ぺんてる 2

 荷物を取りに行くため、僕は自分の教室にいったん戻ることにした。二年一組の教室に近づくにつれて、聞こえてくる声が大きくなってくる。小南さんと戸羽さんだろう。やっぱり別れたほうが良いよね、と言う戸羽さんに、小南さんがなにかを助言している。

 みんなみんな、別れてしまえばいいのになあ、と思いながら、教室のドアを引いた。


 「……あ、矢桐くん。まだ残ってたのね」


 突然の来客に、小南さんが驚いたように大きな瞳を開く。その後ろの席に座っている戸羽さんは、ちらりと僕を一瞥して、日誌をまとめる作業に戻った。戸羽さんは、スクールカーストが低い男子とは関わりを持ちたくないらしくて、青山みたいな男子には媚びを売るくせに、僕らのような目立たない奴には、目に見えて冷たい。

 対して、あの憎き青山瑛太の恋人である小南さんは、誰とでも分け隔てなく接する。でも、僕はなんとなく彼女が苦手だ。あの青山の彼女だからという事もあるけれど、小南さんは顔もスタイルも整いすぎていて、まるで人間味が無い。浮かべる表情も、並べる言葉も、全てが作り物みたいだ。例えるなら、サイボーグとか、ラブドールみたいな非現実さで、僕はまったく馴染めそうにない。青山の女性の好みはまったくもって謎である。


 「こんな時間まで何してたの? 矢桐くん、いつもすぐ帰っちゃうから、珍しいなって思って」


 そんなサイボーグ小南さんは、張り付けたような薄い笑顔を浮かべて、僕に問う。


 「……ちょっと、用事があっただけ」

 「そっか、気を付けて帰ってね」


 お前の彼氏に恐喝されてたんだよ、なんて言えば、彼女はどんな顔をしただろうか。

 小南さんは口元を少しだけ緩めて、また明日ねと手を振る。僕は彼女みたいに、上手に笑顔を作れないので、我ながらぎこちなく挨拶を返す。小南さんは細かい所まで綺麗で、男の僕にはよくわからないけれど、透明にコーティングされた爪と、すらりとした長い指が印象に残った。横の戸羽さんと比べれば、肌の白さも、瞳の大きさも、髪の艶やかさも顕著であり、やはり小南さんは普通の女の子とは一線を画している、といった感じが伺える。

 だけど僕は、こんな作り物みたいな美人より、普通の女の子の方が好きだ。小南さんにも戸羽さんにも、別に用事はない。重い鞄を持って、教室を出た。


 「ねえ、柚寿。あんなに優しくしたら、あいつ勘違いしちゃうんじゃないの?」


 教室を出た途端、後ろからそんな声が聞こえる。戸羽さんだろう。相変わらず、声が大きい女である。小南さんはそれに対して、そんなことはないと思うよ、と笑いながら言っている。野球部の練習の声のせいで、次の台詞は聞こえなかったけれど、悪口を言うのならせめて僕が完全にいなくなってからにしてほしいものだ。

 そして、残念ながら、僕はあの憎き青山瑛太の彼女には一ミリも興味はない。


 「あっ、矢桐くんだ! お疲れさま!」


 オレンジの光がたくさん散らばる廊下の向こうからやってきた小柄な女の子が、満面の笑顔でこっちに大きく手を振っている。僕に声をかけてくる女の子なんて、ひとりしか心当たりがない。クラスメイトの、瀬戸京乃さんだった。


 「お疲れさま、瀬戸さん」


 その姿がはっきりと確認できたとき、自然に笑顔がこぼれるのを感じた。

 瀬戸さんは、小南さんみたいな目立つ美人ではない。いつも控え目で、大人しいけれど、僕と話をするときは本当に嬉しそうに笑ってくれる。とてもとても、可愛いと思う。僕の生活は、クラスに馴染めなかったり、青山に金を取られたりして最悪だけど、瀬戸さんのおかげで、僕は何とか正気を保って、ここに居られる。

 瀬戸さんは、数学が解らなくて、さっきまで先生に教えてもらっていたらしい。そんな努力家なところも素敵だと思う。焦げ茶色のおさげを楽しげに揺らして微笑む瀬戸さんと目が合うたびに、ドキドキする。永遠にこの時間が続けばいいのにな。もうすぐ階段を降りてしまうから、ここでさよならしなければいけないのだろうか。もう少し話していたかったな。そんな事、言えるわけないけど。

 放課後。下駄箱の前を歩く。駅まで一緒に行こうよと誘う勇気はない。今日あったことを面白おかしく話す瀬戸さんに見とれて、こんなにじろじろ見ていたら嫌われるかな、と視線を逸らしたその時、これから教室に向かうであろう青山とすれ違った。

 青山は一瞬、僕と瀬戸さんを交互に見て、驚いたような顔をしていたけれど、すぐに元の笑顔に戻って、僕らに軽い挨拶をして、教室の方へ向かっていった。

 あーあ、せっかくいいところだったのに、青山なんかに会ってしまうと台無しだ。でも隣の瀬戸さんが、「途中まで一緒に行こうか」なんて言うから、もう青山も小南さんも戸羽さんも、明日の数学の小テストの事も、どうでもよくなりそうだった。僕は幸せだなあ、青山を殺して刑務所に入るのは、もう少し先でいいや、なんて呑気なことを思ってしまうのだった。

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