巡る悪夢

──再びあの朝がやってくる。彼にとっては何も変わらないただの日が……


「──ふあぁぁ、眠いな……出かけるか」


彼はベッドから出ると真っ先に玄関へ行き、起床から10秒足らずで外に出る。

服は何日も変えておらず、少々異臭が漂い始めている。


外の天気は昨日と変わらず、快晴だった。澄んだ空気と少し寒い朝の匂いは心地が良い。だがその心地良さが彼にとっては苦行に近しいほど辛かった。

ただあの彼女に会うために、あの苦しさという幸福を得に公園に向かうだけ。


「今日はどこにいるんだろうな……」


彼はそんな独り言を呟いて微笑みながら昨日と変わらず歩みを進める。



────彼の名は『天晴』という。

彼はどこにでもいる、ただの少年だった。20年生きてきて、ごくごく平凡な毎日を送っていた。

変わったことはないが、何の変哲もないがゆえに健やかな人生に彼自身も満たされていた。毎日が鮮明で素晴らしかったのだ。

何よりも……


『天晴また泣いたの?』


彼には小さい頃から想いを寄せた幼なじみがいたのだ。

親同士の仲が良いということで、幼稚園児の時から共に育ってきた。彼は少しだけ大人びた彼女に懐き、彼女も彼のことを弟のように面倒をみる。必要とし必要とされ支え合いながら歩んできた。

そう生きてきて、高校の時には自然と2人は恋人同士になっていた。別にどちらかが言った訳ではないのだが、何となく2人は一緒になっていたのだ。


大学に行っても関係性は小さい頃から変わらず、お互いにこのまま死ぬまで一緒に生きていくのだろうと思っていた。


『泣いてないよ……』


『ホント、天晴はすぐ泣くからさ』


そんな静かで幸福な日々が続いていた時──彼女は死んだ。


軽トラックによる交通事故で彼女は命を落としたのだ。奇しくもそれは、彼女と彼が小さい頃から通っていた公園と家までの道で。


地面に転がり血だらけになった最愛の人、彼が傍に寄って抱きしめた時にはもう彼女は冷たくなっていた。


『うぅ……アァッ、うぅああぁぁぁぁ!!』


腕の中で抱きしめた彼女が、命が、愛が、その瞬間にまるで水泡のように消えていくのを彼は感じてしまった。


涙で歪んだ彼の視界の中では幾つもの記憶が頭を巡っていた。

いつも一緒に帰った道、ふと空を見上げた時に輝いていた夕日、朝露の滴る草木、他愛のない話をして時間を忘れた公園、2人で出掛けた時に行った遊園地、今も飾っている2人の写真、メリーゴーランドに乗る笑顔の彼女……

今まで味わった喜びも愛する人を失った悲しみも自分に対する怒りも絶望も後悔も苦しみも狂気も高揚も何もかもが巡り巡って──彼の世界は感情も記憶も現実も何もかもが入り乱れ、無秩序で混沌とした幻想しか見続けることしかできなくなったのだ。


この今が悲しいのか、辛いのか、嬉しいのかも分からずに……ただ過去に残るために心を閉ざして生きるだけ。

止まった時計の歯車は連鎖的に次々と他の歯車を巻き込んで壊れていき、やがて彼は──天晴は思い出の囚われ人になったのだ……


「アハッ、ハハハッ!」


壊れた歯車は屍になろうとも動き続け、『今』を認識することもできないまま過去を巡るだけ。

晴れも雨も分からなくなるほど、ずっと彼は公園に通い続けた。

初めて幻の遊園地に彼が行った時は、既に彼は壊れていた。だが何度も通い続けるうちに彼の中で1つの答えを見つけていた。


『あそこへ行けば、またあの人に会える』


温もりもなく、記憶の中の彼女は『今の彼』のことは見ていない。あまりにも滑稽な話だが、それでも毎日会い続けた。

しかしそれでも幻想は残酷だった。何度会いに行こうと、幾度となく話しかけても彼女は見えなかった。白い光のシルエットに包まれた彼女をずっと見ていた。それでもその姿が見たいと見ている内に、幻どころか写真や記憶の中の彼女の顔も見えず思い出せなくなった。

いつしか彼女以外の人間の顔は全て黒いモヤ、もしくはピエロの仮面で覆われたように見えるようになった。


生きる理由の全てだった彼女がいなくなってから、天晴は幻想の中で生きることになったのだ……



「──はぁ、今日も変わんねぇや」


彼はまたこの日も公園に辿り着いた。彼の中の時間は止まったまま、時間の流れも失った彼はもう何ヶ月もの間ここに足を運んでいた。心も体も荒廃して今にも消えそうな風貌で公園の土を踏みしめる。



──プク


「来た……」


──ブクブクブクブクブクブク


水泡が地面から湧き上がり始め、公園全体と彼の体を覆い出した。

だが、彼はあることに違和感を感じた。


(あれ? なんで俺……苦しくないんだ? 頭痛も吐き気もないのに。体も、何か軽い)


泡に飲まれると、彼は浮遊感を味わった。水の上、空気の上に浮かび上がっているように手足が泡の中で持ち上がったのだ。

意識も段々とクリアになっていき、泡の音も姿もしっかり捉えている。


──ブワッ


強い風が1度吹くと、彼の周りに付いていた泡は弾けるように消え失せる。

そして彼の視界が開けた……


「────え? どこだ、ここ」


彼はいつもの遊園地には辿り着いていなかった。

見知らぬ都会のスクランブル交差点のど真ん中で、たった1人だけで立っていたのだ。

世界は静寂に包まれ、空から優しい光が降りてくる。


「なんで俺……」


「──天晴」


「っ!!」



彼はその声がした背後を振り返った。


「あ……ああぁ」



「やっと、また会えたね」


そこに立っていたのは影もなにもついていない、あの日と変わらない彼女の姿だった。

その姿は今、天晴の瞳の中へ鮮明に映り込む……

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