【1-4】 花鳥園 《第1章 終》
【第1章 登場人物】
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2月25日、ヴァーラス城の帝国東征軍総司令部のもとに、本国から複数の馬車が到着した。
さも待ちかねたようにユアン=イース少将が、太鼓腹を揺らしながら出迎える。
黒みがかった特殊な軍服を身にまとった30名ほどの一団は、次々と馬車から下りると、少将に先導され、リズミカルに階段を駆け上っていく。
ところが、奔流のように進んでいた彼等は、突如急停止を余儀なくされた。流れを
老将の肩章や襟章は、帝国大将の地位を示していた。東征軍の総司令官、ズフタフ=アトロンであった。
アトロン老将は、高級貴族の家柄らしく白髪を整え、襟もとまで制服のボタンを締めている。しかし、揉み上げから口まわりを覆うふさふさとした白髭のためか、どこか野暮ったさが消えていない。
「……本国の憲兵部隊の皆さんが、大勢で何ごとですかな」
このもそもそと白髭を動かす話し方が、農夫然とした印象を相手に与えるのである。
「こ、これは、アトロン大将閣下」
先導していたイース少将と、憲兵隊長は、思わず両足を揃え、老将軍に対し敬礼を行った。
アトロンはゆったりと答礼を行う。憲兵たちが思わず見入ってしまうほど、その挙措は質実であった。
「実は、オウェル中将に対する嫌疑がございまして」
「参謀長に嫌疑」
老将軍の声は白髭の下に埋没され、心なしか聞きとりにくい。
「さよう、一度本国にお連れし、事情をうかがうようにとの指示が出ております」
「そのような命令は、聞いておらぬが……」
「われら憲兵隊は、帝国陸海軍の外郭に位置する独立機関です」
「それは、ご苦労様です」
先ほどからの老将の穏やかな言葉には、裏表が感じられない。そのためか、より一層、間の抜けたような印象を受ける。
憲兵隊は、帝国皇帝直属の機関であり、現場の指揮官の命令系統にかかわらず行動できることは、士官学校生徒でも知っているはずなのだが。
もっとも、帝室直属というのは昔のことであり、宰相ネムグラン・上級大将アルイルなど、オーラム家の
「……作戦展開中のいま、参謀長を現場から連れ去られては困る」
受け答えに逡巡している憲兵隊長に、老将はさらにピントがずれた言葉をかけてくる。
この老将は徹頭徹尾、真面目なのである。それゆえに、この
老将と憲兵隊長の一連のやり取りを見ていたイース少将は、苛立ちを前面に出して言葉を挟んだ。
「閣下、部下を大切にされる姿勢はご立派ですが、度が過ぎますと、閣下自身に対してもあらぬ疑いがかかる恐れがありますぞ」
階段を駆け上がって来たことにより、呼吸がまだ整わないのか、肥えた少将の息は荒い。
「さ、さよう、我ら先を急ぎますので、失礼致します」
少将の言葉にようやく勢いを取り戻した憲兵隊長は、総司令官に再度敬礼をすると、部下たちとともに先に進んでいく。
「……」
アトロンは、再び回廊に1人たたずみ、黒い制服の一団をいつまでも見送っていた。
イース少将に先導された憲兵隊は、参謀部が詰めている城内の一室に荒々しく踏み込んだ。
「オウェル、貴官を捕縛するよう憲兵本部より命令が出ている。神妙にいたせ」
突然の来訪者たちに、セラ=レイス少佐以下、室内の参謀たちは思わず手を止め、足を止めた。
しかし、スタア=オウェル中将は、乱入してきた一団に対し
「……罪状は」
落ち着き払った参謀長の態度に、憲兵隊長は再び気勢を削がれたかたちとなったが、声を振るってそれに応じた。
「貴官に対し、収賄の容疑がかかっている」
必要個所すべてにサインを書き終えると、
オウェルは両手で書類を整えた。
そして、ゆっくりと立ち上がると、壁にかけてあった軍帽と上着を取り、憲兵たちの方向に進んだ。
「参謀長……」
「大丈夫だ、すぐに戻る」
オウェルは、紅毛の部下に対しほほ笑むと、黒づくめの一団とともに部屋から出ていった。
***
陸軍中将・スタア=オウェルの処遇は、テンポよく決まった。
軍需産業会社からの収賄の容疑で拘禁、東都ダンダアクへ送還。その後、形ばかりの裁判を経ての有罪、階級はく奪の上、収監。
帝国という軍事政権下では、産業界と高級将校との間で多かれ少なかれつながりが持たれていた。
7年前、オウェル中将(当時大佐)は、陸軍省兵器局課長時代、銃砲製造合資会社の営業担当から、ご夫人様宛にと帝都花鳥園の入場券を受け取っていたという。
