失墜

三森電池

絶対的な関係 1

 家に帰ったらまず、制服を脱いで、部屋着に着替える前に、体重計に乗る。私の体重は四十五キロぴったりでなければならない。一グラムでも増えていたら、近所を少しランニングして、夕食を抜くと決めている。

 針は四十五の少し前でゆっくりになって、ぴたりと止まった。セーフ。ほっと胸をなでおろし、上機嫌で部屋着のスウェットに足を通す。今日は学校帰りに恋人である青山瑛太とクレープを食べたから、絶対に増えてると思ったけど、どうやらそれはいらない心配だったみたいだ。

 本当は、甘いものなんて少しも好きじゃない。胸焼けするし、太るし、生クリームなんて特に、あんな甘ったるいの、体に毒しか与えないに決まっている。でも、世の中の女子は大抵、クレープが好きだ。恋人に女の子らしくないなんて思われたくないから、無理やり胃に流し込んで、水をいっぱい飲んで、今日もたくさん笑った。お疲れ様、と労いの言葉をかけてあげたくなる。


 「はあ、つかれた」


 部屋のベットに倒れ込む。これから明日の授業の予習と、今日の授業の復習をして、宿題をして、模試の勉強をする予定だ。私はもともと全然頭が良くないから、人の三倍くらい勉強しないといけない。勉強だけじゃなくて、私は運動神経も全然ないし、目を引くような美人でもないから、運動も、美容も人よりずっと頑張らなきゃいけない。とても辛いけど、頑張れば頑張るほど、みんなが私の事を、優等生で運動も出来て美人で、完璧な女の子だと言ってくれる。それが気持ちいいから、今日も小顔ローラー片手に、数学と英語と戦うのだ。頑張れ、小南柚寿(ゆず)。

 苦手な数学のテキストを手に取ったところで、ベッドに放り投げていた私のスマホから、好きなバンドの曲が流れだした。なんてタイミングが悪いのだろう、電話だ。渋々立ち上がり、ピンクのスマホを手に取る。


 『ちょっと、柚寿、どーしよー。カレシと別れちゃうかもー』

 「……また?」


 開口一番、不機嫌そうな声色が耳に飛び込む。電話をかけてきたのは、私と同じクラスで同じグループに属する、戸羽紅音だった。同じグループといえども、紅音は、教師に注意されても毎日引いてくるアイラインはガタガタだし、適当に染めた茶髪は痛んでいるし、足を開いて座るし、笑う時に大口を開いて手を叩くから、品行方正をモットーとしている私はなんとなく距離を置いてしまうのだけれど、彼女の方は私をかなり信頼してくれているみたいで、こうして電話をすることも多いし、遊びに行くこともある。

 いろいろと理解できない部分もあるけれど、根は悪い子ではないし、なにより紅音は毒舌家でなんでも喋るので、私が普段思ってても言えないことをズバズバ言ってくれるから、一緒に居て楽しい存在だ。私はテキストを閉じて、ベットにもう一度倒れ込む。三十分くらいは、愚痴に付き合ってあげよう。


 「どうしたの、またケンカした?」

 『うん、あいつさぁ、記念日なのに、金無いからディナー割り勘だって! マジで腹立つ! 怒って帰ってきたとこ、今』

 「そっかそっか、災難だったね」


 そんな理由でケンカしてたのか、と私は笑ってしまいそうになる。電話の向こうの紅音は本当に怒っているから、彼女にとっては至極真面目な問題なんだろうけど。


 『青山くんって、全部奢ってくれるんでしょ? いいなあ、うらやましー』

 「それはそうだけどさー……」


 その紅音の言葉が少し引っかかって、私は言葉に詰まった。紅音に言ったことはないけれど、高校生のうちは、親の金で遊んでるんだから、割り勘は当たり前だと思う。

 でも瑛太は、いつでも奢ってくれる。デートの時は、値段が高くて美味しいお店に沢山連れて行ってくれるし、可愛いと言った服はなんでも買ってくれる。記念日とか、誕生日とかにもお洒落なプレゼントをくれるから、最近では逆に私が恐縮してしまって、瑛太にちゃんとしたプレゼントを贈れない自分を恥じてみたり、釣り合えてるだろうかと悩んでみたりしているのだけれど、これも紅音からしたら、贅沢な悩みなのだろうか。


 『何がそれはそうだけどさー、よ。あたしも青山くんと付き合いたいなー。イケメンだし、読者モデルだし、頭良いし、運動できるし性格も良いし。あと金持ってる。最高じゃん。まあ、柚寿だから青山くんと付き合えてるんだけどさ、でもやっぱ羨ましいなー』


 電話越しの紅音の、かん高い声が耳に痛いほど聞こえてくる。

 柚寿も何でもできて、美人だもんね。絶対かなわないわ。紅音はそう言って笑う。そんな訳ない、私は人並み以上に頑張らないと何もできない。みんなが遊んでる時に勉強して、学校でばれないメイクを研究して、やっとスタートラインに立てているようなものだ。だけど、私のしょうもないプライドはそれを許さない。「最初から何でもできる、才能に恵まれた子」を演じたがっている。努力していることを、口に出したとたん、それは価値を無くす。


 「……どうするの、彼氏のこと?」


 なんとか話題を逸らそうとして、思い浮かんだのは紅音の彼氏のこと。好きな人と美味しいご飯を食べられるのなら、割り勘でも全然良いと思うんだけど、紅音は納得がいかないらしい。


 『もう決めた、別れる。そんで、青山くんみたいなカレシ作る。ねえ、柚寿。青山くんの友達とか紹介してくれない?』

 「紅音、最初からそれが目的だったんでしょ」


 違う違う、でもお願い! と紅音は言う。しょうがないから、わかった、とだけ返しておく。

 それから十五分くらい紅音と雑談をした。クラスの女子のこととか、ドラマのこととか、若い数学教師のことを話しているうちに、なんだか疲れも取れてきた。紅音と話すのは、良い気分転換になる。

 ベットに並べられたぬいぐるみをぼんやり眺めながら、友達との電話に興じる。まるで、普通の女の子みたいだ。紅音はこれから、また別の友達と遊びに行くらしい。私も、人並みに何でもできる女の子だったら、紅音に付いて行って一緒に遊んだのだろう。私は紅音が羨ましい、なんて、思っても絶対に言えなかった。

 私は、明日も完璧な小南柚寿を演じるために、目の前のテキストを手に取った。そうする道しか、私にはない気がした。

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