春は雪のあと訪れる

犬井作

二人のための物語

 もしも鏡が逆さまのものを映す魔力を持っていたのなら、萌木小雪の鏡像は萌木小春だっただろう。二人は双子だった。しかし、対照的だった。あまりに真逆だったから、親でさえ真逆の名前をつけたほどだった。

 小雪は雪のように白い肌で、艷やかな黒髪を持っていた。対して小春はあたたかい色の肌を持ち、髪は赤に近い茶色でまるで陽光を吸い込んだようだった。二人はともに見目麗しく、人々の視線を奪う魅力を持っていた。小雪の美を居住まいを正してしまうような澄んだ美、雪降りの朝の冷たい空気の鋭利さだとするならば、小春の美はすべてをありのまま包み込み賛美する春の穏やかな陽光だった。

 しかし雪の後に春が訪れるように、いつも小雪が一番で小春は二番だった。そして雪の降りようが春の在りようを決めるように、小雪が小春の在り方を、ある時点までは決定していたのである。

 二人はいつも一緒に行動した。小雪はどこへ行くにも小春を連れ、食べ物は自分が味見したものを小春に与えた。遊ぶおもちゃも二人で選んだ。

「お姉ちゃんだから妹を守るのは当たり前。だから、危なくないか私が確かめるのよ」

 小雪は周囲にそう話したし、小春はそれを受け入れていた。いつでも小春は小雪の後ろに続いた。ピアノを習うのも、バレエをやるのも、塾へ通うのも、小雪が小春に許可したものを受け入れた。心配した父に語った言葉は象徴的だ。

「私たちは一心同体だから、私にとって良いものは小春にも良いはずだし、小春はそれで大丈夫なの」

 小雪は語り、小春もその言葉を繰り返した。「わたしたちは、一心同体だから。だからお姉ちゃんが良いと言うものは、わたしにとっても良いことなんだよ」

 ほころびが生まれたのは十歳の誕生日を迎えて数日後のことだった。小春は泣きながら学校から帰ってきた。自室に戻らず、母のベッドに潜って泣き続け、小雪が帰ってきても顔を合わせようとしなかった。夕ご飯も食べようとしない小春をベッドから連れ出したのはしかし小雪であった。両親は事情を知らされず、経緯も知らされないまま双子の和解を喜ぶ他なかった。しかし喜びとは裏腹に、この日以来小春はいっそうおとなしくなり、小雪はいっそう高飛車な性格に近づいていった。

 十一歳にもなると小雪の容貌は人並み外れた美しさを得た。彼女が目を細め蠱惑的に笑えば従わない相手はいなかった。いっぽうティーンエイジの間小春は「小雪の妹」として認知された。小春が小雪に従うばかりだったからだ。周囲の目には小春は意志を持たず、なにをするにも小雪のために行動しているように映るほどだった。

 実際、こんなエピソードが在る。十五歳のときだ。小雪に蔑ろにされたと感じた恋人が小雪のもとを去ろうとした。しかし一時間もしないうちに恋人のもとを小春が訪れた。小春は小雪の恋人を喫茶店に誘うと、小雪と別れないであげてほしいと説得した。小雪がいつも恋人の話をすることを話し、彼女の寂しがりやな一面も伝え、だから離れないであげてと伝えた。その結果、恋人は受験により違う高校に通うことになるまで、小雪のもとを離れなかった。

 このように、小雪の高飛車な性格は彼女の美により許されたが、当然生じる軋轢を小春はいつも解消した。小春は友人に疲れないかと問われて、やはりこう答えたという。

「だって、わたしはお姉ちゃんと一心同体だから」

 しかし小雪の時代は小春との別離で終わる。小春は他県の大学へ進学し、二年後、そこで交際していた友人と結婚した。小春は人の良さもあってみるみるうちに人好きのする女性としての魅力をはなち、人々の注目を集めていった。

 小雪はその一方で落ちぶれていった。大学に入って以後、彼女の美は絶対のものではなくなった上、生じた軋轢を自ら解消する方法も覚えなかったからだ。彼女は孤立して、孤独になった。

 大学二年生を過ぎたころ、ひどい痛手を受けたのか人との交わりを持たなくなった。それが状況を悪化させた。見目麗しい容貌も次第に不安に取り憑かれ、青ざめた月のごとく病んでいった。

 小雪は卒業後、小春の助けを得て職を得た。そして小春夫婦の住まいの一室を利用して細々と暮らしはじめた。その生活を知ったかつての友人に心配されると、小雪は決まって、笑って答えた。

