絶対的な関係 4
「あーっ、つかれた、つかれた、つっかれたあ。マッサージして」
「うっせーな柚寿、黙ってろよ」
ぴんと張っていた青いシーツは、私のせいでぐしゃぐしゃになってしまった。
心底迷惑そうな顔をした幼馴染が投げたクッションが頭に直撃して、漫画だらけの床に落ちた。
午後八時。あの後私たちは逃げるように教室を出て、ご飯を食べに行って、ついさっき、朝に待ち合わせをした時計塔で別れた。そのまま家に帰って明日の準備をしてもよかったのだが、なんとなく、久しぶりに顔が見たくなって、同い年の幼馴染である中川椿の家に上がり込んでいる。椿の家と私の家は、家族ぐるみでの付き合いがあるから、おばさんも突然来た私を笑顔で迎え入れてくれた。
「半年くらい会ってなかったんじゃない?」
「そんなことねえよ、先々週くらいにも漫画だけ借りに来ただろ」
椿は床に座ってスマホを弄りながら、「はやく返せよ、ワンピース」と吐き捨てる。そういえば、そんな漫画を借りていたような気がする。
見ないうちに伸びていた焦げ茶のくせっ毛や、白目の面積の方が多い瞳を見ていると、昔からちっとも変わらないな、と思う。瑛太に比べれば何倍も平凡な男の子だけれど、私が一緒に居て素を出せる唯一の存在だった。椿の方も、私を全く異性として見ていないようで、男友達と同等に扱ってくれるから、とても居心地が良い。一番仲のいい男友達といった関係である。
「……痩せた?」
「あ、わかる? 私、毎日四十五キロ遵守だから。一グラムでも増えたら、夜ごはん食べないから」
「なんだよそれ。死ぬぞ」
ベットに転がっていた私に、椿はファッション雑誌のモノクロのページを見せてくる。そこには、女子の平均体重は五十三キロ、といったことが書いてあった。
私の身長は百六十五センチだから、女子の中でも割と高い部類に入る。だから本当は、健康を重視するならば、もう少し体重を増やしてもいいのだけれど、どうしてもモデル体型と呼ばれる体重を維持したいから、酷い食事制限をやめられないし、そっちの方が自分に自信を持てる。
「エータくんとはうまくやってんの?」
私が日ごろ、どれだけ体重維持に命を懸けているかについて説明しようとする前に、椿に口を挟まれてしまった。
瑛太とは、うまくやっている方だと思う。紅音たちみたいにケンカしないし、瑛太は私の言う事を聞いてくれるし、私も瑛太の望む事は極力叶えようとしている。傍から見ている私たちは恐ろしいほど完璧で、品行方正で、幸せそうに見えている。今日だって、朝は一緒に登校して、放課後は教室でキスをして、夜ご飯を一緒に食べて、帰ってきた。
あんなに良い彼氏がいて、凄く私は幸せなのに、疲れたと息をするように吐いてしまうのは、私が必死に「絶対的な関係」を演じようとしているからなのかもしれない。良い子でいるのはとても疲れる。
「これだろ、エータくん。うわ、フォロワー三万人とか有名人かよ」
私はツイッターをやっていないから(というか、そもそもSNS全般が面倒で苦手である)、フォロワー三万人がどれだけ凄いのかはわからないけれど、椿が見せたスマホの画面の中の青山瑛太は、得意げな笑顔を浮かべていた。プリクラや自撮りをプロフィール画像にしている女の子から、たくさんリプライをもらっている。
「柚寿がリア充のオーラがある奴と付き合って、ここまで長く続くとは思ってなかったけど、ちゃんと話合わせてんの? お前中学のとき、こういう男子一番嫌ってただろ」
「……そんなの、過去のことじゃん。私だって頭悪くないから、誤魔化したり誤魔化されたりしながら付き合ってるよ」
へえ、やるじゃん。椿は珍しく私を褒めた。瑛太に褒められると嬉しいのに、椿に褒められてもあんまり嬉しくないのはなんでだろう。椿の喋り方が、本心からの言葉じゃないように聞こえてしまうからかもしれない。
「俺は、自分の素を出せる相手と付き合うのが一番いいと思うけどな。ぶりっ子してるお前好きじゃねえもん」
「別に、椿に好いてもらうために生きてる訳じゃないし」
「……早く帰れよ。エータくんが悲しむぞ」
「……じゃあ、帰る」
私にしては、率直な言い方だったと思う。椿は後ろを向いたまま、次来るときは漫画持って来いよと言った。
椿は、なんにもわかっていない。私がどれだけ努力して、今の地位を勝ち取ったかなんて。中学生の時は、もっと私の話をちゃんと聞いてくれたのになあ。椿は工業高校で溶接ばかりしているうちに、頭まで溶けてしまったのかな、とか、ぼんやりと考える。
私は何も言わずに階段を降りて、玄関先までやってきたおばさんに笑顔で挨拶をして、夜の街へ出た。深い青色をした空の向こう側から飛んでくる、涼しい夜風が気持ちいい。
スマホを開くと、瑛太から連絡が入っていた。明かりのついた椿の部屋を見上げて、少し申し訳ない気持ちになる。幼馴染とはいえ、私が他の男の部屋に上がり込んでいたら、さすがの瑛太でも怒るだろう。何度もやめようと思うけれど、この妙に居心地の良い関係は私一人では切れるものではない。椿に早く彼女が出来たらいいのにな、と他力本願なことを思いながら、私は帰り道を急いだ。家に帰ってからも、まだやることはたくさんある。
家の鍵を開けると、いつものように母親がおかえりと笑いかける。聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ただいまと返事をして、私は階段を上った。
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