【9】
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【9】
深まる秋空の涼しげな青をうつす、穏やかな海を渡る潮風が瀬名の頬に触れた。
海岸沿いの国道から浜に降りる前に振り返った大通りの先に、朱塗りの鳥居と色づき始めた山が見える。
ついこの前までと、なにも変わらない景色だ。
変わったのは、自分だけ。
今の景色と昔の景色が、記憶の中で交錯している。コンクリート建ての建造物がひとつもなかった頃を知っている。
記憶だけをそのままに、見つめる瞳だけが変わってきた。
そのたびに、時代にあった視線を持ってきたつもりだ。
だから、今も桐野瀬名として感じている。
「もっと鄙びてたよなぁ」
浜に降りて、水際へと歩いた。
もっと砂浜も広かった。地引き網で漁をしていたのは、どれぐらい前のことになるだろうか。
今はもう、ウィンドウサーフィンをする若者で溢れている。
戦争の記憶が薄れた今、この国がどこに行こうとしているのか、まだ思春期も終えていない瀬名にはわかるはずもない。
長い記憶を持っていても、その時代を生きることはいつも真新しい経験だ。
「瀬名ぁ! てめー、だましやがったな!」
防波堤の切れ目から、大学生が一人叫びながら走り降りてくる。
遠目に見てもわかる。綱だ。
瀬名は波打ち際を、肩をかばいながら、一目散に走り出す。
波にスニーカーが濡れる。
でも、かまわない。
綱と一緒に助け出した瀬名の両親は、きららと共に病院へ搬送された。
対外的には瀬名を含めた四人の乗った車が、自損事故を起こした扱いになっている。
両親はまもなく意識を取り戻して、今は病院で静養中だ。
「そのケガで、おれから逃げられるとでも思ってんのかよ」
逃げられるはずはない。
手首を掴まれた瀬名は、肩の痛みをこらえて綱を振り返った。
乱れた息を整えるだけで、肩が痛む。
「ってかさぁ、走ったら息があがるんだから、肩が痛いのぐらいわかるだろ? ばか?」
「ほっ、とけ・・・・・・!」
ぷいっと横を向いて、大きく深呼吸を繰り返す。
「大声、出す、・・・・・・はぁっ」
息を継ぐ。
「・・・・・・から、だろ。あぁ、痛い」
「思い出した! そう、怒ってんだよ!」
「忘れてていいのに」
つぶやいた瀬名は、一歩、また一歩と離れる。
「おっと、そうは行かないからな」
パシッと音を立てて、ふたたび手首を拘束される。
「知ってたらしいな」
「なにがだろう」
瀬名は、遠い沖を見た。
貨物船が横切っている。
夕暮れももう近い。
「しらっと言うねぇ」
苛立ちを隠さない綱の声がトガった。
「あれが失敗したら、反動の半分は俺に来るって、知ってたんだろ?」
「あぁ。あれか」
素知らぬ振りで瀬名は口にした。
「だって、肩もケガしてたし」
「そっかー。そうだよなぁ。なんて、言うと思ってんのか? もともと、知ってたんだろうが。俺とおまえの、二つの属性がないと成功しないって、晴明に言われてたんだろう」
「うん」
「失敗したら、最悪、半分の反動じゃないってこともな。言われてたんだろ?」
「それは、こっちだって一緒だよ」
「俺がなんで、もしもを背負わなきゃなんねぇんだよ!」
綱のこめかみに青筋が見える。
「血管、切れるんじゃない?」
今にも噛みつきそうな勢いで綱がうなった。
「悪かったよ。でも、俺はうまく行くって、信じてた」
手首を握られたまま、浜辺で、男の瞳を見つめ返す。
周りの目を気にしたのか、綱の手がするりとほどけた。瀬名はなおも視線を合わせたまま、
「本当だよ。おれは信じてたんだ」
静かに告げた。
きららは、今も眠っている。搬送された時から、意識不明の重体だ。
「その目、弱いんだよな。昔っから」
勢いよく土を踏んで、綱が肩を落とす。