「小春が幸せだから、私は大丈夫。だって私たちは一心同体なのだから」


 ○


 三回、断続的に、リズムをとって鳴らされたノック。それは小春の訪問を示していた。二人が別々の部屋を使用することになった時、相手をすぐと話し合って決めた合図だった。小雪はもぞもぞとベッドの上で身じろぎした。

 今更なにを、と思った。話すことなんてない。明日、家を出る小春と……結婚して、名字が変わった小春と――そう、思ったけれど、小雪に拒絶することは出来なかった。なにせ小春は、小雪と一心同体だったからだ。

「入って、いいわよ」

 そう述べて、小春を通す。ベッドから小雪は動かない。大人びた女性が部屋に入ってきた。歩くと、赤に近い茶髪が揺れる。豊かな胸もその動きに合わせて上下する。マシュマロのような頬が廊下の寒さのせいか紅潮していた。ファッションは、ニットのセーターにデニムパンツ。小雪は一瞬、それが小春だとわからなかった。

 人妻らしくなっちゃって、と、小雪は布団の隙間から観察する。

 小春は後ろ手に戸を閉めるとフローリングに腰を下ろした。小雪とは違う、形のよく男うけのする太ももが目についた。小雪は布団にこもったまま、なによ、と声を出した。

「なにしにきたの」

「……様子、見に来たの」

「私のことならわかるでしょ、小春と私は双子なんだから」

「顔を見なきゃわからないこともあるんだよ。……ね、顔見せてよ。お母さんにもフユオさんにも、二人きりにしてくれって頼んでる。だから邪魔は入らないよ。わたしたち、久しぶりに二人きりになれるんだよ。それとも……小雪はわたしと、顔を合わせたくない?」

 小雪は答えない。小春は諦めたように膝を崩す。フローリングに手をついて体を支える。その所作は肌を撫でるようにやわらかかったが、転がっていたお酒の缶がその指に触れると、こわばった。酒缶を手に取り、ようやく小春の藍色の瞳が普段と違う様子の部屋を見回した。

 小雪が身を丸めて布団に隠れるベッドはシーツが乱れている。部屋中央のガラステーブルは普段ならばコスメ用品や勉強道具が整理されて並んでいる。それが今は、開けられたにもかかわらず中身を残したポテトチップス、バターナッツの袋が置かれ、カーペットには小春が手にしたものとは違う種類の酒缶がいくつか転がっている。

 部屋の隅にハンガーラックにかかっていたと思わしき衣服が丸められていた。荒れた部屋に驚いていた視線はそれに留まると、茜色の頬が安堵したように少し緩んだ。

「来ようとは、してくれたんだね」

 小春が過去に贈ったフォーマルなワンピース。好きじゃないと言ったものを、着ようとはしてくれていた。汚れ方から今朝こうなったのだろうと小春は察する。酒缶を床に置いて畳む小春に、小雪は呻き声に似た返事をした。

「小雪」

「……なに」 

「わたしの荷物、この家からなくなっちゃうんだよ」

「……そう」

「それだけ?」

「ええ。あなたが新天地でも立派にやれることを祈ってるわ」

 小春は、布団の合間から小雪を見つめる。小雪はじっと見返していた。が、根負けしたように布団から出た。小雪の長い黒髪がシーツの上に垂れ落ちて、切れ長の瞳が小春を捉えた。そこに込められた強烈な敵意に気づけないほど小春は鈍感ではなかった。

「小雪……どうしてそんな目で見るの?」

「……小春には関係ないでしょ」

 目を逸らしながら答える小雪は弱々しい。小春は小雪の隣に腰を下ろすと肩を抱きしめた。小雪はその手に自分の手を重ねたが、数秒もせず、小春を押し返した。

「ほっといて」

 小春は傷ついたように表情を歪めた。小雪は一瞬呆然とし、狼狽した。

「違う、違うのよ。ごめんなさい。気が立っていて」

「……うん」

「本当に、ごめんなさい」

 言いながら小雪の目から涙がこぼれた。小春はすがりつくように謝る小雪を抱きとめるとあやすように頭を撫でる。小雪が落ち着くまでそうしていた。離れてからも、小雪は謝る。

