目が覚めたらパンツ

澤田慎梧

目が覚めたらパンツ

 背中に鈍い痛みを感じながら目を覚ますと、目の前が白いパンツだった。

 ――いや、日本語がおかしいな。言い直そう。


 目を覚ましたら、目の前に白いパンツを穿いた誰かのお尻があった。ペロリとめくれた濃紺のプリーツスカートを見るに、恐らく女子高生か中学生のものだろう。

 薄暗い中でもよく分かるほどの、見事なまでの純白なパンツだ。いっそ神々しくすらある。


「……しかし、なんでこんなところにパンツ、もといお尻が?」


 ほぼ無意識にそんな呟きを漏らすと、俺の股間が「キャッ!?」等という可愛らしい悲鳴を上げた。

 ……違う。俺の股間の辺りに顔が来ている、このお尻の持ち主が悲鳴を上げたのだ。


「ちょっ、息がかかるから……出来れば喋らないで!」


 お尻の持ち主が、俺の股間に盛大に息を吹きかけながら言う。

 「自分が出来ないことを人に求めるんじゃありません」等と思いつつも、要望に応えるべく少し顎を上げて息の向きを変えてみる。本当なら左右どちらかに首を振れれば良かったんだが、どちらにものほっそりとした太ももが鎮座しているので、むしろ自体が悪化しかねなかった。


「これでどうだ? まだ息はかかるか?」

「あっ……うん、大丈夫。ありがとう……」


 ――沈黙。

 一つの問題が解決したからか、俺達は急激に自分らが置かれている状況を把握し始めていた。


 まず、俺と彼女の状態。

 俺が床(?)に寝転がり、その上に彼女が折り重なっている状態だ。しかも上下逆に、お互いに向き合う形で。

 そのせいで、互いの顔に互いの股間を押し付けあっているような姿勢になっている。ちょっと頑張れば彼女の股間に鼻先で触れることすら出来そうだ。

 やらないけど。


 そして、何か強烈な力に挟まれて、俺たちは全く身動きが出来ない状態だった。

 手足の融通は多少利くが、それぐらいだ。互いの身体の至る所を色々な物に挟まれていて、びくともしない。幸い息が出来ないほどじゃないが、長時間圧迫され続ければ命に係わるだろう。


 ――そもそも、どうしてこうなったのか? ここはどこなのか?

 頭と背中を打ったからか、どうにも記憶が曖昧だった。


「なあ、あんた。どうしてこんな状況になったのか、覚えてるか?」

「えっ!? そりゃあ……?」

「……ああ、そうか。そうだった」


 彼女の言葉にようやく思い出す。

 俺は、バスで高校へ向かう途中だったのだ。珍しくいつもより早起きして、少し早い時間のバスに乗って――それが運の尽きだった。


 バスがちょうど、曲がりくねった崖沿いの道を通っていた時、それは起こった。

 突然のクラクション。急ブレーキの衝撃。バスのフロントガラスに迫るダンプカー。――次いで、凄まじい破壊音と衝撃。

 そして、洗濯機の中にでも放り込まれたみたいに俺達の体はバスの中をグルグルとぶつかり回り……気付けばこれだった。


 恐らく、ダンプカーに衝突された弾みで、バスが崖下へと転がり落ちたのだ。

 首を動かせないのではっきりとは分からないが、バスは大部分が潰れているようだった。

 まだ朝なのに車内は薄暗い。窓が潰れてひしゃげて、採光の量が減っているのだろう。かろうじて目の前の物の色や形が分かるくらいの明るさしかない。


「ねぇ、あなた。スマホとか取り出せない? さっきから他の乗客にも呼び掛けてたんだけど、うめき声しか返ってこないの。多分、意識があって喋れるのは私達だけよ?」

「……いや、駄目だな。どっちの手も動かないし、電話はカバンの中だ。そのカバンがどこにあるのかさえ分からん」

「そう……。このまま、誰かが気付いてくれるまで待つしかないのかしら」


 そう言って白いパンツ……じゃなかった、彼女は深い深いため息を漏らした。

 いや、だから俺の股間に息を吹きかけるのはやめてくれ! 変な快感に目覚めるだろうが!


 ――等と不埒なことを考えていて、ふと気付いた。

 そう言えば俺と彼女は向かい合った状態で密着しているのだ。ということはつまり、先ほどから俺の腹の辺りに当たっているやけに柔らかい二つの物体は……まさか!


「きゃっ!? ちょっと、無理に動こうとしないでよ! 挟まれてる所が痛いわ!」

「あ、すまん。緊急案件だったんで」

「……?」


 ふう。どうやら俺の股間に発生した生理現象きんきゅうじたいは彼女に気付かれぬまま鎮静化したらしい。危うく文字通り人生が終了するところだった。

 気付けば、背中がぐっちょりしている。汗かきすぎだろう、俺。


「……ねぇ、何か臭くない?」

「えっ!?」


 彼女の言葉に、俺は一瞬自分の汗臭さのことを言われたのかと思ったが、違った。

 いつの間にやら、周囲にはガソリンの臭いが充満していたのだ。


「さっきまでこんな臭いしなかったよね?」

「だな。ってことは、だ。どこからかガソリンが漏れてるってことか……?」

「ど、どうしよう! 火でも付いたら私達助からないよ!?」

「いやいや。ガソリンってのはそう簡単には引火しないはずだ。それこそ、火花でも散ってなきゃ――」


 等と俺が言いかけたその時、どこかで「バチッ!」という何が弾ける音がした。

 ……明らかに火花の音だ。どうやら、どこかの電気系統が生きているらしい。これは……まずい。


「ど、どうしよう! 死んじゃう! 死んじゃうよ!」


 恐慌をきたして彼女が叫ぶ。

 ……けれども、テンパっているのに主語が「自分」ではなく「みんな」なところに、彼女の素の性格の良さが表れている気がする。非常時にもかかわらず、何だか感心してしまった。

