『便利すぎる筆』

 早朝。俺はマンションを降りて、その周りを10周した。今週は学校のテスト期間だ。体力が落ちないよう、いつもより念入りに走りこんだ。

 走り終わって、中へ入り、郵便受けを開いた。これも毎朝の日課だ。朝刊を取って家に帰り、読むのだ。この習慣を人に話すと、よくオッサンみたいなルーティンだなと言われる。が、今日はいつも違う点があった。この時間帯の郵便受けには朝刊しか入っていないはずだ。なのに、茶封筒が入っている。

「誰宛だ?」

その茶封筒には少し重みがあった。中に何か入っているようだ。送り主の名前はおろか、宛先も書いていない。俺が走っている間に誰かが直接入れたのだろうか。封筒を見つめている内に、思い出したことがあった。先日、クラスの前田が俺にプレゼントを渡したいと言っていたのだ。もしかしたらこれかもしれない。今日、学校へ行ったら聞いてみようと思った。

 午前8時。俺はクラスに到着した。

「前田!お前、俺の家の郵便受けにくれるって言ってたプレゼント入れたか?」

「え?入れてないよ。ちょうど今日持ってきてるし。放課後渡すわ」

「そうか。じゃあ誰なんだろう」

 放課後になり、俺は前田からプレゼントを手渡された。そういえば誕生日でもないのになぜだろうか。不思議に思ったが、前田は楽しいモノだと言ったので、受け取った。

 テスト期間のため、部活がないので前田にプレゼントをもらった後、すぐに家に帰った。それから俺は夕飯を食べ、自室にこもって勉強をしようと思ったが、机の上に置いてある今朝の茶封筒が気になった。家族に聞いても特に知らないとのことだったので俺が貰ったのだ。ハサミを手に取り、茶封筒を開けてみた。すると、中に筆が入っていた。書道用の筆だろうか。白くふさふさとした毛のいかにも高そうな筆だ。他には墨汁も入っていた。

「これで習字でもしろってか?誰だよこんなの入れたやつ」

俺は茶封筒の中身が筆だと分かった瞬間、興味が薄れた。次は前田のプレゼントだ。こちらは真っ黒い箱に入っていた。俺は箱を空けた。小さいおもちゃみたいなものが入っている。幼い子どもが遊ぶような小さいカメラのおもちゃだった。前田がこんなものを渡す意味が分からなかった。カメラの側面には『石ころゲッター』と書いてある。

「これで石ころでも撮れってか?さっきからなんなんだよ」

二つとも俺には理解できない代物だったため、すぐに押し入れに突っ込んでおいた。そして、俺は気を取り直して勉強を始めた。来年の年明けにはもう受験だ。これまでの成績は芳しくなかった故、本気で取り組む必要があった。俺は深夜まで勉強を続けた。

 時は流れ、浪人生として迎えた年末。俺は難儀していた。勉強の成果がなかなか上がらないのだ。親からは毎日口うるさくそのことを言われている。そこで俺は気合を入れるために志望校の名前と『絶対合格』という文字を筆で書いて、部屋のよく見える所に貼った。書いた後で気づいたが、さっき使った筆は俺が高2の冬に受け取ったものだった。確か郵便受けに入っていたはずだ。俺はその記憶と同時に、当時の自分の姿が思い浮かんだ。あの時は一時的に勉強のやる気が出ていただけで、3年になった途端、失速した。周りと差をつけようと、早いうちから本気を出しすぎた結果、自分のモチベーションが続かなかったのだ。コツコツやれば良かったものを。俺は相変わらず不器用だ。それから俺は大晦日だと言うのに夜遅くまで勉強した。

 翌朝、母の大声によって起こされた。

「隆!早く起きなさいよ!もう大学生でしょ!」

「え?」

「今日サークルの臨時集会って言ってなかったけ?」母は呆れながら言った。

大学生、サークル。今の自分とは結び付かない単語が寝起きの頭を困惑させた。

 俺は目を擦りながらリビングへ向かった。母がしかめ面でこちらを見ている。

「本当に遅れるわよ!」

「俺はまだ浪人生だよ。昨日は夜遅くまで勉強してたんだ。もうちょっと寝かせてくれ」

「何言ってんの。大学は去年にもう合格してるでしょう」

「え?」

俺はボーッとしている頭で辺りを見回した。カレンダーが目に入った。2014年、1月1日、水曜日。正しい。どういうことだろうか。腕を抓った。痛い。これは夢ではない。俺は母を無視して、自分の部屋に戻った。壁に掛けられた絶対合格の文字が目に入った。まさかとは思うが、この言葉が現実になったのだろうか。もしかしてあの筆か。あの筆がそれを可能にしたのか。俺は今年、大学に受かるつもりで書いたわけだが、どうやら去年受かったということになっている。つまり、俺は現役で合格したということだ。だとしたら俺は一年間大学で過ごしたことになっているはず。どうやら過去の記憶までは作ってくれないようだ。この筆は未来の出来事ではなく過去の出来事を書き換えた。なら俺にとっては空白の一年間を作り上げればよいのか。

 俺は新聞紙の上に転がっていた筆と墨を手に取った。そして、急いで筆に墨汁をつけた。浪人生として必死に勉強してきた去年が無駄になったようで、少し悲しかったが、それにとって代わる理想の過去を作り上げることが出来る。それから俺は母親の言葉を無視し、部屋にこもった。なんとか丸一日使って、架空の一年間を書ききった。

 翌朝、俺の頭にはばっちり昨日書いたことがインプットされていた。それからの俺は例の筆を上手く使い、都合の悪いことがあった際にはその過去を書き換え、優越感に浸っている。

「それにしても便利だなあ」


 今回はオチがあまり釈然としなかったが、今後彼の人生はつまらないものになるだろうと海斗は思った。常に自分の理想が現実になってしまえば、いずれ何の達成感もない人生を嘆くことになるだろう。今回もまずまず面白かった。しかし、『石ころゲッター』とは何だったのだろうか。この作品に『前田』という存在は必要だったのか。疑問に思う点も多かった。





 

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