「ごめんなさい」

「いいよ、小雪」

「……昔は、逆だったわね」

「そうだったかも」

 小春が苦笑すると小雪は落ち着いた様子で微笑する。

「覚えてる? 十歳のこと……」

「小春が先に帰っちゃったときのことでしょ。あのときは……ごめんなさい」

「今日は謝ってばかりだね」

「……ごめん」

「いいよ、もう、昔のことだから。……あのとき、小雪は知らなかったんでしょ? そう教えてくれたじゃない」

「ええ……その……でも、あなたが仲が良いとは知っていたの。彼と」

「マユミくんだよ」

「そう、そのマユミくんと。小春が時々、休み時間に私と会わずに、マユミくんと話していたことがあったから。迎えに行っても、気づかなくて。お昼休みは図書館で一緒に過ごしてたのに。それで興味を持って。私も話すようになって――でも、まさか、その」

「時は移ろい、留まることなし。しょうがないよ……悔しかったけれど、ね」

「……あなたがマユミくんのことを好きだと知ってたら、告白なんて受けなかった」

 小雪は小春から視線を外し、体を前に向けた。小春も、うん、と息を漏らすと、同じようにした。方だけが触れ合っている。ベッドの上で、二人はしばし沈黙した。

「でも、お姉ちゃんが泣いてたわたしを連れ出してくれたんだよ。わたしに言ってくれたこと、覚えてる?」

 小雪は答えない。

「わたし、まだ覚えてるよ。言ってみせるよ」

「やめてよ、もう」

「……私たちは一心同体なの。だから、私の喜びはあなたの喜び。あなたがマユミくんを愛しているだけ、私もマユミくんを愛するから。だから、許して」

「……いま聞いたらサイテーね、私」

 自嘲気味に目を伏せた小雪に、強い口調で小春は言った。

「そんなことないよ。不思議だけど……わたし、あの時、それならいいや、って思ったんだよ?」

「……ホント?」

「本当だよ。だからわたし、許したんだから。小雪がマユミくんを、本当にわたしが愛してたくらい愛して、ラブラブで、だから、いいやと思えたんだから。三人でデートしたり、楽しかったよ、わたし。だから高校に入っても、それでいいと思ったの」

「……だから私を補ってくれたの?」

「うん」

「ハヤトから、小春に聞いたって言われたときは、なんだかわからなかったのよ」

 小雪が苦笑すると小春は笑った。

「わからないわけないよ。だってわたしたち、一心同体なんだから。小雪がしょうもないことで起こったことを悔やんでたこと、それを伝えられない自分が好きじゃないこと、自分一人じゃどうにもできなくて、つらくて、泣きそうになってたことも全部、わたし、わかるもの」

「悩みも、苦手なことも、なんでも知ってる」

「うん」

「……双子だから、かしら」

「そうかも。わたしたち、同じ時間を過ごしたんだもの。お母さんのおなかの中で、二人っきりで。もしかして小雪は覚えていない?」

「小春は覚えてるの?」

「うん。うっすらとした明かりと、あたたかい、水の感触――その中に小春と小雪がいた。私たち二人で一つだったの。同じへその緒を持ってたの。本当に、覚えてない?」

「きっと夢でしょ、それも」

「……小雪はリアリストだね」

「小春がロマンティストなだけ」

「そうかな」

「そうよ」

「……」

 小雪はなにか言いたそうにしたが、口を閉じた。なにか悩んでいる様子だった。

「……小春」

「なに?」

「…………どうして、違う大学に進んだの?」

 小春は答えなかった。小雪は不安そうに小春を見た。

「どうして、小春は……あの人を」

「小雪?」

「なんでもない」

「……聞かせてほしい」

「ダメよ。だって、これは」

「逆恨みだから?」

「…………どうしてわかるの」

 声を震わせると小雪は後退る。小春は小雪を見ると、静かに告げる。

「わかるよ」

「っ……」

 息を呑んだ小雪に、小春はにじり寄る。ベッドの上で、小雪の白い足に、小春が覆いかぶさった。小雪の手がシーツを掴みそこねて滑る。倒れた肩に手を乗せて、小春は小雪の動きを封じた。

 動揺のそのままに小雪の黒髪がベッドの上に広がった。散らばった髪の房ひとつひとつは複雑な模様を作り、不安のままノートになぐり書きした落書きに似ていた。それは、しかし微動だにしない。小雪の形の良い胸に小春の胸が重なった。心臓の音を、小雪は感じた。それは不気味なくらい落ち着いている。小雪はじっと、自分そっくりな、垂れ目の額に収まった藍色の瞳に移った自分を見るほかない。小春の目に小雪は閉じ込められていた。

