しろい『あの子』の
「こら、王子にじゃれつくんじゃない」
「別に僕は大丈夫ですよ、アルク殿」
王子の剣の稽古の途中に乱入してきて、王子にじゃれつく白い獣をひっぺ剥がすと、くぅん、と不満そうに獣が鳴いた。
名前が分からないこの白い生き物は、『聖獣』という、森の奥深く、深淵ぐらいにしか生息しない獣らしい。
一説によれば、我々人間に干渉出来ない神の代行者らしいが、今のコイツはただの犬っころにしか見えない。
丁重に扱え、と国王から小言を言われたが、接すれば接する程、聖獣という神々しいイメージより、ただの犬というイメージが定着していく。
駄犬ならぬ、駄目な獣。略して
王子にゾッコンなこの獣のせいで、王子は獣の毛だらけ。
楽しそうに笑っておられるが、後々メイド長に怒られるのは私なので、王子も少しは拒否してほしい。
溜め息をこぼす私とは正反対に、王子は獣を笑顔で撫で回していた。
「お~よしよし。お前は良い子だな~」
「王子、戯れるのも程々に。稽古に戻りますよ」
「別にいいでしょう? それに適度な休憩は大事ですよ」
のらりくらりと人の言葉を掻い潜って、王子は獣の腹を撫でる。
完璧に寝そべって舌を出している姿は、へそ天している犬のようだ。
警戒心を一体どこに置いてきたんだろうか、この獣。
……………駄目だ、見れば見る程大型犬にしか見えない。
「クゥーン」
「可愛いな~!」
『聖獣』という大層な肩書きを持つ獣は、無防備にも人の前で腹を晒す。
殿下は生き物がお好きだから、暴力を振ったりはなされないが、今まで野生で暮らしていたのなら、警戒心ぐらいは持っておいた方が良いのではと、獣と出会って数ヶ月経過した今もそう思う。
獣と出会って、変わったことは幾つかある。
周囲の私に対する眼差しの変化である。
コイツが王城に来てから、なぜか周りの目が生暖かく感じるようになった。
以前はどこか恐れるような視線だったのが、微笑ましいというような視線になった。
多くの人に声を掛けられるようになった。
コイツが聖獣だと知っているのは、ほんの僅かな人間で、城にいる大抵の者はちょっとデカイ犬だと思っている。
「休憩はもう充分でございますよね? 稽古を再開しますよ」
「あっ」
私は獣を抱き上げて、王子から引き離した。
残念そうな顔で、殿下が獣を見つめる。
獣はそのまま大人しく運ばれ、その後王子の稽古は無事に終了した。
いつもより稽古に気合いが入られたのか、稽古終了時の王子は膝をついていた。
◇◇◇
獣が来てから半年が経った。
初めは『聖獣』であるあの獣にビクビクと震えておられた陛下も、現在ではすぐにおやつを与える程獣に甘くなってしまわれ、危うく獣が太るところだった。
王妃様も陛下とご一緒に獣を可愛がられていて、イーリス王家の人間は獣に心を掴まれてしまった。
そして困ったことに、私が獣と一緒にいると私までもが頭を撫でられるようになってしまい、こそばゆい気持ちになる。
もう頭を撫でられて喜ぶ年齢でもないので、少し照れくさい。
獣と過ごしていく内に、分かったことがある。
アイツは食いしん坊だった。
城の料理長達が用意した大量の肉を一匹でぺろりと平らげ、更には果物も食べていた。
あれが満腹になって寝てしまう頃には厨房で料理人の屍の山が出来ていた。
そんな食欲旺盛な獣だが、戦闘の腕前は然程悪くなく、私との連携もそつなく出来ていた。
「ワフッ!」
「単独で
誇らしげに獲物を見せつける獣を褒めて撫でてやると、獣は嬉しそうに尻尾を揺らした。
近衛騎士団長という立場にいるため、普段は王族警護の任務で外部からの要請を受けるのは滅多にないが、この日は護衛任務を他者に任せていた。
本日は国の北部、ロストム伯爵領にて
遭遇した、恐らく食料を探していたのだろう
騎士達が剣を構える前に
「ガルルゥ!!」
唸り声を上げた獣は、
死角から現れた獣に、急所を的確に攻撃された
獣の奇襲が成功し、一体目は倒せたけれど、目の前で仲間を殺された二体目は、咆哮を轟かせる。
「グモォアアアアアアアアアアア!!!」
片方を倒せたのは良いが、仲間を殺された魔物は激昂し、更に
