そして、彼女は前に進みたいと言った

「神楽坂……」


 俺の目の前で、神楽坂は膝を抱えながら泣いている。

 その姿は、触れただけでバラバラに壊れてしまいそうなほど、弱々しかった。


 けど……それでも、俺は言葉を続ける。

 俺は、俺の思っていることを彼女に伝えたいから。


「俺はお前の気持ちなんて分からない。どれだけ傷ついているのか、どうしたいのか、どんなに辛い思いをして怯えているのか分からない」


「……ひっぐ」


 泣き続ける彼女を見ても、俺は言葉を続ける。

 俺には、それが必要だと思うから。


「それはクラスの連中も、麻耶ねぇにも、西条院にも————誰にも分からない」


 人は言葉にしなくては伝えることの出来ない生き物なんだ。

 心が通じ合う……なんて言っているが、それは綺麗事だ。


 だから、人は言葉に、態度にしなくては伝わらないし……分からない。


「けど、人は前に進まないと分からないままなんだ。言葉にしないと、行動で示さないと、相手に伝わらないし、自分も相手のことは分からない」


 だから神楽坂は、ありもしない未来に怯え、過去に囚われて前に進む事が出来なかった。


「確かに、みんなに別れを告げても、嫌われるかもしれないし、責められるかもしれない……けど、そうじゃなくて笑って送り出す未来だってあるはずなんだ」


「………」


 神楽坂は未だに涙を零しながらも俺の顔を見てじっと聞く。

 俺はそんな彼女をそっと抱きしめ、安心させるように背中を撫でる。


「みんなはそんなことを言うやつじゃない……それを確かめるには、昔の時とは違うと証明するには、お前が前に進まないといけないんだよ」


「うん……」


「過去に囚われる必要は無い。……俺が背中を押してやる。俺だって押されてここまで来たんだ。俺に出来てお前に出来ないはずがない」


 勇気が出ないなら俺が分けてやろう。

 ありもしない現実に怯えるのなら、俺がそばにいてやろう。

 お前の気持ちは分かってやれないが、折れないように支えてやろう。


「俺はお前がしたい事を手伝ってやる。お前が前に進むのであれば、俺は全力で手伝ってやる」


「……うんっ」


「俺は過去に囚われているお前が嫌いだ。周りを見ずに、勇気も振り絞らずに自分勝手に周りに心配させるお前が嫌いだ——————けど」


 俺は神楽坂の顔をそっと俺に向ける。

 神楽坂にちゃんと分かって貰えるように、しっかりと俺の気持ちが伝わるように。


「過去に囚われることから抜け出し、勇気を振り絞って前に進むやつは—————俺は好きだよ。だから………俺にお前の事を嫌いにさせないでくれ」


「………うんっ」


 神楽坂は俺の胸の中で、涙を流しながら頷く。


「お前が前に進みたいと言うなら俺が手伝ってやる。お前がこの現実を受け入れたくないなら、受け入れる現実になるよう俺が変えてやる。お前が挫けそうになるなら、俺が横で支えてやる」


「……うんっ」


 彼女は1人で抱えすぎた。

 自分の気持ちを誰かに伝えることが出来れば、彼女はきっとここまで過去に怯えることは無かっただろう。


 だから、そんな神楽坂を……俺は支えてやりたい。


「なぁ、神楽坂?お前はどうしたいんだ?」


「私は……」


 神楽坂は俺の胸から顔を離し、大きく息を吸って自分の気持ちを口にする。

 溜め込んだ自分の気持ちの中から、自分のしたい事を探り、言葉を見つける。


 きちんと俺に理解して貰えるように。


「私は、やっぱりこのまま止まっていたくない!前に進んで、ちゃんとみんなに向き合いたい!ごめんねって言いたい!ひぃちゃんにも、ちゃんと謝りたい!あとっ———」


 神楽坂は自分の気持ちを全て吐き出そうと、俺の体を強く抱きしめる。

 それは、誰かに縋りたいという気持ちではなく、己の気持ちを全て吐き出すために。


「私はみんなと一緒にいたい!お別れなんてしたくない!ひぃちゃんにも麻耶先輩にも、クラスのみんなと離れたくない!————大好きな…時森くんとも離れたくないっ!」


「……あぁ」


「やっと好きな人が出来た!ずっと憧れていた、この恋も、この感情も、この想いも、全部……全部時森くんから貰った!」


 神楽坂は溢れる涙を止めることなく、ひたすらに思いと共に流していく。


「私はこの気持ちを捨てたくないし、ちゃんと夢に向かって前に進んでいきたい!」


 進んでいきたい。

 俺はその言葉を聞いて嬉しく思った。


 人は前に進んでいくほど、成長し、美しくなる。

 立ち止まってしまうと前を向くことはなく、後ろを振り返ってしまい、悔やみ、歩みを止める。


 俺も、立ち止まっていた。

 受け入れ難い現実に打ちひしがれ、落ち込み、前に進むことを放棄した。


 けど、そんな俺の背中を押して前に進ませてくれた人がいる。

 ………だから、今度は俺が支える番になってやろう。


 神楽坂がきちんと己の足で前に進んで行けるように。


「わたしっ……前に進みたいなぁ。こんな弱い自分だけど、みんなと一緒にいて、笑って、進んでいきたい……」


 神楽坂は己の気持ちを吐き出し終えると、再び俺の胸に顔を埋め、そして小さく嗚咽する。


 俺は神楽坂の話を黙って聞いていた。

 彼女は、自分が何をしたいか、どうしていきたいかを俺に伝えてくれた。


 これで、俺は彼女がどうしていきたいのかが分かった。

 だからこそ、俺は……俺のすべきことを見つけることが出来る。


 俺がそうしてもらったように、俺が変わりになれるように。


「神楽坂……」


『ただいま帰ったよアリスー』


『荷解きは終わったかしら?』


 すると、玄関から声が聞こえた。

 多分神楽坂の両親だろう。


「お前は、やりたいことを見つけ、立ち止まりたくないと、前に進んでいきたいと言った」


 俺は抱きしめていた神楽坂をそっと離す。

 未だに彼女の目には涙が溜まっていたが、俺はそっと優しく頭を撫でて安心させる。


「だから、あとは任せとけ」



 泣いている彼女の支えになりたいと、手伝ってやりたいと思った。


 だから、ここからは彼女が前に進めるように俺が動く番だ。


 彼女が過去に囚われることもなく、笑っていられるように。







 こうして、終わった物語は再び動き出す。

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