「聞かせて、小雪。今日、どうして来なかったのか……全部、わたしに教えて」

「ダメよ、そんなの、いえない」

「どうして?」

「逆恨みだから」

「そのなにがわるいの?」

「だ、だって、これは、私が勝手に、思い込んで、悩んで、あなたに関係ないことだから」

「二人で一つでしょう、わたしたち」

「だったら、知ってたでしょう! 私が、あなたの恋人を好きだったって!」

 我に返って、口元を抑えようとしても、小春のせいでできやしない。顔色一つ変えない小春を見つめていた小雪は、次第に息が荒くなり、そのうち、涙をこぼし始めた。

「わ、わたし、あなたの恋人の、フユオさんと、連絡をとってたの。ずっと、あなたが一年生の時、帰省してきて、彼を紹介して以来」

 小春は答えない。小雪はしゃくりあげながら言葉を続けた。

「大学生に入って、あなたがいなくて、不安だったの。新しくできた友達ともすぐ喧嘩して、一人になって、夏休みに入っても友達一人いなかった。私には小春しかいなかった。フユオさんは小春に似てた。やさしくて、あたたかくて、だからだと思うの、間違えて、メッセージを送ってしまったの。そしたら、話を聞いてくれて……電話をするようになるまですぐだった。小春は、知らないわよね。私、心療内科に通ってたの。カウンセリングを受けて、単なる不安だって言われるんだけど、それでも誰かに話を聞いてほしかった。パパやママに話せない悩みを、誰かに、それを、フユオさんは聞いてくれて……小春には悪いと思ってたの。でも嬉しくて、そのうち……私……好きになってたの。本当に、ごめんなさい。私、お姉ちゃんなのに。小春を祝福しないといけないのに。なんで小春をって思っちゃったの。私がなんで選ばれないのって。だって、毎日通話してくれたのよ? 一時間とか、三十分だけでも時間を作ってくれたのよ? 勘違いするに決まってるじゃない。可愛いから小雪は大丈夫だって言ってくれたときもあった! でも、いい人だから、優しさに甘えていただけだった。ずっと胸が痛くて……一週間前からずっと、吐き気もして、生理も来てない。そんなんで、私、小春に会えなかった。小雪は小春に負けないくらい綺麗でいないといけないから。だから、だから」

 言葉が途切れ、嗚咽が漏れた。小春は小雪を起こすと、抱きしめる。過呼吸になって息をうまく吸えなかった小雪の背中をさする。薄いワンピースから透けて見えた背中には肩甲骨が病的なまでに浮き出ていた。

「小雪」

「な、なに、小春」

「つらかったね」

「うん」

「苦しかったでしょう」

「うん、私、私――」

「胸にポッカリと、穴が空いたようだった?」「ええ」

「死んでしまいたいと思った?」

「ええ、ええ」

「つらくて、くるしくて、手に入れた光が自分のものじゃないと思えて」

「ええ、ええ――なにもかも、遠く感じた。好きになった人に、愛されていなかった、それが、こんなに、苦しいなんて知らなかった。フユオさんの声にすがってた自分が、情けなくて、小春にも不実だったって、気づいて、そう、気づいてしまったの、私、小春に、だから、知らせるべきじゃないのに、ごめん、ごめんなさい、小春」

「……小雪」

 小春は顔を離すと、小雪に真正面から向かい合う。その瞳にとらわれて小雪は口をつぐむ。

「小雪」

 怯えたように小雪は目をつむった。

「小雪、だいじょうぶだよ」

 小春は前髪を撫でると、額に口づける。小雪を抱きしめながら、伝える。

「わたしが、小雪のぶんまでフユオさんを愛してあげるから。小雪の喜びは、小春の喜びなんでしょう? だから、安心していいわ。小雪――わたしが小雪のぶんまで幸せになるから」

 その言葉を聞いて、小雪は息を呑んだ。

 小春の微笑みは、変わらない。それなのに、小雪は突然、寒さを感じて、肩を震わせた。

「……わたしね、小雪の嘘を知ってるよ」

「……どう、いう」

「だって、小雪は、知らなかったはずないじゃない。一心同体なんだから。小春がマユミくんのことを好きだったことを、知らないわけないじゃない」

 小雪の息が、また荒くなる。表情は青ざめ、怯えに歪む。一方で、小春の笑みは深まっていく。すべてを許すマリアのように、やわらかい弧を描いて、三日月のような美しさを帯びていく。

「小雪は、自分のものにしたかったんだよね。わたしの喜びも、悲しみも、全部、二人で一つにしたかったんでしょう。でも、自分が、一番でありたかった」

「ち、ちが、それ、は」

「嘘つかなくていいよ。小春はわかってるから。小雪、わたしは、知ってたんだよ。小春がマユミくんとお話する時小雪がわたしを見てたこと。そのとき、嫉妬してたこと。みんなに憧れられて、ちやほやされてた小雪は、愛されたりはしてなかった。対等に、すべての存在を受け止めてくれる人がいなかった。だって小雪は素晴らしい存在で、上に立つ存在だから、自分が上に立ったことで受け入れられなくなっていることを認めたくなかった」