冷静さを欠いている状態なので、そこを上手く利用出来ればいいのだが………。
しかし、そんな心配は無用とばかりに、獣は軽快な立ち回りで、
怒り狂った
「ガァッ!!」
「ググモ!?」
獣の牙が、
「グモォオオオオオー!!」
断末魔を上げて、二体目の
華麗に着地した獣が、こちらに振り返る。
痛い程の静寂の中、最初に声を上げたのは、戦いの成り行きを見守っていた騎士達だった。
「は、はああああああああああ!?!?」
「つっよ!? アルクーリ団長の獣さんつっっよぉ!!?」
「おいおいおいおい嘘だろ嘘だろ!! ひとりで勝っちまった!」
初めての戦闘で勝利した獣に、騎士達は驚きを隠すことは出来ないようだ。
………そういう騎士達だって、
興奮冷めやらぬ騎士達が騒ぐ傍ら、私は獣に歩み寄った。
獣は私の姿を認識すると、嬉しそうな表情で近付いてきた。
「見事な戦いぶりだった。よく頑張ったな」
「ワフッ!」
称賛の言葉を贈れば、返り血で汚れている獣は機嫌よく尻尾を振る。
わしゃわしゃと獣を撫でてやると、目を細めて獣は喜んだ。
◇◇◇
魔物の中には、集団で過ごす魔物と、基本的に単独で過ごす魔物がいる。
番を必要としない魔物もいるが、
寒い時期になれば滅多に出没しなくなるが、それ以外は森を歩けば大抵遭遇して被害に遭う。
人間と出会ったらすぐさま攻撃する凶暴な性格で、騎士団がよく討伐するため騎士にとってはメジャーな魔物である。
今回の遠征は、王国第十二騎士団所属の騎士百五十名に加え、第三騎士団の騎士五十名、合わせて二百名の騎士が同行している。
魔物の巣を直接殲滅するので、かなりの人数を必要とする。
大勢の屈強な騎士達に囲まれた獣は、臆することなく騎士達に絡んでいた。
ガタイが良い男共が、だらしなくデレデレとした表情で獣と戯れていて、数時間前の戦闘のことを忘れているかのようだ。
武力が物を言う騎士の世界で、凶悪な魔物二体を倒した獣は、騎士達にとって可愛い末っ子ポジションになった。
「クゥン!」
「あ~~癒される。すっげえ可愛い」
「あ、俺にも獣さん撫でさせてくれよー」
いっぱい構われてご満悦な獣に、騎士が群がる。
この遠征ではすっかり見慣れた光景に、私の直属の部下はのほほんとした笑みを浮かべた。
「もうすっかり団長の獣さんは皆の人気者になってしまいましたね」
「まあ、普段剣を振るってばかりのアイツらには丁度良い癒しだろうな。あれは大層人懐っこいし、小さい生き物に怖がられやすい騎士にとって目に入れても痛くない程可愛いのだろう」
わちゃわちゃと賑やかな獣達を眺めながら話す私に、部下は驚いたように目を見開いた。
「アルクーリ団長が『可愛い』という単語を使うの、オレ、団長の下で働いて初めて見ましたよ」
「…………お前は一体私を何だと思っているんだ? 騎士である前に、私だとて立派な女子だぞ? 可愛いものは好きに決まっている」
失礼なことを口にする部下に呆れると、部下は不満げに顔を歪めた。
私が可愛いものを好んで何が悪いのか、と思いながら眉を寄せる。
「そんなことは百も承知ですけど、団長、最近は獣さんに構ってばかりじゃないですか。何なら周りで一番獣さんのこと可愛がってるの、アルクーリ団長ですよ! ………副団長なんか、ついこの間、『オレ、こんなにも健気で可愛い部下なのに……』って拗ねてたんですよ!!」
信じられない部下の言葉に、思わず息を呑む。
「………………!?」
「獣さんが団長を独占するので、寂しがっていましたよ」とか「獣さんは可愛くて、団長の! 部下であるオレ達は可愛くないんですか?」だとかぶつぶつ文句を言っている部下の言葉が衝撃的で、言葉に詰まる。
ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、身体が上手く動けない。
固まった私に、部下はどうしたんですか、と首を傾げた。
その部下に返事することも出来ず、情けないことに、先程の衝撃に脳の処理速度が追いつかなくて、暫く茫然と立ち尽くしてしまった。
――――――彼は、さっき何と言った?
