【9-27】2つの決意

【第9章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700429200791009

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 陽が落ちても、レイス家の小さな館に、セラが戻ってくることはなかった。


 いくぶんか涼しい風が入りはじめ、エイネは寝静まった。起こさぬよう、キイルタはそっとベッドルームを抜ける。


 彼女は、そのまま応接間に向かい、テーブルの上に広げられていたティーセットを片付け始めた。



 レイス領・スリゴの統治補助のため、今月もゴウラ家から執政官たちが派遣されてきていた。


 派遣元の雰囲気よろしく、彼等は素朴であり長閑のどかであった。何より、先の内乱において、セラの智謀によって自分たちが救われたとの恩義を、子々孫々まで忘れることはなさそうである。


 そのため、半日待ちながら少年当主に会えずとも嫌な顔ひとつせず、この日は近隣の宿屋にいったん引き揚げている。



 彼等は毎月この地を訪れては、村役場の者たちとともに数多業務の締め作業に着手する。お互い牧歌的な田舎者どうし、肩肘かたひじ張ることもなく、くつろぐような雰囲気のまま、仕事は進められていく。


 それらが落ち着くや、彼等はこの領主館を訪れ、各種報告・対処提案を行うのだ。


 報告事項は、領民たちの租税納付状況のほか、道路や橋脚などの保全状況から事件・事故等の治安状況、そして来月領内で予定されている催事もよおしごとの進捗状況まで、多岐にわたる。


 「街道の石畳が割れて、水溜りが出来ていた」等、修繕が必要な場合には、その処置方法と費用の提案まで手掛けるのである。そして、その処置が認められるや、職人の手配・人工の調整は、村役場へと引き継がれる。


 レイス家の少年当主は、海の向こうの陸軍士官学校に通っているので、彼等をもてなし、それらの報告事項を聴くのはエイネの役目だった。


 エイネは、領主代行として執政官たちとの面談に臨むことわずか数回にして、適切な指示まで出すようになっていた。


 しかし、その少女はいま、重傷を負いベッドに伏せっている。



 当主の帰宅を待つ間、執政官たちはキイルタによって紅茶と茶菓子を振る舞われたものの、領主の妹君いもうとぎみのご負担になっては不本意と、日没前に辞去していった。


 彼等は去り際、報告書をキイルタに託していた。領主様が戻られたら、お目通しいただければ、と言付けて。


 それらの書類には、「急遽、東都ダンダアクより連絡が参りました」と、来月の沿道警備の指示書が追加されていた。



 その指示書は、東岸領北部の領主たちに配布されていた。


 来月、東都からアルイル=オーラム中将閣下とその傅役もりやく・ターン=ブリクリウ少将閣下が、同地域のに訪れるという。


 ――帝都の陸軍参謀総長・ネムグラン=オーラム大将閣下の御子息か。

 キイルタは、心中その名を唱えただけで、辟易へきえきした。

 

 第八皇子を帝都から駆逐して以来、ネムグランの勢いは天に昇るほどである。役職も参謀次長から総長へ駆け上り、50歳そこそこで、陸軍の位人臣を極めようとしている。


 そして、その嫡男・アルイルも、父親の横行覇道と傅役の他氏排斥たしはいせきを笠に着て、やりたい放題だと聞いている。


 特に、女遊びについては見境がないのだとか。


 今回も「巡視」など方便であり、北方界隈の領主の娘を品定めにでも来るのだろう。



 手持ち無沙汰を覚えたため、黒髪の少女は、窓際の鉢植えに水やりをした。暑気にあてられたためか、花々は心なしか元気がないように見受けられる。


 キイルタは、セラの帰宅を待っていた。


 少女は、ここ数日考え抜いた末の2つの決意を、少年に打ち明けようとしている。



 ――エイネちゃんを帝都の病院に連れて行こう。


 症状はいよいよ芳しくない。帝国本土の大病院に移さねば、間違いなく最悪の結果が待ち受けているだろう。


 この状況でエイネに半月もの船旅を強いるのは、大変危険な賭けとなる。セラをどうやって説得したものか。


 ここで、キイルタは、じょうろを持つ手が震えていることに気が付く。


 前領主様の御息女の命に関わることである。何をためらうことがあろうか。レイス家をトラフ家が表立って支援することについても、腹をくくるしかない――。


 そして、もう1つの決意は……。



「――ッ」

 ところが、帰宅したセラの様子を見て、彼の妹に対する提案を、もう1つの決意ごと、キイルタは吞み込んでしまった。


 少年は、陰気臭い帽子を目深にかぶったままうつむいていた。トレードマークの紅髪も、ほとんどが隠れたままである。


 あおい目も黒く濁り、精気がまるで感じられない。



「……もう、東都に戻っていいぞ。お前まで休学することはない」

 亡霊のような少年が突然口を開いたため、キイルタは内心ギョッとした。


 絵本や新聞の挿絵であれば、少女の長く蒼みがかった黒髪は、総毛立っていたことだろう。


 だが、幼馴染の様子に関心を示すことなく、セラはゆっくりとシャワールームに向かっていく。


 彼は右手に薄汚れた封筒を鷲掴わしづかみにしていた。


 破れた封からは、分厚い札束が顔をのぞかせている。


「……」

 道を譲るような形になったキイルタは、黙って彼を見送るしかなかった。


 この日、胸に抱いていた2つの決意を、彼女は1つも打ち明けることができなかった。






【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


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【予 告】

次回、「呼び鈴」お楽しみに。


憔悴しょうすいした表情のまま、キイルタが扉を開ける。


しかし、木製の扉はゴンという音と共に、抵抗を覚えた。

キイルタは、わずかに首をかしげる。

――ゴン?


玄関先には、1人の少女が両手で鼻を押さえ、うずくまっていた。どうやら扉にぶつけたらしい。

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