同社製のライフルの採用が決定したのはそれから間もなくのことであった。
「馬鹿な!この程度の罪状で逮捕されていたら、東征軍から将軍など1人もいなくなるぞ!」
ゴウラはテーブルに拳を叩きつけた。その大きな音に、少女ソルは小さな肩を震わせる。
突然、上官が連れ去られた参謀たちは、憲兵によって参謀部の部屋から追い出された。
しばらく、彼等は士官に当てられた城内の一室にたむろしていたが、数日後、誰とはなしにそこを後にした。
彼等が向かったのは、少女の歓迎会を開いた場所――ソル=ムンディルが
「7年前の植物園のチケットが、いまさら何故問題になるのだ」
「あの堅物参謀長が、賄賂なんぞで自分の考えを変えるものか」
カムハル等レイスの部下たちは、怒りを発散する方法が見つからなかった。
「正規軍の装備ともなると、予算の都合、その採用は遅くとも半年以上前に、稟議書が決済されていなければならないはずよ」
いち課長の権限で、それを短縮できるものではないわ、とトラフが感情を抑えた声で結ぶ。
こうして参謀長の処遇に対する不満をひとしきり吐露したあと、彼等は1つの不安にたどり着いた。
「……
レクレナが思わず口にしてしまったように、彼等は、連座人事を恐れるのであった。
しかし、先任参謀であるレイスは、
「遅かれ早かれこのような事態になることは、分かっていただろうが」
と述べるだけだった。
押し黙ってしまった参謀たちを、ソルは部屋の片隅から無言のまま眺めていた。椅子の上で両膝を抱えて座りながら。
言葉が分からない少女も、ただならぬ状況を肌で感じているようだ。
室内を覆う空気にたまりかねたように、少女は、ガラスのような瞳を先任参謀の方に向けた。
視線の先の彼は、参謀長不在をいいことに、ソファに軍靴を履いたままの足を伸ばし、「職務放棄」を決めこんでいた。
***
「目の上のたん
勢いそのままに、彼等は紅毛の参謀以下の全解任を東部方面征討軍総司令官・ズフタフ=アトロン大将に迫った。
レイス以下の参謀たちは、オウェル中将が選任した者たちであり、汚職に連座する形での一掃を図ったわけである。
しかし、この人事案については、珍しくアトロン老将が強い難色を示した。
参謀長が去り、さらに参謀たちまで一掃してしまうのでは、作戦の立案・遂行に支障が出るとし、最終的には将軍たちの提案を退けてしまったのである。
かくして、帝国東征軍の参謀は、すべて留任となり、参謀長は副将のエイモン=クルンドフ中将が兼任することとなった。
「大将閣下は、よく事情が見えておいででしたぁ」
「ふだんは、何を考えておられるか分からないところが多々おありだが、今回のお沙汰には感謝しよう」
レクレナ、ゴウラをはじめとする参謀たちからは、口々に老将軍をたたえる声が上がった。
しかし、レイスとトラフはその輪には加わらず、新しい上官の品定めにいそしんでいた。
「総司令官に次ぐ地位にあり、全軍への命令権もそのままお持ちになるようです」
「……オウェル中将より、やりやすくなるかもしれないな」
クルンドフなど、生まれた家柄から現在の地位に座っているだけの愚物に過ぎない。しかし、その地位は大いに利用価値がある――留任を果たした紅毛の先任参謀は、口元をほころばした。
第1章 完
※第2章に続きます。
【作者からのお願い】
「航跡」続編――ブレギア国編の執筆を始めました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533
宜しくお願い致します。
2023年12月15日追記
この先も「航跡」は続いていきます。
オウェル参謀長のこの先が心配な方、
レイスたちを守ってくれたアトロン総司令官に敬礼いただける方、
ぜひこちらから🔖や⭐️をお願いいたします
👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758
レイスたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢
【予 告】
新章「ヴィムル河流域会戦」をお楽しみに。
ヴィムル河流域で、帝国・ヴァナヘイム両軍が激突します!
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