第31話 朝日野『奏』

 誰よりも先に私を叱ってくれた。


 誰よりも先に私を励ましてくれた。


 誰よりも先に私に手を差し伸べてくれた。


 たとえ、それが偽善だろうとなんだろうと、私には関係ない。




 皆に背を向けられた私と、真っ直ぐ向き合ってくれた。




 それだけで私は、救われたのだから。


 ***


 静岡県──浄蓮の滝


 轟轟と唸る滝は、前と変わらぬ清らかさを保つ。

 水しぶきは木々に潤いを与え、風は涼しさを運ぶ。その偉大なる姿はまさに、命の源とも言える。

 壮大なその姿に、私はため息をこぼす。

 そして砂利を鳴らして滝壺に近づくと、そこでは滝の精霊が、滝を仰いで何かに祈っていた。



「来ると思っていた。人の子」



 精霊は、私の方を見ずに言った。

 私が「バレた?」と言うと、閉じていた目をゆっくりと開ける。


「······」

「······」


 お互い、何も言わずに見つめあった。

 私は会釈をして、「ありがとう」と言った。精霊は、小さく首を横に振る。


「お前の力だ。私は助言をしたまでのこと。上手く使いなさい。私の唄を、歌ってくれた礼だ」

「うん。でも、ありがとう。お前があの時、そう言ってくれなかったら、私はずっと地獄にいた」

「お前の心が清いから、私が干渉出来ただけだ」


 私は精霊に深く礼をし、滝を去ろうとした。精霊は、私を呼び止めると、ひとつだけ、と私に質問した。



「どうして私の唄を歌ったのだ」



 私はその質問に、滝を仰いでから微笑んで返した。



「こんな綺麗な唄を、歌うなという方が難しい」



 そう言って、私はその場を去った。


 精霊は私がいなくなった後、噛み締めるように笑みを浮かべた。そして滝壺から杖を取り出し、大きく舞うように振るった。

 滝の音は更に大きくなり、清らかな音は、どこまでも響いていた。


 ***


 私が壊した霧の里は、以前のような活気を取り戻し、なに食わぬ顔で日常を繰り返す。

 十年も経てば、復興が終わって当然だろう。

 現世とは違い、ここは皆が手を取り合い、時間も金も惜しまずに立て直しに勤しんだと聞く。


 火消しと子供が結託して、火事を消して回り、男は総出で道を直す。女が瓦や燃え落ちた柱など壊れたものを片付けて、食料品店は炊き出しや食料の確保に走る。

 旅籠屋は部屋を提供し、ドケチな材木問屋も、売り物全てを差し出して、家を建て直したそうだ。


 人の持つ力の凄さを目の当たりにして、私は感嘆をこぼした。

 望月は、復旧が終わったのはつい最近だ、と言っていた。全てが元通りになるのには、生きていたら無駄にしたとも思えるほどに長い月日が経つ。



 破壊は一瞬、再生は永遠。



 何度も見てきたはずなのに、何度だって忘れてしまう。

 そしてまた、再確認するのだ。人が結ぶ絆と、過去を悼み、再生に向かう力を。


 私は窓から再生した里を眺め、空の酒瓶を台所に持ってきて仕分けをする。


 徳利と酒屋のビール瓶、焼酎の樽と日本酒の瓶、ワインもあればウイスキーもある。缶チューハイは数本でやめたらしい。二本だけだがウォッカもあった。


 私がいない間に千代は一体、何種類の酒を毎日いくつ呑んだのだろうか。

 あまりの酒の臭いに、私は吐き気を催した。


 かまどの側でうずくまる私の背中を、追加の空瓶を持ってきた望月が、憐れむようにさする。

 私は何とか吐き気を堪えて、自分の胸をさすった。


「千代姐の酒、減らすように言ってよ。多過ぎるって」

「お前がいない間に呑んだ分だ。千代曰く『やけ酒はのーかん』とか何とか。······のーかんって何だ。葬儀に関係するのか?」

「ノーカウント。数えないってこと。でも数えようよ。また酒屋に行かなきゃいけない。空の瓶を大量に持ってく度に、あのおじさんの苦々しい表情、私もう見たくないんだけど」

「源三さんには悪いと思っている。でもこれは誰を責めても仕方がない」


 酒の瓶を片付け終われば、次に待つのは屋敷の掃除だ。

 掃除好きな生馬が、あちこちにホコリを溜め込むのは実に珍しいと、望月はこぼす。


 望月はハタキを持ち出して、天井のホコリと蜘蛛の巣を落として回る。私はその後にくっついて、箒でホコリを集めていった。

 数メートル進めば、ちりとりがホコリで埋まる。それをゴミ箱に捨て、また箒で掃いていく。望月の足の裏が黒ずんでいた。私も自分の足の裏を見る。箒をかけた床でも足が黒くなるということは、本当に掃除をしなかったのだと納得出来た。



