第2話 憧れ
「青!」
迎えに行くなり、元気よく椅子から立ち上がるあやめはクラス中の注目を集める。
「あの……」
居場所がない青にとっては気まずいだけで、教室に入るのは気が引けてしまう。
「早く行こ!」
おそらくそんな青のことなんて気にすることなく、自分の欲望のためにあやめは鞄をお供に預けて先へ行く。
「どうしたんですか。なかなか昇降口にも来ないし」
「あのね、皆が話していたんだけどカラオケに行ってファミレスに行ったんだって」
「はぁ」
「なにそれ、反応薄い」
早足を止め、責めるように一歩近づいてくる。
「青春じゃない!」
「……青春、ですか」
「そう、青春! 高校生らしいって思わない?」
「らしいもなにも、わたしたちは高校生なんですけどねー」
「そうゆうことじゃなくて」
言いたいことは分かる。あやめは皆が普通にしている遊びに憧れと興味があるだけなんだ。
「誘われたんですか?」
「誘われたけど……」
「試しに行ってみたらいいじゃないですか。その分の勉強は別のところでちゃんとしてもらいますけど」
「でも私行ったことないし……」
「何でそこでヘタレになるんです?」
「うるさいわね。私だけ行ったら青が可哀想でしょ」
「や、別に」
「いいから行くわよ!」
「え? どこに?」
「カラオケとファミレス」
「行くんですか?」
「行きたいんだもの。社会勉強よ」
「うーん。ご飯用意されてますし、カラオケだけなら」
「……そうね。ご飯を無駄にするのはよくないわ」
もう少しわがままを言うと思えば、案外素直だった。うきうきした表情を見るに、浮き足立っているだけかもしれない。
「でも長時間はダメですよ」
「分かってる」
溜め息をつきながら、またしても先行を歩き出した彼女を追いかける。
――お金いくらあったけ……。
カラオケ一時間で何ができるかと考えながら財布の中を確認する。
――きっとあやちゃんは現金を大して持ってないよね。
再び溜め息が溢れる。
「あーおっ!」
すでにローファーに履き替えた主で再度溜め息。
「今行きますよ」
「こんな感じなんだ……」
意外とうるさくて思っていたより暗くて狭い――落ち着かないところ、があやめの感想だった。少し緊張しているのか、青の袖を掴む手に力が入っている。
「座らないんですか?」
「座るけど……。なんだか慣れてない? 来たことないよね?」
「あやちゃんがないならわたしもないですよ」
ネットで調べたのとあまり変わらない。目の前の女の子が不安そうでいてくれるから、自分は堂々と振る舞っていられる。
「せっかく来たんだから何か歌わなくていいんですか」
マイクに被せられていた袋を取り除き、リモコンを小さなテーブルの上に置く。そのまま立っていても邪魔になる狭さのため、なるべく椅子の隅っこに座った。
「ちょっと青」
「すみません、やっぱり立ってましょうか」
立ち上がろうとして腕を掴まれる。
「そうじゃなくて。これ」
指をさされたのはリモコンだ。
「どう使うものなの?」
「わたしも使ったことないですけど……」
画面を覗き込む。あやめとの距離が極端に近くなるけれど仕方ない。
「タッチして曲選ぶんでしょうけど。何を歌いたいんですか?」
「歌いたいものなんてないよ」
「何で来たんですか」
「だって皆との話に入れないと嫌じゃない?」
「今までカラオケに来なくても生きてこれたんだから大丈夫ですよ」
よく聴くものでも入れたらいいとアドバイスしようとして、彼女が聴くものはクラシック等で助言にならないと気づいた。
「なにか知っている曲ないんですか。それこそご学友が話していた曲とか」
「中身までは知らないもの。……知ってるものと言ったら、BELIEVEとか……翼をくださいとか……」
「それ、合唱曲ですよね」
「しょうがないじゃん! そう言う青は流行りの曲とか分かるの?」
「人並み以下ですけど、ある程度は分かります」
夜中勉強する時はオリコンの上位にある曲を聞いている。
「なにそれずるい」
「ずるいと言われましても……」
「じゃあいいよ。青が歌って」
「えぇ、来たいって言ったのあやちゃんなのに」
「いいから歌って。せっかく来たのに歌わずに帰れないでしょ」
「BELIEVE歌えばいいのに」
リモコンを押しつけてくる。
「仕方ないですね」
タイトルから検索ができるようなので、うろ覚えのタイトルを一文字ずつ入力していく。
「……」
