私だけの笑顔

黒木ココ

私だけの笑顔


「あのさ悠里、あたしたち付き合っちゃおうか」



 その笑顔は今まで彼女が見せてきたどんな表情よりも明るく朗らかな笑顔だった。


 

 

 ■





 男っ気を小学校に置いてきた中高一貫の女子高で莉乃はとにかくモテた。

 別に見た目や立ち振る舞いがボーイッシュなわけではない。どちらかというと小柄で可憐な美少女と言ったほうが近い。

 それでも彼女は何と言えばいいのだろうか。ガキ大将気質と言うのだろうか? 魂の色が男の子っぽい。色恋沙汰に興味がない私ですらもそう感じたぐらいでおまけにコミュ力も高いときた。あの笑顔で接せられたら一丁前に色気付いた年頃の女子なら彼女に惹かれないことはないだろう。

 そんな彼女とはどういう巡り合わせか小学生からの付き合いで偶然にも同じ中高一貫校の中等部に進学し、高等部に至ったのだった。




「悠里そんだけしか食べないのー? ほらほらあたしのタマゴサンドあげるからさー。キミみたいな恵まれた体型の子がそんな小さなお弁当箱じゃあダメだぞ」

「別に私は少食じゃないよ……むしろ莉乃こそ食べすぎだよ」


 そう言って未開封のタマゴサンドを押し付けてくる莉乃。

 彼女の昼食はおにぎり3つにカツサンド1つ、そして私に押し付けたタマゴサンド1つ。小柄な体型からは想像もできない量だ。


「だって食べないと悠里みたいに大きくなれないじゃん。背が高くてすらりとした手足、ザ・モデル体型でいておっぱいも大きい、属性盛りすぎだーっ! このっこのっ」

「ちょっ……胸触るのやめてよ……」

「うりうりぃ〜ここが女子高なことを感謝しろーい」


 莉乃のセクハラ……もといスキンシップはいつものことである。

 人前でされるのは恥ずかしいがそれ自体は嫌じゃないのは莉乃の人柄が為せる技だろうか。


「悠里ってモテるよね。この前も告白されたんだって? ミステリアスでクールなおっぱいが付いた長身イケメン、そりゃモテますわ」


 私は対外的にはそういうことになっているらしい。

 単に口下手でコミュ障気味なだけなのにそれを知らない女子から勘違いされている。高等部に進級してから時々告白されたことがあった。中には上級生からの告白もあった。


 当然、全部断ったが。


「私よりも莉乃のほうがずっとモテるじゃない」

「いやいやいや、あたしみたいなちんちくりんがモテるとかおかしいでしょ」

「そうかな? 明るく朗らかで気配りがよくて姉御肌だもんモテるの当然だと思うけど。現に昨日告白されたんだって?」

「あははは……お互いモテる女は辛いねえ」


 私が興味のない人間から告白され続けるうちに、莉乃も誰かから告白され続ける。

 いつか莉乃の笑顔が誰かのものになってしまう。

 ずっと一緒だった私から離れてしまう。その口惜しさが恋というものだろうか?

 そうならなんて私の恋は独りよがりなんだろう。


 そんな想いを抱き、でもそれ以上の行動に移す勇気も出せない悶々とした感情を抱えてたある日の下校時間に莉乃が私に告白した。

 嬉しいよりも驚きのほうが大きかった。

 人はいきなり訪れた転機にどうやって反応すればいいのか。

 だけどこれだけは伝えなければいけない。


「うん、こちらこそよろしく」


 いつもなら自転車に乗ってさっと帰る下校時間。でも今日は自転車を押して莉乃と歩く。

 少しでも長い時間このふわふわとした感覚を共有したくて。

 でもお互い緊張してあまり話も捗らないまま交差点で別れることとなった。


「ちぇーっ、今日はここまでかー」

「あはは……別に顔を合わせなくても電話やLINEがあるから」

「そだねー、じゃあまた明日。ばいばーい」


 笑顔で手を振って莉乃は横断歩道を渡る。

 その途中、もう一度私のほうを振り返って手を振って笑う。

 そして、小さな姿が大きな影にかき消されるように消えた。


 赤い夕焼け空

 赤い血染めの地面。

 騒然とする周囲。

 がちゃんと自転車が倒れ、私は力なく歩道にへたり込む。


 大型トラックに小柄な体を砕かれた莉乃は即死だった。



 ■



 莉乃がいなくなって一ヶ月が過ぎた。

 あの後のことはよく覚えていない。救急車とパトカーのサイレンが鳴り響いていたことぐらいしか記憶にない。

 なのに莉乃の最期の笑顔だけがはっきりと脳裏に焼き付いてしまった。

 あんなにも彼女が他人にその笑顔を向けることに嫉妬めいた感情を持っていたのにその笑顔は永遠に私のものだけになってしまった。

 

 親も同級生も教師も腫れ物扱いだ。

 目の前で友達が轢き逃げに遭った可哀想な少女として。

 轢き逃げ犯は早々に捕まったがそんなことはもうどうでもいい。

 この一ヶ月、毎日の生活ルーチンをこなすだけのロボットになっていたがもう耐えられない。

 いくら心を殺しても、莉乃の笑顔が付きまとってくる。

 起きていても脳裏に笑顔が貼り付いている。

 寝ればもっと酷い。あの日の光景が夢の中で繰り返される。


 お父さん、お母さん、ごめんなさい私はもう莉乃のところへ行きます。

 悲しみを乗り越えてこれからの未来を歩む女の子を演じることに疲れました。


 皆が寝静まった夜中の三時、私は窓を開けてベランダに出る。熱帯夜の生温かい空気が頬を撫でる。

 そんな空気に反して美しい満天の星空が私を出迎える。ああ、この街の星はこんなにも綺麗だったんだ。

 あの星のどこかに莉乃はいるだろうか。いたらいいな。

 

 もう何も躊躇うことはない。

 私は柵に足をかけて、闇の彼方に身を躍らせた。

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