「う、ウソよ、そんなの違う、私は! 愛されてて、あのころから、ずっと、でも」

「マユミくんに近づいた時、最初、わたしのフリをしてたこと、聞いてないとでも思うの? 小春のフリをしてデートして、途中で小雪は小雪だってバラした。それから、伝えたんでしょ? 好きだって、小春と一緒にいて、嫉妬してたって。ほんとはわたしが小雪より愛されるのが嫌だったのに、マユミくんとのキスを奪ったのも、そのせいでしょ」

「うう、うううう」

 小雪は駄々をこねるように首を横に振った。心の底から違うと主張するように。けれど小春の瞳は小雪を捕まえたまま離したりしない。

「でもね、わたし許してるのよ。小雪のことを。だって、小雪は本当に小春のぶんまでマユミくんを愛してくれた。自分についたウソを小雪は信じる天才だもの。そうでしょう?」

「ち、ちがう、私はほんとに、マユミくんのことを愛して、だからあなたのぶんまで、それで」

「でも私は小雪が許せなかったの。だって、小雪はいつまでもわたしと同じところまでは来てくれなかったから。小雪と小春は一心同体何でしょう? 同じおなかの中で、同じ時間を過ごしたから。だから、同じ経験をしないといけないのに。でも、小雪は愛される人を奪われるなんてこと、されなかった。むしろ奪う側だった。小雪の無邪気な笑顔にみんな夢中になって、誰かを好きだった男の子も、女の子も、小雪を愛した。わたしも小雪を愛してる。でも、小雪は愛され続けるのが下手くそなんだもの。ただ高飛車で、愛されて当然としていて、ちょっとしたことで傷つきやすいところが可愛いのに、いざ付き合うとなっても態度を変えない。愛されてるって思わせないから不安を与えて、だから捨てられそうになる。いつまでも学習しないからわたしが小雪を補ってあげてた」

「そんな、ほんとに、小春、ほんとにそれ、言ってるの? 私が、だめなやつだって」

「そういう飛躍がダメなのに……ほんとに変わらないね。ちょっとでも否定されたら自分のすべてが否定された気持ちになるところ」

「うそ、うそ、小春はそんな事言わない、だってわたしのこと愛してるんでしょ、小春」

 小春は小雪を抱きしめて、あやすように頭を撫でる。小雪の全身はガタガタと震え、二十四時間なにも食べていない胃袋はありもしない咀嚼物を嘔吐しようと痙攣した。小雪の背中をさすりながら小春は溜息をつく。

「愛してるよ、小雪。でも小雪を支えるのはもううんざり。だって学んでくれなかったんだもの。愛され方を目の前で見せてあげてたのに。小春と小雪が一心同体だっていうのに、小雪は小春のありのままを当たり前だと思ってた。そうじゃないのよ、小雪。小春の在り方を、小雪は真似できるのよ。一心同体なんだから」

「そんなの、しらないよ、わかんないよ」

「そうだよね。わかってるよ。だから、わたし、小雪をわたしと同じところまで落とすことにしたんだから」

 小春は小雪をめいっぱい抱きしめると、小雪の額に愛おしそうに口づけた。

「ああ、小雪……泣いてるところも可愛いわ。ずっと、この顔を見たかった」

 小春は、小雪が初めて見る笑みを浮かべた。

「フユオさんに協力してもらって、あなたのアドバイスをずっとし続けたのよ。そのために、わたし、小春と離れて大学に進んだのだから。わたしのことを愛してやまない人に協力してもらうために。わたしは小雪から愛され方は学んでたから」

「こは、小春、それ、って」

「わたしたちを完成させるにはこうするのが一番だったのよ。小雪も、いま、幸せでしょう? だって、もうわかったでしょ? わたしが小雪を愛してるって。フユオさんにわたしが愛されてるって。だから、小雪も愛されてるって。だから、小雪、笑おうよ。幸せなら、笑おうよ。だって、もうわたしたち、本当に一心同体なんだから」


 ○


 それ以来、小雪は笑顔を絶やさなくなった。

 老いても、二人は笑顔が魅力的な姉妹として、関わる人々の話題になった。二人を知る人は、どこへ行くにも、小春と小春のお姉さんは一緒だったと語ったそうだ。

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春は雪のあと訪れる 犬井作 @TsukuruInui

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