一生懸命操作を眺めているようだが、彼女が再びカラオケに来ることあるのだろうか。
「コスモ……合唱曲の?」
「あれとは違います」
送信するボタンがいくつかあるが、『原曲キーで送信』にすれば問題ないのだろうか。
マイクのスイッチを入れる。
歌なんて音楽の時間くらいしか歌わない。その上今日はこの時間になっても、会話をした相手がお手伝いさんとあやめだけだ。
出だしは思った通り声が出ず、原曲キーが思っていた以上に高くて苦戦はしたが、中盤からは額面通りに歌えたはずだ。
「青って歌上手かったんだね」
「普通です」
――そう言えば目の前で歌ったことなかったっけ。
「私もなんか歌う」
「BELIEVEですか?」
「BELIEVE好きなの?」
「別に好きでも嫌いでもないですけど。……そうだ、三送会で歌ったやつなら分かるんじゃないですか」
「なんだっけ?」
「えーっとこれですよ。流してみるんで、分かったら歌ってください」
「え、もう?」
選択する時間を与えるとノーと言われそうだったので、すぐさま送信ボタンを押した。
「……ぁ、知ってる」
「そりゃ歌いましたからね」
「ねぇ、青も分かるんでしょ」
「多分覚えてると思いますけど」
「じゃあ青も一緒に歌って」
「いいですけど」
青が歌い始めたことを確認してから、おずおずとマイクを構える。いつも演説とかで慣れているくせに、どこか危なっかしいのはなぜだろう。
――何しても上手いな、この人。
「今日は疲れた」
高価なベッドの上に身体を投げ出している姿はとても無防備で、この瞬間なら彼女に勝てるのではないかと思える瞬間でもある。
「疲れたって、一時間カラオケ行っただけじゃないですか」
「寄り道した分勉強したし」
「それなら早く寝てください。布団かけますよ」
「今日はまだ寝たくない」
「ダメです」
「やだ。もう少し話をしていたいの」
「人形持ってきましょうか。小さい頃ずっと持ってたあのクマ」
「人形と話していたらおかしいでしょ」
「そうですね。病院探そうかなと思いますね」
「だからまだここにいて」
「わたしにはまだやることあるんですけど」
「それって私より大事なこと?」
「……」
ベッド横に腰預けるようにして、カーペットの上に座り込んだ。
「飽きるまでここにいますから、どうぞお話を続けてください」
「話すならこっち向いて」
素足で後頭部を蹴られる。彼女は手加減と言うものを知らないので痛い。
「はいはい」
九十度だけ身体を回す。
「こっち」
ベッドの空いているスペースを叩かれる。
「嫌ですよ。あやちゃん寝相悪いんだから」
「寝たらすぐ出ていくんでしょ」
「まぁそうですね」
数秒悩んでから、厚みのあるベッドに身体を倒した。すぐ目の前に人形よりも綺麗な顔がある。
「ねぇ」
「何ですか?」
「今日青が歌ってた曲、ダウンロードしておいて」
「分かりました。明日入れておきますね」
「あと今度ファミレスに行ってみたい」
「はい。今度予定決めて行きましょう」
「あと高校生らしいって言ったら何かな」
「さぁ。高校生なりたてなもので」
「皆は休みの日なにしてるんだろ」
「さぁ。友達いないので分からないです」
「悲しいね」
――誰のせいだと……わたしのせいか。
「でも私がいればそれでいいでしょう」
腕が伸びてきて、青の頬と耳を乱暴に撫でる。
「青」
「ダメです」
「何も言ってない」
「それでもダメ」
「……命令」
「……それでいいならいいですけど」
離れようとした手を掴む。
「……今日は私の抱き枕係ね」
「だからそれ蹴落とされるやつ」
「こっち来て」
「聞いてないし」
もぞもぞと熱源に近づく。背中を預け、巻かれてきた腕に手を重ねた。
「昔はよく一緒に寝たよね」
「真冬に蹴落とされて布団を全て略奪された時は風邪ひきました」
「そうだっけ」
「風邪をひいたから会えないって言ったらすごく怒ってたじゃないですか」
「今でも風邪ひいたら怒るよ」
「それならもうちょっと気を使ってくださると嬉しいんですけど」
「今はあったかいでしょ」
「そうですね」
お互いに覚えているのか分からない昔話をしている内に、後ろから寝息が聞こえてきた。
「おやすみ」
さらさらする髪をそっと撫でてから、起こさないようにゆっくりとベッドから降りた。
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