絶対的な関係 3

 「二人揃って遅刻なんて、朝からアツいなあ」

 「そういうのじゃないってば」


 一時間目が終わる時間に合わせて、二人で登校した。教室に入るなり茶化してくるクラスメイトをうまくかわして、自分の席に座る。前の席の紅音が、振り返って「おはよ、柚寿」と笑う。今日も酷い化粧だなあ、という言葉の代わりに、おはようと返す。いつも通りの爽やかな朝、白紙の英単語テストが、机の中に入っていた。

 瑛太はまだ教室のドアのところで、鞄を持ったまま友達と話をしていた。バスケ部のエースで、クラスの中心的な人物である柏野くんや、成績優秀な副委員長の八巻くんは特に仲のいい友人らしく、よく行動を共にしている。楽しそうに話している瑛太と目が合うと、ふわりと微笑まれた。

 CMの宣伝のようなあざとさすら感じるけれど、瑛太ほど見た目が整っている人がああいう仕草をすると、やっぱり、かっこいい。彼女だから贔屓目に見てるとか、そういうのを一切抜きにしてもだ。


 「柚寿、早く青山くんの友達紹介してよー」


 そんな一連の流れを、羨ましそうな表情で見ていた紅音が、頬を膨らませて私の腕をシャーペンでつつく。

 紅音だって隣のクラスに彼氏がいるのに、もう見切りをつけたのか、次の男を探すのに夢中である。協力してあげたいけれど、私は瑛太の友達についてあまり知らないから、ほとんど手助けはできない。瑛太は交友関係が広く、モデル友達だったり、学校の先輩や後輩だったり、街を歩けば誰かしらの知り合いに必ず遭遇する。

 いちいち顔と名前なんか覚えていられないが、一人だけはっきり覚えているのは、私がしつこいナンパにあっていた時、助けてくれた渋谷くんという男の子。あとから瑛太に聞いた話だが、渋谷くんとはかなり長い付き合いらしく、高校が離れた今でも月に一度は会って遊んでいる、親友のような存在らしい。

 頭の中に一瞬、「紅音に渋谷くんを紹介する」なんてことが浮かんだけど、すぐに消し去る。特に理由なんてないんだけど、紅音と同等に見られたくなかったのかもしれない。

 心の中で友達を卑下してしまう私は、かなり嫌な人間だ。だから、今日も取り繕って、嘘を並べて生活する。紅音に、「わかった、今度ね」と言う私は、たぶん上手に笑えていた。


 昼休み。紅音と、他の友人達とみんなで学食を食べに行った。周りのみんなはカレーやラーメンを食べていたけれど、私はお金がないと誤魔化して、サラダだけ食べた。

 うちの学食は美味しいと市内では有名で、以前チャーハンを食べてみた時、驚いたのを覚えている。こんなに美味しいものを毎日食べていたら、確実に太るから、それ以来自重してるけど、正直隣のみちるが啜っているラーメンも、前の席の優奈が食べているカツカレーも、すっごく食べたい。

 それが顔に出ていたのか、「柚寿、ちょっとわけてあげるよ」とみんなが次々に小皿を持ってきて、私の分を取り分けてくれた。


 「・・・・・・え、いいの?」

 「もちろん! ウチも金ない時みんなに奢ってもらった事あるし、この学食ちょっと量多いし」

 「柚寿、超細いんだから、もっと食べなきゃダメだよ。あたしのもあげる」


 あっという間に、私の前には小皿が五つも並んだ。

 私はそれが素直に嬉しくて、美味しくいただいてしまう事にした。なんて良い友達なんだろう、こんなに優しくしてもらえるなんて、中学時代までは絶対にありえなかったことだ。


 「ありがとう、いただきます」


 久しぶりに、心から笑えた気がした。


 その日の放課後。今日の日直が紅音だったから、私は日誌を書くのを手伝っていた。「柚寿って、字綺麗だよねえ。教科書みたい」と言う紅音は、真っ白な日誌に、可愛らしい丸文字で、今日の天気やら清掃状況やらを記入していた。

 瑛太と一緒に帰る予定だったけれど、教室に姿は見当たらない。先輩のクラスに行ったのだろうか。スマホにも特に連絡は入っていないから、きっとすぐ戻ってくるだろうけど、早く家に帰ってゴロゴロしたいなあ。

 しばらくして、紅音の彼氏が迎えに来た。廊下にその姿が見えた瞬間、紅音はあからさまに聞こえるような舌打ちをして、荷物をまとめはじめる。まだ全部埋まっていない日誌を持って、教室を出ていく紅音に、じゃあね、また明日、と挨拶をして、教室の出口まで見送った。

 廊下の向こうに消えていく紅音と彼氏を眺めながら、もう教室には私以外誰もいない事に気づく。暇だなあ。外はもう暗くなりかけていて、そろそろ家に帰らないと明日の予習ができなくなるんだけどな。そう思っていた時、やっと瑛太が帰ってきた。私に手を振って、待たせてごめんね、と笑うのを見ると、なんだか安心してしまって、私も笑った。


 「どこ行ってたの、こんな時間まで」

 「ちょっと友達と話してた。ごめんね、柚寿」


 時が止まったような、誰もいない教室。瑛太が窓側の席に座っている私の頭を撫でる。夕暮れ、カーテンの向こうはうっすら紫がかって、夜がもうすぐ来る。

 今日はどこに行こうか、と話しながら、筆箱をスクールバックに入れて、チャックを閉める。席から立ち上がると、目の前が霞むような立ちくらみに襲われた。昨日全然寝てないからだろう。本当は、早く帰りたいんだけどな。そんな気持ちを見透かされないように、「どこでもいいよ」と言って、笑った。


 「この前いい感じの洋食屋見つけたからさ、行こうよ」

 「ん、いいよ」


 鍵を持って、教室を出ようとした、その前に、名前を呼ばれて優しく手を引かれた。私達のものになった教室に、オレンジの光が差し込む。

 放課後、夕暮れ。いつも騒がしい廊下には、誰の姿もない。時が止まったような教室で、私達はキスをした。

 身体を抱かれる。私も背中に腕を伸ばす。あったかい。心臓の音が聞こえるくらいの距離感で、目を閉じたまま。


 「好きだよ、柚寿」

 「私も」


 きれいだな、と思う。カーテンの下で見つめあっていると、それだけでもう、すべてがどうでもよくなってしまいそうだ。瑛太は、すごく綺麗だ。男子にしては白い肌も、大きな瞳も、薄い唇も、柔らかい猫毛も、細い体も、少女漫画からそのまま出てきたみたいで、伝わる体温だけが、そこに存在していることの証明のようだった。

 たぶん瑛太には、一生かかってもかなわないなあ。もう一回しよ、と囁かれると、弱く頷くことしか出来ない。ふわふわして、飛んでいっちゃいそうな体を身体を支える腕まで、いとおしい。カーディガンをぎゅっと掴み、やっと立っていられるような私は、舌まで伝わる甘い感覚にやられてしまって、もうどうしようもなくて、うまく息ができなくて。「柚寿は、今日もかわいいなあ」って言いながら頭を撫でられるのにも弱くて、教室でこんなことするなんて、いじわるだなあって、ほとんど何も考えられない頭の片隅で、くらくらしていた。

 上手く呂律が回らない。腕の中にぎゅっと抱かれたまま、私は言葉をこぼす。私たちはこんなことをしている、明日もみんなが授業を受ける教室で。なんとか正気を取り戻したいのに、まだ頭がほわほわしている。

 瑛太はそんな私になんにも言わないで、ただ抱きしめてくれていた。

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