応接室②
「気がつかれましたか。単なるインクの染みかとも思いましたが、念のため、調べてみましたよ」
鑑定士は当該箇所を拡大した別のプリントを寄越した。
「スタンプ?」
「そうですね。拙い手で懸命に彫ったかに見えます」
「M.L.?」
「上流階級でさえ識字率が低かった頃は署名代わりに印章が重宝され、やがて、貴族の間では家紋が利用されるようになったが、
「これは、そうしたものの一種?」
「木片を削って作ったのでしょう。リテラシーが向上して自署が普通になり、廃れ始める前の時代に」
「偶然だけど、私と同じイニシャル。ついでに言うと、祖母とも一緒。このMはメアリですか」
「コフレット城の小間使いが脱出後、医師の養女になったらメアリ・ロンフルマン、ですね」
ミシェルは溜め息をついて、
「家系図が伝わっていたらよかったのに」
「残念です」
「ともかく、ロンフルマン家に落ち着いて猛勉強したメアリが、事件について、遊び心かどうか、アン=マリーの目線で書簡体の小説風に書き起こそうとした……と、解釈するのが自然なのね。サインを入れるくらい朝飯前だったけど、内容を踏まえて敢えて控えた上、自分の原稿である証拠に判を押した」
「ええ。歪曲も多いでしょうが、まあまあの読み物ではないですか。ここで途切れたのはもったいない」
ミシェルは冷めてきた紅茶を含んでから、
「さっき、古くなった衣類をほぐして紙を作っていたと……」
「はい。何か?」
「原本の用紙に、コンスタンスが纏って逃げた――穴が開いて血みどろになったコンスタンティンのドレスの生地が漉き込まれていたら……なんて、想像したんだけど」
「おぞましくもロマンティックですな」
「ところで、もう一点は?」
「ふむ。こちらは……期待に沿えず申し訳ないが、どなたかがご丁寧に洗浄されたガラス玉です。宝石ではありません。
「アハハ」
ミシェルは無造作に笑い声を立てた。
「とはいえ、アン=マリーが押しつけた呪われた指環とメアリの手稿がセットで残っていることが、双方の信憑性を高め、補完し合あうと言えるでしょう」
「なるほど」
「ただ、史料としてはコッドピースの方が値打ちがあったかも」
「血染めの股袋が?」
「そう。コンスタンティンの遺体と共に埋葬されたなら、とうに土に
「ふぅん。あなたもそこそこロマンティストなのね」
「どういたしまして」
鑑定士はまた、時計と電話を見比べた。ミシェルは荷物をまとめて立ち上がった。
「では、請求書が届き次第、お支払いします。お骨折りに感謝」
「よろしくどうぞ」
「ああ、それから……」
ミシェルはドアノブに掛けた手を下ろして振り返り、
「この書簡体小説もどき、私が自作に流用しても差し支えないかしら?」
鑑定士は子供のおねだりを受け流す調子で微笑して、
「メアリの草稿が書かれた頃に著作権の概念が誕生していたとして、既に五百年以上。安心なさい。ご随意に」
【END】
◆ 2020年2月書き下ろし。
◆ 縦書き版はRomancerにて無料でお読みいただけます。
https://romancer.voyager.co.jp/?p=134962&post_type=rmcposts
小袋逸聞 -Bloody Codpiece- 深川夏眠 @fukagawanatsumi
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