【2-4】村落A

【第2章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816700428630905536

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 小さな村であった。


 木造の家屋がわずかに点在しているだけの、特徴のない村落であった。住民は100人にも満たなかっただろう。


 イブラ=マグノマン准将率いる帝国軍中央第1師団麾下・第2旅団が命じられた最後の任務は、この村落への「敗走」と、この村落の「放棄」であった。


「やれやれ、わざと負けるというのは、存外難しいものだな」


 通信筒に入っていた総司令部からの命令書に従い、このひと月、マグノマン旅団は戦っては敗走し、敗走しては踏みとどまり……ひたすら、これを続けてきた。


 踏みとどまっては敗走すること5度、ヴィムル河を渡り、ついに、このうらぶれた村落にたどり着いたのである。


 彼らを追いかけ、ヤンネ=ドーマル総司令官に率いられたヴァナヘイム軍も、ここから北東へ20キロの地点にまで進軍してきているはずだ。麾下のランディ支隊を全滅させられたことに、憎しみをたぎらせたような追撃であった。



 村の入口には、形だけの古びた門があった。昼前から吹き始めた西風にあおられ、悲しげな音を立てている。


 ここには、先刻まで味方の一隊が常駐していた様子がうかがえた。数万のヴァナヘイム軍が迫るとの情報に接し、撤退したものと思われる。わずかな守備兵ではどうしようもない。


 その歪んだ木枠の先に一歩踏み込むと、マグノマンたちは思わず息をのんだ。目の前には、おびただしい数の糧抹袋に加え、小銃から火砲までの弾薬が山と積まれていたからである。


 第2次東征軍になり、補給体制が細かく整えられてからは、こうした各地の集落にも物資が置かれ、ヴァナヘイム領を網の目のように帝国 輜重隊しちょうたい(輸送部隊)が行き来するようになっている。


 それにしても、よほど慌てて引き揚げていったのだろう、物資運搬用の木製の箱が、そこかしこに置かれたままとなっていた。どの木箱にも帝国国鳥・鷲の焼印が押されている。


「この兵糧弾薬をそのまま捨ておくのは惜しいな……」


「閣下、総司令部からは、『すみやかにこの地を放棄するように』との通達が来ておりますが」


「わかっておる。しかし、このままでは貴重な物資をむざむざ敵に奪われるだけだぞ」


 ランディ隊との7昼夜にわたる交戦、続いてこのひと月にわたる退却戦により、マグノマン麾下各隊の兵馬や軍需物資の消耗は、過去に例をみないほどに膨らんでいる。


 そればかりか、今回の退却戦を前に砲兵隊は分離され、すべて総司令部の傘下に組み込まれてしまった。同時に機関砲の供出も求められたが、保有していないものは提供も何もなかった。


 同様に他の部隊からも砲兵および機関砲担当の歩兵が引き抜かれているようだ。


 どのような作戦を展開するのか、総司令部からは知らされていないが、大砲および機関砲の提供を渋る将軍に対しては、参謀たちが直接その部隊を訪れ、説得していたという。


 砲兵隊を徴発するに際し、「弾薬の補充ならびに砲の修繕は、総司令部にて負担する」との通達があった。


 だが、そのような説明に対し、マグノマンたちは疑念を差し挟まずにはいられない。人がいいだけの総司令官閣下の手もとに、砲弾が余っているとはとても思えないからだ。


 最後の拠りどころは、略奪をはじめとする現地調達や、領地配分をはじめとする戦後の論功行賞であったが、それも、どれだけ取り戻せるのかは不明であった。


 過日ヴァーラス城では、略奪を禁じられたという情報も入ってきている。


 ところが、そうした懸念を一挙に解決できるほどの現物が、いま彼らの目の前に転がっているのだ。疲労しきっていたはずの幕僚たちが、物資の山を前に、卒然と活気づく。



 ――ヴァナヘイム軍が追いつくまでは、まだ時間がかかろう。


 4月21日午前8時38分、マグノマンは、麾下に進軍停止を命じた。



***



 ヴァーラス領郊外の田舎町――その集会所は、帝国軍総司令部が置かれているとは思えぬほど、静寂に包まれていた。

 

 セラ=レイス以下の参謀たちが興奮を抑えきれない様子で、作戦図に見入っていた。飾緒しょくしょを図上に垂らすほど、敵の駒の動きに見入っている者もいる。


 熱気を帯びた静寂だった。


 ヴァナヘイム国の名もなき田舎集落――ヴィムル河から西側へ踏み込んだ先にある村落は、作戦上「A」と名付けられ、図上、帝国軍参謀たちの視線を集めている。


 一昨日の4月23日には、ヴァナヘイム軍はヴィムル河を越えている。もう間もなく、A地点に殺到するだろう。



 静寂を配慮するかのように、伝令兵がいくぶんか控えめな声で報告する。


「ヴァナヘイム軍、C地点を通過」


 図上では、ヴァ軍を示す複数の青い凸型駒がさらに前に進められる。この駒は、敵の総大将ヤンネ=ドーマル自らが率いているという。


 A地点への距離がまた一歩縮まった。


 この村落を中心とした半径2.5から3キロの円を描くようにして、周囲の山上、山腹には砲兵部隊が各所に配置されていた。68の砲口はすべてA地点に照準を合わせ、ヴァナヘイム軍が現れるのをいまや遅しと待ち構えている。


