ウルトラソーダ 1

 世界がぐらりと傾く音がした。時が止まったみたいに静かな教室で、私はいっぱいに目を開いて、その綺麗な男の子を見ていた。


 「瀬戸さんのこと、前から可愛いなって思ってたんだ。嫌だったかな……?」

 「そ、そんなことないよ? でもちょっと、びっくりした」


 あまりにもドキドキして、いつもより少し声が上ずっているのが、自分でもわかる。だって、今のがファーストキスだったから。私の髪を撫でる、瑛太くんの柔らかい手の感触が、まだはっきりと残っている。嘘みたいに高鳴る胸が、これは夢なんかじゃないと痛いほど教えてくれる。

 かっこいいな、と密かに思っていたクラスの男の子に、放課後の教室で、キスをされた。私の持っている少女漫画みたいな話だけど、全部現実だ。夕陽のせいで少し赤くなった頬を緩ませて、瑛太くんはごめんね、と言う。ずるいなあ、そんな声で言われたら私は、許すしかなくなってしまう。誰もいない教室は、世界の終わりみたいに、しんと静まり返っている。

 瑛太くんの綺麗な瞳には、ちゃんと私が映っている。いつもなら、違う女の子なんだけれども。そう、この世界は少女漫画ではない。瑛太くんには彼女がいる。


 「……こんなことしたら、柚寿に悪いよ……」


 我ながら、お昼のドラマみたいな台詞と共に、柚寿の事を思い出す。瑛太くんの彼女なだけあって、綺麗な顔をした女の子だ。クラスの、いや学年でも、一番か二番目に人気がある子で、私がどう頑張っても敵わない。だから、正直なんで今、こんなことになってるのか、私は全くわからない。なんで私なんだろう。「前から可愛いなって思ってたんだ」の言葉が本当なら、すごく嬉しいことだけど、信じてもいいのだろうか。私は勉強もできないし、単純に頭が悪いし、今は特に頭がぼーっとしているから、信じることしかできないのだけれど。


 「柚寿のことも、もちろん好きだよ。でも、それとこれは別だろ」

 「……ほんと?」


 瑛太くんが微笑む。その言葉で、柚寿の事を考える余裕がなくなる。私の思春期なんて全部捧げてもいいって、本気で思えてしまう。

 細いと思っていた瑛太くんも、やっぱり男の子なんだなって思う。強く抱き寄せられると、ちゃんと腕の中に私はおさまってしまう。心臓の音、聞こえてないかな。顔を上げる。目が合う。なんて整った顔をしているんだろう。柔らかそうな髪も、透けそうなほど白い肌も、薄い唇も、全部私の物になればいいのに。もう一度唇を重ねる。

 柚寿は、いつもこんなに幸せな思いをしているのかな。私が勇気を出さなければ触れられない瑛太くんの袖に、簡単に触れて隣で笑える、あの子が羨ましい。柚寿になりたい。きっと、びっくりするくらい人生楽しいんだろうな。いいなあ。


 「クラスのみんなには、内緒だよ」


 唇に人差し指を立てるような、そんな漫画じみた仕草でさえも似合ってしまう瑛太くんと、無言で頷く私。すごくアンバランスだけど、もうなんだっていい。窓から入り込む風が、随分暑くなってきた気がする。もうすぐ、この街にも夏がくる。

 夜が近づいているのに、帰りたくはない。まだここでドキドキしていたい。帰ろうかという瑛太くんの声に、少しの名残惜しさを感じた。

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