いちご 4
こうやって雨に濡れる喫茶店で柚寿と向かい合っていると、まるでこれが映画やドラマのワンシーンのように思えてくる。もちろんそんなことは無くて、話題はこの前の変な席替えのことだったり、戸羽さんと翔のことだったりするのだが、口元に手を添えて笑っている柚寿は、非現実の世界からそのまま出てきたみたいに綺麗だ。翔が羨む気持ちもわかる。
「渋谷くん帰ったあと、暇だったでしょ。何してたの?」
なんでもなさそうなことを、なんでもなさそうに、柚寿は聞く。まつ毛の奥の大きな瞳に、店の電飾が反射して、赤色や青色の小さな光が沢山宿っている。
クラスメイトの男を恐喝してたよ、と言えば、柚寿はどんな顔をするんだろう。僕は、たまに柚寿がわからなくなるときがある。いつも僕の話を笑って聞いて、僕がちょっと不機嫌になったらすぐに謝って、僕がしようと言ったことは、なんでもしてくれて。一年付き合ったんだから、さすがに気を遣っているとは考えたくない。でも柚寿は、いつも僕に全部を任せて、今日もここに座っている。
きっと僕が、「クラスの男から金を奪うのをやめられないんだ」と告白したら、柚寿は動揺するだろう。柚寿が今着ているピンクのワンピースも、銀色のネックレスも、僕がプレゼントしたものだが、金の出どころは僕ではない。全部を話したら、そんな汚れた金で贈ってもらったプレゼントなんかいらない、と言うだろうか。「そっか、そうなんだ」で済ませてしまうのだろうか。これを話すことは、付き合ってくれと言うよりも難しい。矢桐から金を奪っているという事実は墓場まで持っていけたらいいし、そもそも柚寿と墓場まで一緒に居るという確証もないのだから、隠してしまうほうが、僕にとっても柚寿にとっても、良いと思う。矢桐無しでは生きていけない僕を知っているのは、矢桐だけでいいんだ。
「駅で服見てた。もう夏物の季節だし」
「そっか、いいな。私も服欲しい」
「今度見に行こうよ。来週とか」
わかった、予定空けとくねと柚寿は笑う。柚寿は友達が多いから、僕が黙っているとすぐに友達との予定を入れられてしまう。
柚寿は、友達に対してもこんな態度を貫いているように思える。もうちょっと砕けてもいいのに、いつもぴんと背筋を伸ばして、笑顔を絶やさずにいる。疲れるだろうな。僕には甘えてくれてもいいのに、どうもうまくいかない。女の子ってこんなに難しかったっけ。
柚寿の前に置いてある、半分くらい残っているショートケーキが目に入る。対して僕の前にあるのはブラックコーヒーであり、甘党の僕はさっきから、砂糖とミルクを取りに行くか、行かないべきかを悩んでいた。ブラックコーヒーも飲めないのか、なんて思われたくないけど、出来ることなら少しだけ甘くしたい。
「……食べる? ショートケーキ」
顔には出していないつもりだったのに、柚寿は少しだけ微笑んで、僕を見ている。「好きでしょ、いちご」と言って、小さなフォークにケーキを刺して、残っていたいちごも一緒に、僕の口元に向ける。
柚寿は、エスパーか何かなのだろうか。こうやって差し出されたら、喜んで食べてしまうほかない。ありがとうと礼を言って、そのフォークを口に入れる。さっきまでの心配もどうでもよくなってしまうほど、甘くて少しだけ酸っぱいいちごは、ケーキといっしょにとろけていく。
「美味しい?」
「うん、ありがと、柚寿」
「……このあとどうする?」
私はどこでもいいよ、お母さん仕事だし、家でも。柚寿はそう言って、残ったショートケーキを丁寧に切り分けている。
外でデートした後は、時々柚寿の家にお邪魔することがある。柚寿の家は広くて、部屋に置いてある小物も可愛い。いつ行ってもちゃんと掃除されていて、さすが女の子だと思う。
僕にも自分用の部屋があったら、好みの家具を置いたり、柚寿を呼んだりしただろう。僕の部屋は未だに大学生の姉さんと共用だし、他の部屋もお世辞にも綺麗とは言えない。矢桐までの金持ちとは望まないから、せめて、普通の家庭に生まれたかった。古い団地の中でも特に古びた集合住宅棟の中の僕らの家は、台風でも来たらすぐに崩れてしまいそうだ。
それを知らない柚寿は、時々僕の家に来たがる。そのたびに誤魔化しているけれど、なんだか騙しているみたいで嫌だ。柚寿にもっと気を許してほしいと思っているのに、僕がこれだと、柚寿が安心できるわけがない。早くあんな家を出て一人暮らしがしたい。矢桐にも、できればもう頼りたくない。
そんな本音を言えるわけもなく、僕は笑って、また嘘をついてしまう。
「柚寿の家にしようよ。ごめん、僕の家、今日も姉さんの彼氏来てるんだ」
「そっか、わかった」
付き合ってもうすぐ一年になるのに、一度も柚寿を僕の家に入れたことはない。柚寿もそろそろ何かを勘付き始めてもいい頃なのに、今日もただ偶然の出来事が起きたかのように振る舞っている。健気に笑顔を作って、可愛い僕の彼女でいてくれている。
目を奪われてしまうほど綺麗な女の子だ。雨のせいで混んできた喫茶店にやってきた人達が、ちらちら柚寿を見ている。柚寿がどこかに行ってしまったら、ものすごく嫌だ。僕のものにして、この手でめちゃくちゃにしないと気が済まない。もう、場所なんてどこでもよかった。僕に足りないものを、とても上手く埋めてくれる柚寿が好きだ。本当のことはたぶん永遠に話せないけれど、一時的に満たされるなら、なんだっていい。
皿に残る生クリームを名残惜しそうに見つめる柚寿を、ほとんど無理矢理立たせて、会計を済ませた。コーヒーは無理やり胃に流し込んだ。恐ろしく不味かったけど、気にしない素振りをして、柚寿の手を引いて歩きだす。柚寿の家に近い喫茶店を選んでしまったあたり、僕は最初からこれが目的だったのかもしれない。
コーヒーのせいで、いちごの味はとっくに忘れてしまっていた。
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