『海豚さん』

  2016年、7月15日、金曜日。僕のクラスに転校生がやってきた。倉科佐紀くらしなさきという女の子だった。大人しくて、はっきり言ってあまりパッとしない子だったが、僕は嫌いじゃなかった。

 倉科さんが転校してきた初日の1時間目の授業中。ふと右斜め前の席に座っている倉科さんを見ると、目を瞑っていた。ここからは左目しか見えないが、確かに瞑っている。しかし、姿勢は良いままだ。こくこくと頷いているので、うとうとしているのだと思ったが、先生の話に相槌を打っているようにも感じられた。

 2時間目は水泳の授業だった。僕は水泳が大の得意なので、嬉々としてプールへ向かった。倉科さんも余程楽しみにしていたのか、1時間目の授業が終わった瞬間更衣室に向かったようだ。そして、授業が始まった。僕は中3の泳力を大きく上回っている自負があるので自信満々に泳いで見せた。しかし、倉科さんも一度泳ぎ始めると周囲も一目置くほどの華麗な泳ぎを披露した。さらに驚くほど速い。周囲から歓声が上がった。そして、プールから上がった倉科さんはみんなに褒められ嬉しそうだった。僕は少し悔しかった。

 4時間目が終わり、給食の時間になった。クラスは倉科さんの話題で持ちきりだった。周りのみんなに質問攻めにされていた。

「倉科さんってなんで泳いでる時に片目瞑ってたの?」

「あー確かに。授業中もそうじゃなかった?」

「まるでイルカだね。イルカって片方ずつ目を瞑って、脳を片方ずつ休めるらしいよ」

この質問だけに関しては終始答えようとしなかった。そして、その時倉科さんは不服そうな顔をしていた。それから陰で、倉科さんは海豚いるかさんと呼ばれるようになった。ひょっとしたら海豚が人間に化けているのではないか、という小学生が考えそうな噂がクラスで広まっていった。正直僕はバカらしいと思った。中3にもなって、こんな都市伝説めいた話を信じるクラスのみんなの気が知れなかった。

 そして時は流れ、一学期の最終日。みんな部活を引退して、夏休みから始まる地獄の勉強漬けに意気込む者、受験勉強を捨てて遊びまくろうとしている者に分かれたようだった。僕はどちらかというと前者だった。元々水泳にしか目が無かった僕だが、水泳部の他の部員が熱心に勉学に励んでいたということもあり、それに影響されて受験勉強は頑張ろうと思っていたのだ。

 体育館での修了式が終わった。クラスに戻り、成績表返却の時間だ。みんなは成績の良し悪しでワーキャーと騒いでいるが、僕には特段仲のいい友達がいないので、自分の成績を見ることも他人のを見ることも無かった。ちなみに最近席替えをして、倉科さんと隣りの席になったのだが、彼女は自分の成績を見ても相変わらず表情を変えることはなかった。すると突然、ほとんど喋ったことが無いのにも関わらず、倉科さんは僕に話しかけてきた。

「ねえ、藤堂とうどうくんは成績どうだった?」

「いや、別に普通だったよ」

「そうなの?私も見せるから、藤堂くんのも見せてくれない?」

いきなりの申し出に少し戸惑ったが、成績は平均以上だったため、見られても恥ずかしくはなかった。互いに交換して、倉科さんの成績表を見た。すると、どこを見ても『5』ばっかりであった。私とは格が違うのよとでも言いたいのだろうか。だとしたら嫌味な女だ。しかし、彼女はむしろ僕のことを気にかけてくれた。馬鹿にしているような雰囲気はなく、勉強を教えてあげようかと言ってきたのだ。これまで頭のいい人に勉強を教えてもらう機会はなかったので了承した。すると、早速夏休みの初日に教えてもらうことになった。場所は僕の家だ。同級生の女子を家に上げるのは初めてなので、緊張したが、楽しみだった。

 二人が共通で知っている場所がなかったので、集合場所は学校の校門前にした。集合時間は正午だったが、僕は少し遅れて到着した。

「遅れてごめん」

「いやいや、私も今きたばかりだから。じゃあ、藤堂くんの家へレッツゴー」

やけに明るい倉科さんに困惑したが、僕は彼女を連れて、家まで歩いて行った。

 僕の部屋で早速勉強を教わった。数学や生物、現代文などたくさん教えてもらった。余程勉強に集中していたのか、気がついたら日が暮れていた。

「今日は本当にありがとう。おかげでわからなかった問題がちゃんと理解できたよ」

「うん、それは良かった。私も久しぶりに人と勉強できて楽しかった」

 それから僕は倉科さんを玄関まで見送った。彼女は手を振り、去って行った。その後、夏休み初日を充実なものにした自分を誇りに思いながら、僕は部屋に戻った。

 机の上の勉強道具を片付けていると、机の下にある何かが目に入った。倉科さんの忘れ物だろうか。僕はしゃがんで、机の下を確認した。すると、小分けになった袋がいくつか入った透明の袋が落ちていた。僕にはまったく見覚えがないので、やはり彼女の忘れ物だろう。

「今から走って追いつくかなあ」

僕はそれを手に取った。何かのサプリメントみたいだ。透明の袋には、角ばったフォントで『アニマルサプリ』と書いてあった。その下には『イルカ、サメ、クジラの徳用3パック!』と書いてある。僕は興味本位で袋を開け、中の小分けになった袋の一つを手に取った。『イルカ』と書かれた小さな袋は未開封だった。彼女はこれを飲んでいたのだろうか。これを飲んだからあんなに速い泳ぎができたのだろうか。非現実的な妄想が頭を支配していった。

「試してみるか」

本当にそうだとしたら僕もその力を得られるかもしれないし、仮に間違っていたとしても、サプリだから害にはならないはずだ。僕はイルカの袋を開けようとしたが、やめた。これでは彼女程度の力しか得られない。僕はより速く泳げそうな『サメ』を手に取った。どうやらべリーハードというタイプのようだ。裏面にそう記述されていた。さっきのイルカはハードだったが、これならより力を得られるということだろう。

 僕はサプリを一粒手に取り、思い切り飲み込んだ。


「達樹、入るわよー。ギャッ!」

「ギョギョ!」


 確かにこれは常人には思いつかない発想だなと海斗は思った。普通に生きていたらこのようなアイデアは思いつかない。やはり小説を書くに当たってわざわざ考えたのだろう。オチはある程度予想がついたが、最後のコミカルな一言が意外で面白かった。このくらいの短さの小説が後4本。すぐに読み終わるなと彼は思った。




 


 

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