いちご 2

 戸羽さんの軽さには驚くばかりで、今付き合っている彼氏とはまだ別れていないくせに、これから翔と会うらしい。

 柚寿がこんな女じゃなくてよかった、なんて心の奥底で思いながら、駅に消えていく翔に手を振った。


 「もしもし、柚寿? 授業お疲れさま。僕、駅にいるけど、会えるかな」


 人混みと逆方向に歩き出して、柚寿に電話をかける。珍しいことにすぐに出た柚寿は、友達と一緒にいるみたいで、奥から賑やかな声が聞こえる。邪魔しちゃったなら悪いけど、僕的には急ぎの用だから仕方ない。


 『うん、ありがと。これからユリ達とご飯だから、十八時からだったらいいよ』

 「りょーかい。じゃあ、十八時に時計塔で待ってるから」


 ぷつん、と電話が切れる。この時間にご飯か。柚寿は甘いものが好きだから、スイパラにでも行くのかもしれない。僕もかなりの甘党だけど、人前で生クリームがたくさん乗っているデザートを食べるのにはなんとなく、抵抗がある。甘いものをいくらでも食べられる女の子は少し羨ましい。柚寿が誘ってくれたら僕も行くのにな。


 「……あ、そうだ。記念日」


 誰かに向けて吐いた言葉ではないけれど、口に出しておかないと忘れてしまう気がした。

 柚寿とは、再来週で一年になる。付き合った日から、一か月ごとにお互いプレゼントを贈るのが僕たちの決まりになっていた。一年か、駅で高いネックレスを買ってあげれば、喜ぶだろうか。そう思って財布を開いても、そこには一万円札が一枚入っているだけだった。そういえば、昨日欲しかった革靴を買ったんだった。

 一万じゃ、全然足りない。柚寿には、できるだけ高価な物を買ってあげなくてはいけない。僕の社会的な地位だったり、名誉にかかわる問題である。柚寿は友達が多いから、ここで僕が粗末なプレゼントを与えてしまったら、あっという間に広まって、僕はこの立場から失墜してしまうかもしれない。

 僕の小遣いは月三千円だ。ちなみに柚寿は僕の五倍貰っている。柚寿はその金で上手くやりくりして、友達と遊んだり欲しい服を買ったり僕へのプレゼントを考えたりしているらしいが、僕の三千円ではやりくりもクソもない。母さんは仕事が忙しくて弁当を作る暇もないから、毎日二百円のパンを買ったとしたら、もう僕が自由に使える金なんかないじゃないか。

 無意識のうちに、僕はスマホを取り出していた。連絡する相手は柚寿でも翔でもない。届いているラインを全部無視して、電話のアプリを起動する。僕の指は、あいつの番号を正確に覚えている。


 『……もしもし、矢桐です』


 いつも通り、すぐに矢桐は電話に出た。その声を聞いた瞬間、妙な安心感に襲われる。


 「……もしもし、僕。いま、駅にいるんだけど。いつもの」

 『僕、三万しか持ってないけど』

 「こっちは一万しかないんだけど」

 『……』


 電話が切れて、無機質なとぎれとぎれの電子音だけが残る。無言の了承と言うものだ。

 僕が矢桐から金を奪うようになったのは、中三の時だった。当時、受験勉強にイライラしていた僕は、密かに矢桐をからかって遊んでいた。もちろんそれは、誰にもばれたことはない。放課後、誰にも見つからない場所に連れ込んで、矢桐を殴ったり蹴ったりしていた。

 その年の正月、親戚が集まる家に行ったとき、珍しく機嫌のいい祖父が、「パチンコで勝ったんだ」と言って、僕に裸の一万円札を渡した。僕はその時、一万円札を生まれて初めて見た。一瞬で大金持ちになった気分になって、滅多にしない自慢を矢桐にだけした。「僕、この前一万円貰ったんだ」と話すと、矢桐はきょとんとした表情で僕を見て、だからどうしたの、と言った。

 聞くと矢桐はその年、お年玉を十五万円もらったらしい。その時、やっと気付いた。矢桐は僕の何倍も金持ちだ。僕よりも下だと思っていた矢桐が、僕よりも金を持っているのが許せなくて、僕はその日から、矢桐を脅して金を奪うのをやめられなくなってしまった。最初は千円だったのに、今では計算するのも怖いくらいの金額を巻き上げている。

 矢桐は絶対に大人にちくらないのが逆に不安で、今でもふと怖くなることがあるけれど、だからといってやめることはできなくて、これで最後にしようと何度も思っているのに、今日も僕は待ち合わせの場所へ向かう。


 「金だって、矢桐なんかより、僕に使われた方が嬉しいよなあ」


 喧噪に呑まれて、誰にも聞こえない。誰に充てたものでもないので、独り言で充分だ。強いて言うなら、これから僕のものになる予定の、矢桐の財布の中の三万円に言ってるんだけど、聞こえてるかな。

 駅の方へ歩き出す。矢桐が来るまで、柚寿へのプレゼントでも考えておこうかな。休日の午後の駅前は、いつもより浮かれているように思えた。

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