いちご 5

 ピンク色のシーツが敷かれたベッドに座っている柚寿に、冷えた麦茶を渡す。しっとり濡れた白い肌を、汗がつたう。

 僕もその隣に腰かけて、柚寿が半分くらい飲んだ麦茶を無言で受け取って、口に運んだ。どちらのものかわからない唾液で絡まった喉を、冷たい感触が流れていく。美味しい。


 「……あ、ごめん。服」

 「ん、いいよ。まだお母さん返ってこないし、洗濯しとくね」


 さっきまで散々感じていた幸せが冷えていく、事後。僕は汚してしまった柚寿のワンピースを拾い上げて、机の上の箱ティッシュに手を伸ばした。

 ほんのり上気した頬を少しだけ緩ませて柚寿は、僕を見ている。ベッドの下のゴミ箱に、ティッシュを丸めて放り投げて、僕はもう一度キンキンに冷えた麦茶を飲んだ。これが映画やドラマならタバコでもふかすのに、あいにく未成年の僕達は、気の抜けた視線を部屋の隅に向けることでしか、行為後特有の沈黙を誤魔化せなかった。

 若い男女が付き合えば、こういう事をするのは、自然なことである。交際を始めてから一か月くらいで手を出してしまったのは我ながら早かったかな、とか今更になって思うけれど、柚寿は思ったより無抵抗だったし、驚くくらい上手かった。柚寿くらい美人な女は、僕と付き合う前にも沢山の男と付き合っているだろうし、それなりに経験も重ねているだろうから、仕方のないことなのだけれども、男という生き物はどうしても、女にとって最初の相手でありたいらしくて、過去の男に嫉妬することもあった。僕だって散々他の女を抱いてきたのに、なんて自分勝手なのだろうか。

 元カレの話とか、振ったら怒るかな。ちらりと柚寿を見ると、はだけた部屋着のボタンをかけ直しているところだった。さっきまで僕に触れていた長い指を絡ませて、上手に透明のボタンを穴に通していく。

 僕は机に置いていたスマホを手繰り寄せて、届いていた通知を見る。ついでに柚寿のも取って渡してやる。

 翔と戸羽さんからまた連絡が来ていた。内容は、わざわざ述べるほどのことではない。体の相性が合うかもしれないとか、運命の相手かもしれないとか、僕にとってはとてもどうでもいい文が並んでいるだけだった。

 ふと、矢桐のことを思い出す。さっき電話をかけたから、履歴がまだ残っていたのだ。いつの間にかすぐ近くまで寄ってきた柚寿に、「誰の番号?」と聞かれたので、中学の友達、と返しておいた。中学が同じだったことは確かだが、僕と矢桐は、間違っても友達ではない。

 柚寿はめんどくさい女ではないから、それ以上疑いをかけてくることはなかった。僕の肩にもたれかかって、友達にラインを返している柚寿の小さな頭を撫でながら、考える。再来週のプレゼントだったり、そういえば近づいていた、同じ雑誌でモデルをしている友達の誕生日だったり。僕の金はすぐになくなる。きっと来週の火曜くらいには、僕はまた矢桐を呼び出して、金を奪ってしまうだろう。僕だってやめたいけど、やめた瞬間に全部を失う。柚寿も友達も、この地位も。僕には、それが限りなく怖いのだ。


 「……わっ。もう、どうしたの」


 耐え切れなくなって、衝動的に柚寿を抱きしめる。折れてしまいそうなほど細くて、柔らかくて、暖かい。柚寿は優しいから、ぽんと僕の背中を叩いて、小さい子供をあやすように笑ってくれる。でも、僕は柚寿に全てを話すことができない。言葉にしきれない感情を、いろんな形でぶつけるだけだ。ごめん、しばらくこのままでいさせてくれないかな、と呟くように、ぽつりと吐き出す。柚寿は、僕に何も聞かなかった。ただ、「瑛太は、もっと私のこと頼ってもいいんだよ」と優しい声で言うだけだった。



 僕が頼れるのは柚寿でも他の友達でもなくて、矢桐だけだ。それを思い出したのとほぼ同時に、スマホの通知音が鳴った。

 そういえばさっき、矢桐の好きな女の子にちょっかいをかけてやろうと思って、ラインを送ったのを思い出した。瀬戸京乃さんという子である。地味で、子供っぽくて、頭の悪い女だ。矢桐はあれのどこがいいんだろう。確かに顔はよく見たら可愛いかもしれないけど、柚寿に慣れてしまうと他の女なんて霞んでしまうし、あの子は恋愛対象というよりも、マスコットキャラクターみたいな感じだと思っていたから、不思議でたまらない。矢桐の女性の好みはまったくもって謎である。

 そんな瀬戸さんから連絡が入っている。適当に遊んでやる気しかなかったから、とても簡素な文章を送り付けたにもかかわらず、返ってきたのは綺麗に絵文字で装飾された文だった。

 「月曜日の放課後、教室で待ってるね」とそこには書いてある。もし僕が、瀬戸さんを奪ってやったら、矢桐はどんな反応をするんだろう。僕に怒ったり泣いたりしてくれるだろうか。金を取られても、殴っても蹴っても、いつもの無表情を崩さない矢桐が、人間らしい顔をするのを見てみたい。

 僕っていつからこんなに最低な人間になったっけなあ、と思いながら、もう外れかけている家のドアを開く。鍵は有って無いようなもので、強く引かれると簡単に開いてしまう。古びた団地の、市営住宅の一室が僕の家だった。未だに、誰一人として友達を入れたことはない。

 母さんと姉さんは、スーパーに買い物にでも行ったのだろう。荷物を投げて床に座る。柚寿の部屋よりも狭いかもしれない僕の家は、夜が来ても薄暗いままだった。

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