 この子を、こんな不安な心持ちのままで死なせたくない。素直にそう思った。


「大丈夫だって、そう簡単に火は付かないから」

「ほ、本当に……?」

「ああ。だからさ、どうせ叫ぶなら悲鳴を上げるんじゃなくて……外に向かって助けを呼ぼうぜ? 駄目元でもいいからさ――」


 そうして、俺と彼女は叫んだ。可能な限り外へ向けて「助けてください」「ここに人がいます」と、精一杯に。

 その間にも、どんどんとガソリンの香りは濃厚になっていく。火花の音も鳴りやまない。それでも俺達は、喉が枯れんばかりに叫び続けた。

 叫びすぎて酸欠になってきたのか、段々と俺の意識に白いもやがかかり始めたけれども、それでも声を振り絞って叫び続けた。

 そして――。


「ちょっとストップ! ねぇ……遠くに聞こえるこれって……救急車と消防車のサイレンじゃない!?」

「……ああ。どうやら気付いてくれたらしいな。ま、俺たちの叫びが届いたわけじゃないかもだけど……」

「そんなことないよ! きっと私達が『助けて!』って叫んだから、それが誰かに届いたんだよ!」


 ――救助が近付いているとはいえ、俺達が危険な状況下にあることは変わりない。

 レスキューが来てくれたとしても、ガソリンに引火する可能性がすぐさまゼロになるわけじゃない。

 でも、彼女はすっかり元気を取り戻した。まずはそれで……いいんじゃないか?


「ねぇ、ほら。外から人の声がするわよ! ここでーす! ここに挟まれてまーす! ねぇ、ほらあなたも声を……えっ? ちょっとあなた……これ……血の匂い? ねぇ、あなた、返事をしてよ!」


 ――あれ? おかしいな。

 この子、元気になったと思ったら、今度は涙声になったぞ?

 一体何をそんなに悲しがってるんだ? 分からない……なんだか頭が真っ白になってきて……何も……。


 ……。



   ***


 ――目が覚めると、見知らぬ白い天井が目に入った。

 何故か上手く動かない首を巡らすと、左右は白いカーテンに囲まれている。手には白い包帯が巻かれ、シーツも白い。右足なんて丸ごと「白い何か」でがっちりと固められていて、全く動かせない。

 なんだこれ? しかも、背中がやたらと痛いぞ……。


「あら、良かった! 目が覚めたのね? 今、先生を呼んでくるから――」


 頭の上から声がしたので目を向けると、そこにはピンク色のナース服に身を包んだ女の人がいた。

 ……どっからどう見ても看護師だ。どうやら俺がいるのは病院のベッドの上らしい。


 そこから、医者と名乗る胡散臭いオッサンがやってきて、何だかんだと俺の状態を説明していった。

 現時点で脳に異常はなし。右足は複雑骨折。体中至る所に打撲。背中には何十針も縫うような裂傷。もう少し病院に担ぎ込まれるのが遅ければ、出血多量だか外傷性ショックだかで死んでいたらしい。

 何とも実感の湧かない話だった。


 そこからは両親やら警察やらの面会ラッシュだ。

 いつもは口うるさいだけの父親や母親も、この時ばかりはわんわん泣いて俺に取りすがったっけ。……二度と見たくない光景だな。あんまり親不孝はしないでおこう。


 警察からは、形式的な事情聴取と、事故の説明を受けた。

 原因はダンプカーのスピードの出しすぎ。カーブを曲がり切れず、バスと正面衝突した結果だった。

 ダンプカーの運転手は重症。バスの乗員乗客も大半が重症。幸いにして死者は無かったものの、市内でも未曾有みぞうの大事故になったらしい。

 本当に、よく生きていたものだ。


 ――警察に、「白いパンツのあの子」のことを尋ねようとも思ったが、やめておいた。

 そもそも、名前も年齢も見た目も分からないのだ。「白いパンツと濃紺のプリーツスカートを穿いてたはずです!」とか言ったら、また脳を診られかねない。

 ま、死者はいないということなのだから、あの子も無事なのだろう。それならそれでいいじゃないか、と納得しておいた。


 さらば白いパンツの君。あんたのパンツの清らかさと、おっぱいの感触は決して忘れない。


 ――等と、馬鹿馬鹿しい締め方をしようと思っていたが、一度出来た縁ってやつは無くならないらしい。


「そういえば、彼女はもうお見舞いに来たの?」

「彼女?」

「うん。君が眠っている間、何回もお見舞いに来てたよ」


 ある日のことだ。

 その日のメディカルチェックをしながら、看護師がそんなことを言ってきた。俺には生まれてこの方、彼女なんて出来たことないんだが……?


「――っと、噂をすれば。ほら色男くん、彼女の到着だよ?」


 看護師の視線を追って、病室の入り口に目を向ける。

 そこにいたのは――。



(了)

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目が覚めたらパンツ 澤田慎梧 @sumigoro

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