『私が獣ばかりにかまけていて私の部下達が拗ねている』と言っていた。
私が獣を独り占めしているのではなく、獣が私を独り占めしていると?
勘違いかもしれんが―――――私は、かなり彼らから慕われていたのだろうか。
いや、自惚れすぎか? しかし、彼の言葉をそのまま受け止めるとしたら………。
腕を組み始めた私に、部下は怪訝そうな顔をした。
「先程からどうなされたんですか、団長」
言外に様子がおかしいと告げ、ジト目でこちらを見つめる部下に、私は思わず笑ってしまった。
「いや何だかな、お前達があれにやきもちを妬くとは思いもよらなかったんだ。……そうか、私は結構慕われていたのだな」
「なーに沁々としながら言ってるんですか。少なくとも団長の下にいる人間は、団長を嫌ったりなんかしませんし、寧ろすっごく尊敬してますからね、団長のこと。それにオレら……団の皆、団長の部下としての団長への愛なら、誰にだって負けませんよ?」
得意げに胸を張る部下は、私より背が高いし、ガタイも良いが………その様子がとても可愛く感じて、堪えきれずに吹き出してしまった。
「ははは! お前達にも可愛らしいところはあるじゃないか」
「エッ、今更気付いたんですか? 団長」
◇◇◇
ギラリ、と鋭い瞳が、我々を睨み付ける。
ぶわりと毛を逆立てて、獣が低く唸った。
「グルルゥ……!」
「グモオオオオオオーー!!!」
目的地へと、辿り着いた我々は、見張りの魔物と対峙した。
群れに敵を知らせるために、
その隙に、騎士達が
休憩を挟んだ後、再び巣まで進行していく我々だが、低級魔物に遭遇するだけだった。
今回の遠征の目的は、人里にまで出没するようになった
あとは、獣―――聖獣の力がどれ程のものか推し量ること。
『聖獣様が現れたということは、何らかしらの予兆ではないか』という意見が城の会議で出たらしい。
聖獣がいつまでいるかは分からないが、もしも聖獣が国にいるときに、国に危機が訪れた際に聖獣を頼ろうにも聖獣の実力が未知数で不安がある。
今のうちに聖獣の腕前を知っていた方が、幾ばくか大臣達も安心するだろう。
『聖獣様を試すような感じでたいっっへん心苦しいが…国のためだ。致し方あるまい!』と泣き崩れた顔の宰相殿に命じられたときは、おったまげた。
ただまあ、四六時中城で食べて寝ての繰り返しだと獣が運動不足になると危惧してはいた。
だからこそ、今日
……と、遠征の本来の目的を思い出したところで、群れへ叫んでいた
巣から他の
「第三! 爆弾用意!! その他の者は吹き飛ばされないよう後ろに下がれ!!」
「「「「はっ!!!!」」」」
指示を出すと同時に私は獣の元へ駆け出し、獣を急いで片腕で抱き上げる。
「きゃう!?」
獣が驚いたように目を見開いていたが、無視して爆弾に巻き込まれない位置まで下がった。
今回の遠征に参加した五十名の騎士―――第三騎士団の連中は、魔法道具の扱いに長けた者の集まりだ。
第三騎士団は魔物討伐において使用する道具の開発、研究などを行っており、今彼らが手にしている爆弾も、比較的狭い戦場で魔物の巣を殲滅するときなどに使用する。
狭い場所ではグレネードで敵を吹っ飛ばす。
ゲームの知識を実際に戦闘で使うとは、思いもよらなかったが。
まあ、
「爆弾投下ー!!!!」
私の掛け声と共に、次々爆弾が巣へと投げられていく。
その光景を眺めている騎士達は、爆撃が終わった後に備え武器を構え始める。
獣も唸り声を上げ、戦闘体勢になる。
「ガウ!!」
私もルイガを抜いて、魔物の巣へと切っ先を向けた。
煙の中から、ギランと鋭い目が光る。
黒くごわごわとした毛に覆われ、巨体を揺らしながらこちらに近付く魔物。
侵入者を排除するため、巣を守るため、
「グモオオオォォォーーー!!!!」
それを皮切りに、複数の
眼前の敵を見据え、私は剣を抜いて切っ先を敵に向ける。
「決して気を抜くな!! 誰一人欠けることは許さん、勝つぞ!!!」
「「「「「おおーーー!!!!!」」」」」
転生令嬢は、みんなに愛された。 結魔莉<ユマリ> @misamana
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