 それらは、赤い凸型駒として図上に置かれているが、現地では藪でたくみに隠されていた。足元に位置するA村落からは、山上の砲兵を容易に視認することはできないだろう。


 この壮大な砲火集中作戦のために、帝国東征軍では、各貴族部隊から砲兵部隊をことごとく引き抜かれ、一か所に集められた。帝国戦史を紐解いてみても、ここまでの火力の一点集中を行った前例はない。



 風が一段と強くなったようだ。


 帝国軍総司令部の置かれている町の集会所には、冷たい外気が吹き込みはじめた。レクレナが窓を閉めた時、ヘッドフォンを付けたままの兵士が駆け込んで来た。


「まだ、地点Aに味方が残っていますッ」

 伝令兵を介さず通信兵が総司令部に飛び込むとは、よほど慌てていたのだろう。


「何だと、どこ部隊だ!?」


「マ、マグノマン准将直下の部隊です」


 参謀たちは俄かに騒然となった。


 ヴァナヘイム総司令官以下をA地点まで誘引したのは、マグノマンと彼の麾下の各隊である。敵主力をここまで誘引した時点で、同旅団の役目は終えている。


 しかし、彼の直属の部隊だけが、村落Aにとどまっているという。


 何故、命令どおり、さっさと退避しないのか。参謀たちは乱暴に首をひねった。


 事態が呑み込めていない従卒――姿の少女ソル――が不安そうに周囲を見やる。


 レイスは舌打ちしながら懐中時計を開く。日付は4月25日、長短針は11時15分にさしかかろうとしていた。

 

 作戦発動の時刻まであと3時間と45分である。


 

 帝国軍の総司令部は、ヴァーラス城から北西20キロ、街道沿いの町にまで進んでいた。


 ヴァーラスの城塞都市では、イエリン・グラシル方面、それにこのヴィムル河流域の戦場から遠く、作戦面で都合が悪くなっていたためである。

 

 それでも、村落Aはここから80キロ近く離れている。いまから伝令を走らせても到底間に合わない。


「マグノマン隊に無電を打って、伝えられないか」


「駄目だ、各部隊、無線封鎖をしている。それにいま、交信を重ねると、敵に警戒される恐れがある」


 帝国軍各隊において、現時点で無電(トンツー)の使用を許されているのは、前線に送り込まれている斥候部隊だけである。


 それも、緊急事態と判断された時のみであった。ちなみに、作戦発動日が迫るなか、定時報告は数日前をもって、終了している。


 作戦発動時刻直前にもかかわらず、A地点に残る友軍を見るに見かねて、斥候兵はやむなく送信してきたのであろう。


 残された手段としては、彼らを通じて、マグノマン隊に指示を出すことだが、交信を重ねることは、ヴァナヘイム軍に傍受される可能性が高まる。


 ヴァ軍は、マグノマン旅団の5度にわたる後退の末、ようやくここまで繰り出してきたのである。それでも、進軍の度に斥候を四方に走らせていることから、敵司令官ドーマルは、警戒心が非常に強いものと推測される。


 もちろん、トンツーはすべて暗号化されており、即座に解読されることは無かろうが、寂れた集落周辺などで無線傍受が繰り返されれば、ドーマルは必ず警戒することだろう。下手をすれば退却しかねない。


 そうなったら、作戦も何もなくなる。


 

 部下たちのやり取りを尻目に、レイスは司令室後方に素早く歩を進めた。そして、副将兼参謀長のエイモン=クルンドフの前まで来ると、敬礼し事態の報告を行った。


「……まだ、イブラのヤツが戦場をうろついておるのだな」

 クルンドフ中将が状況を理解するまで、レイスは同じ説明を3度しなければならなかった。

 

 常日頃から、不遜な態度を取り続けている紅毛の先任参謀は、いつも説明の終わり頃には苛立ちを露わにする。


 それが、今日は終始慇懃いんぎんな姿勢で報告をしてきたため、参謀長を兼ねた副将は逆に身構えているようだった。


 理解力に著しく欠けるクルンドフであったが、相手の表情を読み取る力は、人並みに備えているらしい。






【作者からのお願い】


「航跡」続編――ブレギア国編の執筆を始めました。

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


宜しくお願い致します。



次回、「同期」お楽しみに。

成金の俄か貴族をクルンドフは嫌悪し、家名しかすがるところのない斜陽貴族をマグノマンは蔑視した――。



この先も「航跡」は続いていきます。


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