零れる愛

そこに立っていたのは、ただ記憶をなぞるだけだった光の虚像ではない。ハッキリとその顔を拝むことができた。透き通るような瞳、風に揺れる黒髪、包み込むような笑顔を浮かべた彼女の姿が鮮明に映って見える。

彼女は天晴の方をしっかりと向いて、話しかけた。


「やっと、会えたね」


白い光の影や黒いモヤなんてない、ありのままの彼女の笑顔が鮮烈に天晴の瞳に焼きついた。


「あぁぁ、うぅ……」


「久しぶり、弱虫の天晴くん」


言葉が返ってきた、彼女の口から自分に向けて言葉が送られてきた。そう考えるだけで天晴は胸がいっぱいだった。感動のあまり張り裂けそうなほどに胸が苦しく、愛おしかった。

それと同時に彼は不安だった。この彼女も幻想なのだとしたら、もう彼の心は壊れてしまうだろうと彼自身が感じていた。

本物であってくれと願いつつ、天晴は彼女に向かって質問を投げた。


「……ほ、本物?」


「うん、そうだよ」


「本当に?」


「そう、私は君の幻じゃないよ。ほら……こっちおいで」


そう言うと彼女は両腕を広げ、優しく微笑んだ。天晴の瞳は潤みだし、涙腺がジワジワと開き始める。

目の中の揺れる涙に動かされ、ゆっくりとその足を前に出す。一歩づつ都会のアスファルトを踏み締めて彼女のもとへと向かう。


「ほら、もう少し」


何度も夢で見た人、最も愛している人、どこにも行って欲しくなかった人の元へ向かっていく。瞳からは涙の筋が2本引かれる。

そして天晴は彼女の目の前に立った。


「はい、よく出来ました」


──彼女は天晴を強く優しく抱きしめた。


「……っ!」


これは、幻想ではなかった。紛れもなく、彼女本人だった。

艶のある髪からの良い匂い、耳元で聞こえる甘い吐息、彼女の胸の中で感じる『温もり』──天晴の中から、何かが消え去った。

それは後悔、孤独、あるいは悲しみ。彼女の死からずっと積み重ね、複雑に絡ませていた感情の糸が断ち切られる。

安心感と幸福だけ、単純で揺るぎないこの感情達だけで彼は満たされた。


その温かさを感じると天晴は足から崩れ落ちて膝をついた。彼女の頭を抱えるように抱きしめ、すすり泣きながら声を漏らす。


「うぅ、ああぁ!」


「お待たせ、私の天晴……」


「ああぁぅ、ああああ!!」


──天晴はただひたすら泣いた。

心の感じた喜びのままに、彼女を抱きしめていた泣いた。

息は荒くなり、涙と鼻水でむせ返る天晴を彼女は優しく撫で続けた。彼女もまた、愛おしい彼を包み込んで離さなかった。

時間なんて忘れるほど、今までの辛さも悲しみも狂気も何もかもを吐き出すように泣き叫んだ。

誰もいない静観の街に、天晴の号哭が響いた──


だが現実とは、運命とは残酷なものであった。


「……え?」


突然のことだった。天晴が抱きしめていた彼女の体が透けて、自分の腕が空ぶったのは。

一瞬にして感じていた温もりも重さも消え去った。

目の前にいる彼女はスクリーンに映る映像のように光の集合体と化して、幽霊のように存在しているだけだった。


「う、嘘だ……」


「ごめんね、もう時間が経ち過ぎちゃった」


「い、嫌だ! こんなの──」


「もう行かなきゃ……」


「あっ──」


彼女の体はゆっくりと浮かび上がり始めていき、空から黄金の光がカーテンのように舞い降りて来た。

段々と昇っていく彼女に天晴は右手を伸ばして懇願した。


「行かないでくれ! 俺をもう、1人にしないでくれ」


「……」


「君がいない世界なんて幻想と変わらない。行くなら、俺も連れて行ってくれ──君といられるのなら何でもするから!」


「……」


「神様! もし見てるならお願いします、俺も連れて行って下さい!! 死のうと、生まれ変わろうとも俺は彼女の傍にいたいんだ」


「天晴……」


「だから一生のお願いだ、何処にも行かないで」



「──天晴」


彼女は彼の名を呼ぶと、天晴を見つめながら涙を零した。垂れた涙は天晴の顔に落ちるが、透けて地面の染みとなった。

涙を我慢しながら、無理矢理作ったままの笑顔で彼女は思いの丈を告げる。


「私だって君を独り占めしたいし、もう別れたくないんだよ」


「なら──」



「だから、生きて欲しいんだよ! 私が生きれなかった分も生きて、少しでも幸せになって欲しいの。あんたは──天晴は私が、世界で1番愛してるんだから」


「っ……」


2人が涙を流した数秒間、刹那の沈黙が訪れた。両者ともすすり泣いていたが、彼女の方が先に声を発した。

涙でくしゃくしゃになった笑顔で、天晴に優しく微笑みかけた。


「泣き虫天晴が寂しくなんないように、向こうでいつまでも──待ってるよ」


「……あぁ」


その時、天晴の中から何かが剥がれ落ちた。それは心が脱皮したように外の皮膜が脱ぎ捨てられる。出てきたそれが彼の胸の中で温もりを現す。

袖で涙を拭って鼻をすすり、天晴は精一杯の笑顔を作る。

吹っ切れたわけではない、だが思ったのだ。愛する人を見送るのに、泣き顔など相応しくないと。

ただ思うがままに愛を伝えるのみ……


「じゃあな──愛してる」


「私もだよ、天晴……」


彼女がまた涙を一滴、頬に走らせると空からの光は増して彼女の全身を包み込む。

気がつけば、あっという間に彼女の姿は光の中へと溶けていって消え去った。



「──ここは、どこだ?」


ほんの一瞬だけ、天晴の意識が飛んだ。同時に彼は街の外れにある丘に立っていた。

自分の家やあの公園が見える、雑草だらけの丘の上。

向かい側からはまだ顔を出したばかりの朝日が昇って来ていた。太陽の照らしたまだ起きていない空は、地平線まで白かった。


「っ!」


空を見終えて視線を落とした天晴はふと自分の肩を見た。そこには、彼女が数滴こぼした涙がくっきりと染みになっていた。

その染みを見てまた涙を流しそうになった天晴だが、目を擦って水滴を拭う。


「次会う時までに……弱虫は治さねぇといけねぇな」


街を見つめる天晴の目に映っていたのは、幻想の残り香。水泡の形をした"愛”は見ている間にどんどん見えなくなりつつあるが、泡は水の中のようにゆっくり上昇していって空へと消えていく。


────愛を見つめている天晴の目頭はまだ、熱かったそうな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天晴 白神天稀 @Amaki666

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