「······そういえば、地獄に逝って戻ってきたが、本当に良かったのか?」



 ふいに望月が尋ねた。


「最初の頃は、あの世に逝きたがっていた。せっかく念願のあの世に逝ったのに、また戻ってきたんだぞ」


 確かに、当初の目的は成仏することだった。あの一件で、その目的を達成していたのだが、私は今ここにいる。

 私は「あぁ」と思い出して言った。



「地獄に落ちたけど、名前を忘れたせいで、いつまで経っても裁判が出来なくてさ」



 望月は怪訝な顔をした。そしてはっとする。

 そういえばそうだ、と言うと、ハタキを振るい続けた。


「だが、地獄に逝ったのだから、名前くらい知ることは出来ただろう。閻魔帳とやらがあるのだろう?」

「あるのかな? でも記録探してもらったな」

「なら、ちゃんとした名前を教えろ。いつまでも、仮の名前を使ってはいられない」


 望月は、大事なものなんだろう? と言ったが、私はそれをどうでもいい、と返した。


 もう家族なんて興味無い。

 褒められなくてもいい。自分を責めるのもやめた。


 望月は驚いた顔をしていた。

 私に熱でもあるのかと言いたげに顔を覗き込んでくる。

 熱なぞあるものか。



 私は居場所を見つけた。

 私に帰るところが出来た。

 私に仲間が出来た。



 それだけで、私の心は満たされる。名前なんて些細なものだ。そして、自分を恨むのをやめたのなら、新しい名前が必要だろう。



「名前、見つかる前に帰ってきちゃったんだよね」



 私がそう言うと、望月少し悲しそうな目をした。でも私は堂々と、言った。


「だから、望月からもらった名前を私のものにする」


 私は箒を握り、望月に宣言するように言った。





「私は朝日野奏。霧の里の祓い屋。それだけで、私が私であることを証明出来る」





 昔の名前なんてもう要らない。私を殺した『私』なんて、この先連れて行ってもしょうがない。

 私はこの名で生きていく。もう、死んでいるけれど。

 私の決意を受け、望月は呆れたように笑った。


「祓い屋『見習い』だ。お前にはまだ早い。分かったらさっさと掃除を済ませるぞ。正式に、修行させてやる」

「えっ、まさか望月が教えるの!? やだ! 千代姐がいい!」

「うるさい! 文句を言うな! お前を連れてきたのは俺だし、今まで面倒を見たのも俺だ! 黙って師匠の言うことを聞け!」

「はいはい、冗談だってわかって───ちょっと待って。望月が師匠ってどういうことだよ!」


 私はまた、懐かしい喧嘩を繰り返す。

 同じ山吹色の目は、喜んでいるようだった。

 望月の背中を追いかけて、私は走った。


 望月は長い長い愚痴をこぼすように、私がいなかった頃の話をした。

 千代のやけ酒のせいで、依頼も探知も出来なくて苦労したとか、生馬が部屋にこもるようになって、花の世話が行き届かなくなったとか。

 千代の介抱や、生馬の慰めばかりに時間を割いて、疲れているだけなのに、顔が怖くて子供に泣かれたとも言った。


 私は望月を慰めながら、代わりに地獄での話をした。

 地獄で綺麗な鬼女に会ったことや、その鬼女が雲外鏡を喰ったこと。そして、地獄で願いをひとつだけ叶えてもらえる、と言われたこと。それが叶えられたかは分からないこと。でもその願いで、ここに戻ってきたこと。

 私が初めて式神を使えたと言うと、望月は喜び、それが龍だったというと、望月はとても悔しがった。




 ようやく全ての掃除を終えた夕方、溜め込んだ酒屋の瓶を返してくるように言われ、私は桶を三つも持って石段を下りる。

 私の背中を望月は愛おしそうに見つめ、腕を組む。


「どうか、もう何にも縛られずにいてくれ。俺の願いは、それひとつだ」




、な」




 望月は聞こえないようにこぼした。


 私は石段を折りながら、風の唄を口ずさむ。冷たく吹きつけていた風は暖かく、優しくなり、私の周りを遊ぶように消えていく。


 私はふと空を見上げた。

 橙色の空を、紫色が押し上げて、藍色に染まっていく。黄昏の音と、夜の音が重なり合って、艶やかな音を紡いでいく。

 とても綺麗な音に誘われて、月が昇り始めた。



 私の瞳と同じ、山吹色の月だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奏の音 家宇治 克 @mamiya-Katsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