「あの子は、おまえの両親が引き取って、京都で面倒を見るってことになったよ。」
「話、ついたんだ」
「今日、道長さまが来ているんだ。あとで会うといい」
「うん」
瀬名は、視線をはずした。
「遠くに行くんだな」
「晴明のそばなら、安心だろ」
「わかってるよ」
記憶を取り戻した時から、ちゃんと納得はできている。
でも、胸の奥に広がる切なさは止めようがなかった。
ひとつひとつ変わっていく。
その覚悟は生まれる前からしているのに、どうして、何回も、迷い、決意してはまた心が揺れるのだろうか。
人に生まれる限り、この心が続く限り、変わらないのかもしれない。
「記憶が戻ったら、もう幸せじゃなくなると思ってた」
瀬名の言葉に、綱が目を細める。
瞬間だけ向けた視線は、そのまま沖へ。
小さな息を吐き出して、両手をジーンズの後ろポケットに突っ込んだ。
「そんなこと、あるわけないだろ。おまえは思い出す前から碓井貞光なんだから」
「そうなんだよな」
うつむいて、瀬名は笑った。
だけど、おそれていた。
何かが変わること、少しづつ変わっていく、この世界を見守り続けることを。
「とりあえず、おまえには勘を取り戻してもらわなきゃな。使えねぇよ」
「肩も治さなきゃいけないし」
「やることやってりゃ、会えるさ。そのうち」
あの子にも。
と、綱は声をひそめた。
瀬名はうつむいたまま、打ち寄せては引いていく波を見つめた。
「だけど、おまえさ」
綱のスニーカーが波を蹴った。
「戻ってきたら、また厄介ごとになるんじゃねぇの?」
「どうして?」
顔をあげると、目を丸くした綱に、信じられないものを見るような顔で凝視される。
瀬名はたじろぎ、
「な、なに」
数歩よろめいた。
「ほんとに、わかってないの。貞光。ほんとに? 瀬名になっても、まだダメか?」
「なにが」
「不憫だなぁ~」
綱がおおげさに頭を抱える。
「あの子もかずらも、不憫すぎる! ホント、何千年生きたらその朴念仁が進化するんだよ」
「いや、これでもちょっとは」
言いかけた言葉は、綱のひとにらみで尻すぼみになる。
「ちょっと、すぎるだろ」
深いため息。
瀬名は首をすぼめて、気持ち身体を小さくした。
そこへ、飛び込んでくる声がある。
「瀬名をいじめたら、ダメ!」
小さな身体が転がるように駆けてきて、二人の間に飛び込んだ。
「マメ。俺はこいつに人生を説いてるんだよ。じゃますんな」
「綱さんの人生観なんて、あやしいもんですよ! 瀬名、肩の傷に触るよ。お屋敷に戻ろう。みんなで、迎えに来たんだよ」
暖かい公時の手が、指に触れる。
振り返った先には、頼光と道長を中心に卜部と保昌、ひなぎくとかずら、小夜鳥に花槻、四人の式神も揃っている。
「今日は遅れたけど、瀬名の歓迎会! しゃぶしゃぶだからね! 行こう!」
腕をひっぱられて、瀬名は歩き出す。振り返ると、綱が笑いながらついてくる。
潮騒が急に大きく聞こえ、泣き出しそうな気持ちを瀬名は飲み込んだ。
こういうとき、笑うのが一番いい。
永遠に繰り返すのかもしれない戦いが、もしも終わるときが来るのなら、それは日本が終わるときだ。その日が来ないように、自分たちはここにいる。
記憶を重ね、経験を重ね、新しい時代と常に生き続けていく。
浜に立つ頼光が着流し姿で腕を組み、長い髪を風になびかせながら笑っている。
瀬名は泣き笑いのみっともない顔をしながら、心の中できららに呼びかけた。
早く、良くなれ。
そして、この仲間に加わればいい。
あの日、坂の途中で会った時から、それはもう決まっていたんだ。
【終わり】
鬼退治が前世なんて、そんなの嘘です。 高月紅葉 @momijiyahonpo
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