A」と記された位置に、遂に青駒がさしかかる。同時にそこへ再び赤駒が置かれた。


 懐へしまいそびれたレイスの銀時計は、14時を回っていた。






【作者からのお願い】


「航跡」続編――ブレギア国編の執筆を始めました。

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


宜しくお願い致します。



次回、「赤い曲線」お楽しみに。

駒が赤い曲線を描き、デスクの外に消えていく――床から乾いた木片の音が聞こえ、参謀たちが視線を戻すと、そこには紅毛の上官の姿はなかった。



この先も「航跡」は続いていきます。


物語を楽しんでいただけましたら、ぜひこちらから🔖や⭐️をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758


レイスたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢

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