幸せな日常

 休日の昼下がり。

 俺は1人、近所の墓地へと足を運んでいた。


 桶をと花を片手に、墓石の前へと向かう。

 持ってきた布で墓石を丁寧に洗い、花と供え物を供え線香をあげる。

 ほのかな線香の香りが、俺の鼻をくすぐった。


「ほら、ちゃんと母さん達が好きな『石井屋』の饅頭持ってきたぞ」


 母と父の大好物。

 近所にある和菓子屋の饅頭が、俺の両親は大好きで、休日はいつも買って帰ってはみんなで食べていた。

 あの時の俺は、洋菓子の方が好きだと愚痴っていたが、今となってみれば俺の好物の一つである。


 ……始めて美味しい、って思ったのはお袋達が亡くなってからだっけな。


 和菓子屋のおっちゃんが葬式の時に持ってきた饅頭。

『これ食べて元気になってくれ』と言って、俺に母さん達がよく買っていた饅頭を渡してきた。

 ……あの時は、食べながら泣いていたっけ。


 もう一緒に食べれないのだと、ちゃんと一緒に食べればよかったと、美味しいなと言えばよかったと。

 ひたすらに後悔したものだ。


「久しぶり。父さん、母さん」


 俺は墓石の前で数珠を持った手を合わせながら、誰もいない場所で、誰に向かう訳もなく喋る。

 けど、この言葉は今はいない両親に届いていると信じて。


『時森家之墓』


 今日は俺の生みの親の命日。

 亡くなった両親の墓に来るのは、本当に久しぶりだった。


 亡くなった当初は、毎日のように足を運んでいたが、麻耶ねぇの家族達に仲良くさせてもらってからは、ほとんど足を運んでいなかった。


 けど、今日は大事な命日。

 神楽坂と麻耶ねぇには悪いけど、今日は1人で来させてもらった。


「元気してたか?そっちじゃ、やっぱり退屈か?」


 母さん達がいる天国は、きっと暇なんだろう。

 何も無くて、ただただ上から俺を見守ってくれているんだろうな。


「今度、母さんがハマっていた間違い探しの本を持ってくるよ。父さんは……酒でいいだろ?」


 まぁ、未成年だからお酒は買えないんだけどな。

 今度、父さんに頼んで買ってもらおう。


「前来た時は10ヶ月ぐらい前だったっけ?……あの時は、本当にごめんな」


 最後に来た時。

 どうして死んだんだと、何で急にいなくなったんだよと愚痴を吐いていた気がする。

 あの時の俺は、まだ気持ちの整理ができていなかった。


「でも、俺はもう大丈夫だよーーーーーこの1年、本当に色々なことがあったから」


 麻耶ねぇの家にお世話になって、家族のような存在ができて、高校に進学して、友達も増えて、大切な人もできて、そしてーーーーー


「あ、そうだ。俺、この前女の子に告白されたんだぜ?」


 墓地には俺以外の誰もいない。

 だから、俺の声がよく聞こえる。


「それもとんでもない美少女さんだ。……え?寝言は寝て言えって?ーーーーー違うよ父さん。本当の話。俺もびっくりしたが、紛れもない本当の話だ」


 といっても、つい最近の話なんだけどな。

 本当に、びっくりしたものだ。


「けどさ、1人じゃなくて3人。ほとんど同時に告白されたんだよ……嬉しいことにさ」


 西条院に、神楽坂、そして麻耶ねぇ。

 神楽坂に関してはクリスマスだが、麻耶ねぇと西条院に関してはバレンタインの時。


 それぞれの想いを、その時に貰った。


「みんな、それぞれ魅力的な女の子でさ、俺が挫けそうな時にいつも支えてくれたんだ。今、俺がこんなにも幸せな日常を送れているのも……あいつらのおかげだ」


 彼女達は、それぞれ誰にも負けないような魅力がいっぱいある。

 例えば、西条院は物事を一生懸命取り組んで、周りを引っ張っていける。神楽坂は一緒にいるだけで、心が和むような暖かい雰囲気。麻耶ねぇはおっとりとしていつつも、大事な時に寄り添ってくれる優しさ。


 ……本当に、彼女達から好意を寄せられていることが嬉しくてーーーーー誇らしい。


「散々待たせてしまったよ。俺がうじうじ考えてしまってさ、簡単なことに気が付かなかった。……あいつらには、申し訳ないと思っている」


 一生懸命に考えて、好きというものの本質を見ようとして、何が正しいのか一生懸命に悩んで、応えが出せなかった。


 けど、違っていたんだ。


 好きというのは、考えて応えを出すものなんかじゃなくて、自分の素直な気持ちで感じる事なんだって。


「でも、分かったよ。みんな大切な人だけどーーーーー俺の唯一の好きな人」


 俺にとっては誰にも優劣はつけれない。

 みんなそれぞれ俺の大切な人で、これからもずっと一緒にいたいって思っている。


 けど、その中で俺が『好き』って思える人は1人だった。


「父さん、母さん……俺、ちょっと怖いけど、ちゃんと応えを出すよ。この関係が壊れてしまっても、それでもあいつらは勇気を出して気持ちを伝えてくれたから」


 1人を選べば、これからはいつも通りの関係にはなれないかもしれない。

 俺のことが嫌いになって距離を置かれるかもしれない。


 ……いや、あいつらのことだから嫌いになるまではいかないかもな。


「だからさ、見守っててくれよ。俺がちゃんと応えを出すところを……母さん達が見守ってくれたら、俺も勇気が出るからさ」


 そう言うと、俺は手を下ろして横に置いてあった桶を持って立ち上がる。


「じゃあ、また来るよ。今度はーーーーー俺の友達と大切な人を連れてきてやるから」


 次は、この1年で仲良くなった奴らを母さん達に紹介してあげたい。

 西条院や麻耶ねぇ、神楽坂。そして、一輝に先輩に、麻耶ねぇの家族。


 この1年で俺の生活は大きく変わった。

 色んな人のおかげで、母さん達がいない日常でも、俺は幸せに過ごせている。


 だから、今度は安心して見守ってくれ。


 関係が変わってしまうかもしれないけどーーーーーそれでも、きっと俺の日常は幸せなはずだから。



 俺はそんな思いを残し、1人墓地を後にした。
















































 物語の終わりまで


 後3日

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