絶対的な関係 2

 朝。三時間しか眠れていない、重い体を引きずって家を出る。後ろから母親が言う、「いってらっしゃい」に適当に返事を返す。

 家の近くのコンビニのガラスに映っている私は、いつもより疲れているように思えた。もちろん、目の下のクマを隠す化粧はしているし、真っ直ぐなロングヘアのためにもかなりの時間を割いている。色付きのリップも、ほんのりピンクの肌も、ビューラーで上げたまつげも、完璧なはずなのに。今週末は勉強しないでゆっくり寝ていたほうが良いのかもしれない。

 五月も中旬に入り、もうすぐ夏が来る。日焼け止めを塗ってきて正解だったな、と思う。ふわりと風で舞う髪は、随分伸びてきた。そろそろ切りに行こうか、やっぱりやめようか、なんて考えているうちに、待ち合わせ場所である時計塔に着いてしまった。今日は私の方が少しだけ早い。


 「おはよ、柚寿」

 「おはよう」


 ほぼ同刻にやってきた恋人に挨拶をして、私は笑顔を浮かべた。

 今日の瑛太は、制服のブレザーじゃなくて、キャメルのカーディガンを着ていた。明るい色のカーディガンは、本当は校則で引っかかるのだけれど、ちょっと前から生徒指導部の鬼教師が腰痛で入院しているので、みんなはここぞとばかりに制服をアレンジして着ている。私も一昨日から横の髪を留めるピンを黒からピンクにしてみたりして、学校はちょっとしたお祭り状態にあった。

 カーディガン、欲しいな。ローファーも欲しいな。瑛太が身に着けている物は、いつも新しくて、お洒落だ。私は横を歩きながら、ちゃんと釣り合えているか心配で、何度も開店前のショーウィンドウに写った姿を確認してしまう。読者モデルって、そんなにたくさん稼げるのかな。どうしても考えてしまう。私は月一万五千円のお小遣いで、頑張ってやりくりしているけど、欲しいものは少ししか買えないし、だからと言って瑛太に買ってもらってばっかりでも申し訳ないし。もっと素敵な女の子になりたいと思う気持ちだけがあって、それについていけない自分に、少しだけ疲れていた。


 「うわ、人身事故だって」


 駅に入った時、いつもよりかなり人が多くて、それにピリピリしたムードが漂っていたから、薄々は予想していた。電光掲示板を見た瑛太が苦笑いを浮かべる。次の電車は三十分後だから、今日は遅刻かな、と私も笑う。

 やることがないので、駅の中のスターバックスに入って、フラペチーノを二つ頼んで、一つだけ開いていたテーブル席に座った。担任に遅刻の電話を入れている瑛太を見ながら、本当はコーヒーがよかったな、という気持ちを掻き消すように、フラペチーノをストローで混ぜる。


 「あーあ、英単語テスト、追試決定じゃん」


 電話を切った瑛太が、せっかく勉強したのにな、と言って笑った。

 今日の朝、ホームルームが始まる前に、英単語の小テストが予定されていた。私も寝る時間を削って勉強したので、残念ではあるけれど、こうなってしまっては仕方がない。アイスを溶かしたみたいな、変な飲み物を流し込んで私は、「次頑張ろうね」と言った。

 青山瑛太はいつ見ても、整った顔をしている。今まで見た男の子の中で一番かもしれない。いつも穏やかな笑顔を浮かべて、どんな話でも聞いてくれる。紅音が言う通り、理想の彼氏像そのものだ。店の横を通り過ぎていく若者たちは、私と瑛太を交互に見て、何とも言えない表情を浮かべて通り過ぎていく。それが羨望であることなんて、性格の悪い話かもしれないけれど、すぐにわかってしまう。私たちは、今日も完璧だった。


 「そういえばね、紅音、彼氏と別れそうだって」

 「ああ、戸羽さんか。全然続かないんだね、あの子」


 他愛もない話をする、その間にも、店の外からの視線を感じる。冴えない外見の女子高生二人が、瑛太をちらちら見ながら何かを話していた。

 しばらくの間雑談を楽しんでいたけど、電車の運転が再開したらしいアナウンスを聞いて、私たちはスタバを出ることにした。改札もホームも殺人的に混んでいて、せっかく綺麗にブローしてきた髪がぐしゃぐゃになる未来を予測して、気が重くなる。柚寿は危なっかしいところあるから、と私の腕を引く瑛太の後ろを歩いて、やっと乗った電車が、のろのろと動き出す。

 時刻は午前八時四十五分。英単語テストはもう終わっただろう。二人分の席を確保した瑛太が、小さくあくびをする横で、無表情に流れる景色を眺めていた。

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